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大輔の気持ちがわかる気がする…どんなに体が痛くても、どんなに叩かれても、野球を諦めたくなかった理由

上原浩治元メジャーリーガー
現役終盤は怪我に苦しんだ松坂大輔(写真:ロイター/アフロ)

 現役最後のマウンドだった。最速118キロ。最後のボールは内角に大きくはずれた。「平成の怪物」と呼ばれた西武の松坂大輔投手が19日の日本ハム戦で先発登板。日米377試合目のマウンドが引退登板となった。

 私も含め、昔を知る人間から見れば、もう大輔のボールではなかった。ボロボロだった。でも、そこまでやり続けた、やり続けることができたということでもある。大輔は、雑草と呼ばれた自分とは対照的なエリートだった。デビュー戦で見せた度胸満点のピッチング。イチローさんとの初対戦。華があった。現役終盤はけがに苦しんだ。メジャーから日本球界に復帰後はソフトバンク、中日を経て、古巣の西武へ戻ってきた。思うような結果を残せず、いろんなことを言われ、本人の耳にも入っていたと思う。批判の矛先が本人に向かうのは違うと思っている。現役を続けることができるのは、オファーを出す球団があるからだ。求められる以上、プロであり続けたい。ボロボロになっても、現役にこだわりたい。それが、エリートだった大輔のプロ野球人としてのこだわりだったのかもしれない。

 私自身の現役終盤は、膝に週に一度、痛み止めの注射を打ち続けていた。幸いなことというか、十分なお金を稼ぐことはできた。きれいごとに聞こえるかもしれないが、最後はお金ではなかった。本当に、単純に野球が好きだった。ぜいたくなわがままだったと思うけれど、大好きな野球を1日でも長く続けたいという気持ちが、痛み止め注射を打つことを躊躇させなかった。将来の体のことを考えたら、無理をすべきではなかったのかもしれない。だけど、目の前にある大好きな野球と向き合いたかった。

 自分の経験では、40歳をすぎての2軍生活は苦しかった。まわりには、プロに入ってきたばかりの18歳の若い子たちがいる。2軍は本来、彼らが育ち、羽ばたいていく場所。そこにベテランと呼ばれる自分の「居場所」はないと思わないといけない。でも、1日でも現役でやりたい。1軍に行けないと思ったとき、私は引退を決めた。

 大輔は現役終盤、どう考えていたのだろうか。同じような気持ちだったのかなと思う。

 ツイッターに「ゆっくり身体を休めてください」と書いた。ありきたりの言葉を書いたつもりはない。私の場合も引退したら、急に体にガタがきた。肩と肘はやめるまで問題なかったはずが、現在はボールを投げたら肩に痛みが走る。ずっと張っていた気持ちが切れると、体がもう悲鳴を上げてもいいんだと思うのかもしれない。いま、ボールを50メートル投げることもできない。そもそも体を動かすのはゴルフくらい。オフの日課だったトレーニングも全くやらなくなった。この意味、大輔もきっとわかると思う。だから、まずは「ゆっくり身体を休めてください」と思う。ドラフト最強年代のプロ入り同期の大輔、お疲れ様。そして引退おめでとう!

元メジャーリーガー

1975年4月3日生まれ。大阪府出身。98年、ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。1年目に20勝4敗で最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手4冠、新人王と沢村賞も受賞。06年にはWBC日本代表に選ばれ初代王者に貢献。08年にボルチモア・オリオールズでメジャー挑戦。ボストン・レッドソックス時代の13年にはクローザーとしてワールドシリーズ制覇、リーグチャンピオンシップMVP。18年、10年ぶりに日本球界に復帰するも翌19年5月に現役引退。YouTube「上原浩治の雑談魂」https://www.youtube.com/channel/UCGynN2H7DcNjpN7Qng4dZmg

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