<ガンバ大阪・定期便61>U-20日本代表には選ばれなかった。だけど、中村仁郎はここにいる。
■U-20日本代表からの落選に「これが今の実力」。
5月8日に発表されたU-20ワールドカップ・アルゼンチン2023を戦うU-20日本代表メンバーに中村仁郎の名前はなかった。同期で仲が良く、今シーズンはファジアーノ岡山に期限付き移籍中の坂本一彩と切磋琢磨しながら、近い目標にしてきた『世界』だったが、明暗は分かれた。
「最近はメンバーに選ばれていなかったし、今シーズンに入ってからチームでも試合に絡めていなかったので外れることは覚悟していました。なので、自分の名前がなくても、そこまで落ち込まなかったです。もちろん今シーズン、チームで公式戦に出ていたらもっとアピールできたはずやし、(選ばれる)可能性は広がったと思うので悔しい気持ちはあります。けど、選ばれなかった=まだまだ足りない、これが今の実力や、と自分に矢印を向けて受け入れました」
少し前までは、代表メンバーに選ばれない事実を消化できず、責任の矛先を周りに向けてしまっていたそうだが、そこを乗り越えたことで見出せたものがあったと言う。
「以前は誰からも評価されたいと思っていたし、これまでずっと代表にも選ばれてきたから、自分を否定されたような気持ちになることはなかったんです。だから(代表での)立ち位置が少しずつなくなるにつれ、なんで選んでくれへんのやろ、って気持ちが大きくなって、それを周りのせいにしていた時期もありました。でも家族を含め自分に近い人たちと話をするうちに、矢印が自分に向くようになり、もっとプレーを見直すべきなんじゃないかという結論に至ったというか。実際、昨年末に代表を外れたくらいから自分としっかり向き合えるようになった気がします」
昨年末、U-19日本代表がスペイン遠征をしている最中、居残り練習で一人、黙々とシュート練習を続けていた中村の姿を思い出す。寒空のもと、額に汗を光らせながら「シュートが巧くなりたいから」と笑っていたが、それもきっと自分と向き合う時間だったのだろう。
そして、その『自分』との戦いは今も変わらずに続いているという。自分で選んだ道で輝いてみせるという思いのもとに、だ。沖縄キャンプを終えた直後の2月頭にも、その決意を口にしていた。
「一彩(坂本)が岡山への期限付き移籍を決断したように、他に活躍の場を求めることも考えないではなかったです。ただ、僕は中学生の時からこのガンバで育って、指導者の方たちにはすごく親身になって支えてもらったし、厳しく指導もしてもらってきたので。その人たちにガンバで活躍している姿を見せたいという思いもあったし、自分自身もガンバのユニフォームを着て活躍することを第一の目標に過ごしてきました。だからこそ、期限付き移籍が自分にとって『逃げ』の選択になるなら違うというか、嫌だと思い、その気持ちを強化部にも理解していただいて、キャンプを過ごした後に結論を出したいと伝えていました。ダニ(ポヤトス監督)が就任してガンバのサッカーが大きく変わるだろうと思っていたし、そこで何を感じて、何をできるのか、自分でしっかり見極めて答えを出したかったからです。結果、自分もガンバで勝負したいと思ったし、強化部にも必要だと言っていただいたのでガンバに残ることを決めました。とはいえ、今はまだ自分の立ち位置をものにできてはいないですけど、ダニに必要と思ってもらえている場所にはいられているし、実際にキャンプでの最後の練習試合で1ゴール1アシストと数字を残せたのも自信になっています。このサッカーにしっかり向き合って勝負していければ成長もできるし、サッカーをすごく楽しめそうな予感もあるので、とにかく今の調子を崩さずにやり続けます」
■ルヴァンカップ・FC東京戦で今シーズン初先発。変化を示す。
結果的にその後、ケガで離脱となり、出遅れてしまったが4月5日のルヴァンカップ第4節・FC東京戦には右ウイングとして、今シーズン初先発。「シュートが打てなかったのは引っ掛かっています」と振り返った一方で、ポヤトス監督のもとで求められてきた『攻撃の幅』については、個人で打開するばかりではなく、周りと連動しながらゴールに近づくなど、進化を示した。本人も手応えはあったという。
