日本を救う手本はサッチャーさんの自由経済の推進にあり
英国の元首相マーガレット・サッチャーさんが亡くなられた。9日の日本経済新聞は、3面も使ってサッチャーさんの功績をたたえた。1980年ごろまでイギリスは、現在の日本と全く同じように沈みゆく国だった。十数年以上、労働党が支配して経済の活力が失われてしまっていた。「英国病」とまで揶揄された。今、日本はバブル崩壊後、問題を先送りし続けた結果、沈んでいる状態を指して、「Japanise」と言われている。今の日本と全く同じ状況だった。
サッチャーさんが行った改革は大きく分けて二つある。自由経済の推進と、金融自由化(ビッグバン)だ。特に自由経済の推進は、今の日本を救う道でもある。
自由経済の推進では、「民間企業が自分の責任で自由に市場に参入し、自由にビジネスをできる環境を作り出すことが国を豊かにする」というビジョンを掲げた。そのために規制を緩和し、誰でも参入できるようにした。となると、規制を握っていた政府の仕事がなくなり、担当した役人はクビになる。だから雇用を増やさなければならない。このため外資にたくさん来てもらう。日産自動車やNEC、富士通などがサッチャーさんの呼びかけに応じて英国へ工場を立てたのはこの頃だ。このようにして政府を小さくし、政府の権力を減らし、民間の活力を向上させた。
いまだにサッチャーさんを誤解している人たちがいる。特に後者の金融の自由化に関してだ。必要以上に金融を操作することによって、経済の基準となる金の価値、すなわち基準が揺らぐようになったのである。このビッグバンに関しては行き過ぎた面は確かにある。ビッグバンが、サブプライムローン問題からリーマンショックまでを引き起こした原因とされるからだ。だからと言ってサッチャーさんの経済の自由化まで否定することはおかしい。だから、問題をきちんと二つに分けて議論しなければ本質は見えてこない。
今はアベノミクスという、サッチャーリズムと同じ頃に米国で言われたレーガノミクスにあやかって名付けられた安倍政権の経済政策だが、今はまだ絵に描いた餅を眺めているだけだ。餅が本当にできるのかはこれからの実行力に現れる。
自由経済の推進と、それに伴う霞が関の力を弱めること、地方を活性化すること、はまさにサッチャーリズムそのものである。若者が起業するITの世界の活性度をもっとものづくりの世界に持って来なければならない。政府の補助金ばらまきという仕事も要らない。補助金を握っている役人も要らない。民間企業側は補助金をもらうという甘えの意識がグローバルな競争に勝てない体質を作るからだ。これまでのやり方をさっさとやめて、自助努力でできるだけ民営化し、お金を回していけるように自立を目指さない限り、いつまでたっても経済は回っていかない。霞が関がやるべき仕事は、民間企業が参入しやすい環境を作り、民営化できる仕事はできる限り民営化し、税金を投入しなくてもすむシステムを考え、自ら身を切る方策を打ち立てることだ。これが日本を救う道となるはずだ。ただ、霞が関の役人に任せておいてこれができるとは到底思えない。
本当の自由主義改革ができるのは本来、内閣である。同じ与党から足を引っ張られようが、野党から攻撃されようが、「鉄の男」と言われようが、自分の信念を貫くことこそ、安倍政権に求められる条件であろう。サッチャーさんを手本にしてほしい。
こう書くと格差社会を作る、とか格差を助長するという意見もあろう。しかし、自由競争をしながら豊かな社会を作りつつある欧米諸国と比べて、格差の少ない日本がみんな一緒に沈んでしまうことがよいことだろうか。しっかり働き、世のため人のために尽くしている人たちが報われる社会を作り出し、きちんと税金を納める国作りこそ、国を豊かにするのではないか。安い賃金や補助金をもらいながら昼間からパチンコなどで遊んでいる人たちと、まじめに働き結果を出しながらも所得が比較的低い人たちとを一緒に議論してはならない。遊んでいる人たちに合わせて、みんなが一緒に沈んでしまうことこそ愚かな社会となる。
ご冥福を祈ります。
(2013/04/10)