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【富田林市】京都発祥のいけず石とはなに?富田林市寺内町にいけず石はあるの?街歩きしてチェックしました

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

千年の古都・京都にはいろんな文化がありますが、あまり喜ばしいと言えない文化のひとつに「いけず石」があります。

これは、平安時代に牛車や荷車が都の通りを往来していたときに、町に住む人が私有地に入ってこないよう、防御用の石を玄関先や四つ辻に置いたものがその発祥です。

京都七条通で見つけたいけず石
京都七条通で見つけたいけず石

主に京都市内にみられる車よけに設置されている石で、現在のスタイルは明治以降に発展したとか。京言葉で意地悪を意味する「いけず」からそのように名づけられました。

さて、いけず石は京都から離れた富田林の寺内町にもあるといいます。古い町並みですから十分あり得るのですが、実際にあるのか、またそれはどのようなものか見てきました。

寺内町はご存じのとおり広いので、すべてを見るのは大変。ということで今回はおおよそ赤線で引いたあたり(堺町や富筋)の様子を見ました。メインのルートを中心に、気になるところを一部寄り道しています。

堺筋バス停から寺内町の方に入ると、古い階段を発見。寺内町は少し標高の高いところに作られたと聞きましたが、なるほどこういうことだったんですね。

さて、寺内町に到着しましたが、早くもいけず石らしいものを発見。

まだ歩き出したばかりだというのに、いけず石がすぐに見つかりました。

公道で石を置くと道路交通法違反になりますが、私有地内なら伝統的なものとして見られれているというわけですね。

石を置いているというより、コンクリートで固められているようなのもありました。

家と家の隙間にもありました。ずいぶん背の高い石です。

白っぽいのは、石というよりコンクリートブロックの塊ですね。その後ろにある壁と同じ色をした方が、いけず石の役目を持っているような。

これは、木でできているのでしょうか?目的が車の侵入防止だから、石である必要はありませんね。

次々と見つかるいけず石ですが、意識しないとなかなかわからないかも。それは冬の時期に見学した「虫籠窓」と同じですね。

これは平たい石ですね。

また、右側の石は排水溝をふさいでいるように置いています。

こちらはふさいでいません。それぞれの家によって考え方がいろいろあるようで、いけず石をいろいろ見ていると、思わず「多様性」という言葉が頭に浮かびました。

こちらは完全に排水溝にはまり込んでいました。

いけず石は、個人の家だけではありません。寺内町交流館にも堂々と大きないけず石がありました。

これは寺内町の文化のひとつとして意図的に置いたのかもしれませんね。

さらに歩くと、いけず石が整列しているように並んでいました。あまりにも個性豊かなので、いけず石は路上アートにも見えそうです。

このあたりは寺内町の伝統的保存地区から出たあたりだったように記憶していますが、そこにもいけず石があります。実際に伝統地域から出ても、いけず石らしき存在をいくつも見ました。

これは石というより、コンクリートブロックの塊を貼り付けているみたいですね。

ということで富田林駅まで歩きました。別に寺内町の人がいけず(意地悪)というわけでもないと思いますが、本当に多くのいけず石がありました。まあ人の家の前に勝手に駐車されないような工夫ではありますが。

次回寺内町を散歩する機会があれば、街並みや建物だけでなく、路面のいけず石を追いかけるというのも楽しさのひとつですね。

富田林寺内町のいけず石
住所:大阪府富田林市富田林町
アクセス:近鉄富田林駅、富田林西口駅から徒歩圏内

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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