「代表でも守備は課題と言われていたし、もちろんガンバでもそこは成長しなくちゃいけないと思っています。でも、それ以上に武器の攻撃を磨きたいという思いもあり、攻撃バリエーションを増やすこと、そのために周りをうまく使った上でよりいい状態でシュートを打つことも意識して取り組んできた中で、そこは多少、出せたのかな、と。2本くらい、クロスを上げたシーンも、去年までならそのまま自分でシュートを打っていたはずですけど、敢えて打たないという選択ができたことで自分のところでタメを作れている感じもあったし、いい意味で、余裕を持ってプレーすることもできました。それはたぶん、ボールを持った時に自分の中でプレーを限定せずに、その場、その場の判断でプレーを選べるようになったからだと思います。あと、ダニのサッカーではスペースを有効に使うことを求められる分、選手同士の距離間がこれまでやってきたサッカーほど近くないですから。ボールを受けてもワンタッチで叩く場所が見つけられずに手詰まりになるということを練習から体感していた中で、縦にいくだけ、一人で仕掛けるだけでは試合に出られないなと思い、自分で内側に運んで、パスコースを作り出すような動きを身につけるとか、周りを使いながらゴールに近づくことを意識できるようになったことも、プレーの変化につながっているのかも知れません。その点で言うと今の久保建英くん(レアル・ソシエダ)がイメージするプレーモデルに近いです。実際、試合を観ていても久保くんは周りを使うのがすごく上手いし、でも最後は自分が美味しいところを持っていく、という動き方をしている。体の小ささをハンデにせずにチームの中で輝くにはどうすればいいのか、というところもすごく参考になります」
そんなふうに『攻撃の幅』を求めるのは、この先、長くプロの世界で生き残っていくためでもある。
「ユース時代までは自然とチームの中心選手としてプレーできていたし、ガンバU-23でも…他にもいい選手はたくさんいたんですけど、当時の監督だった仁志さん(森下)が僕を中心に攻撃すると公言してくれていたのもあって、自分は分かりやすくゴールを目指せていました。ただ、トップチームではそう簡単にチームの中心になれるはずはなく…何より個を強くしないと、チームの駒として当てはめてもらうことすら難しくなってしまう。だからこそ、さっきの『幅』もそうですけど、もっともっと個を磨かなければいけないと思っています。とはいえ、どれだけ頑張って伸ばそうとしても技術にはいつか限界がくると思うんです。でも、頭の限界はないですから。それこそ、頭を働かせることで周りを生かしながら11人で戦うことを覚えれば、持っている技術の輝き方も変わってくるはず。もちろん、状況によっては周りを活かすばかりではなく、自分で抜き切ることも大事なので、そのバランスは難しいんですけど(苦笑)。東京戦も長友佑都さんとマッチアップした中で、ゴールライン際でボールを奪われたシーンがあったんですけど、あそこは長友さんに上回られたというより自分のミスだと思っていて。長友さんの立ち位置が上手くて自分が仕掛ける時に少し迷いが生じてしまった分、スピードが上がらずに切り返してしまった。自分のタイミングだと思った時には、自分のリズムで仕掛けるべきでした。そうした判断のところも含め、とにかく今は、個人の攻撃の幅と、それをチーム戦術の中で違いを出すための頭を磨き続けたいと思っています」
■出場機会に恵まれない今も、矢印を自分に向けて。
もっとも、日々の積み重ねが、チームでのアピールにつながっているのかといえば、今のところ公式戦への出場はその東京戦のみ。リーグ戦には先発出場はおろか、控えメンバーにも一度も名を連ねられていない。昨年の秋頃まではU-19日本代表に選出されていて試合勘を養う機会もあったが、今はそれもないだけに「当然、危機感もあるし、今のままでいいとは思っていません」と中村。だからと言って、気持ちに揺れはない。
「チーム状況が良くない中で、だからこそ使って欲しいという思いもありますし、もどかしさもあって、日によっては気持ちの整理が難しい時もあります。でも、ガンバに残ると決めたのは自分だし、その決断に責任を持ってガンバで試合に出るためにやり続けるしかないと思っています。ダニとは、少し前に話をした時にも『今はチーム状況的に守備の計算ができない選手は使いにくい。ただチームが勝ち点を積めるようになれば必ずチャンスは与えたいと思っているので、やり続けてくれ』と言ってもらっているので。ルヴァンカップを含め、チャンスがきた時に今シーズン、積み上げてきたものを一気に爆発させるために、腐らずに続けていればいいことがあると信じて、しっかり自分を磨き続けたいと思います」
取材をした日から4日後の今日、5月22日の早朝。U-20日本代表はU-20W杯の初戦を迎え、U-20セネガル代表に1-0と白星スタートを切った。取材時には「一彩(坂本)をはじめ友達も出ているし、みんなには活躍して欲しいと思っているので観ます! きっと僕にも刺激が入ると思うから」と話していた彼は、実際にその初戦を観たのだろうか。悔しさが再燃することはなかったのだろうか。
「観ました! いつも7時くらいに起きるんですけど、1時間早く起きました! 勝って、いいスタートが切れてよかったです。悔しい気持ちにも特にならず、さぁ、今日も練習に行こう、って感じでした(笑)」
戦い続ける先にある未来に向かって、自分の信じた道を。さぁ、ここから。