「どういう死を迎えたいか?いま理想を考えたい」と高橋伴明監督。新作に込めた生き切る最期の提言
自身の死をどう迎えるか、どう迎えたいかについて
深く考えさせられる映画「痛くない死に方」
歳をとればとるほど、関心は高まるものの、実際問題としては、なかなかイメージすることができない。それが「死」かもしれない。
「自分はどのような形で死を迎えたいのか?」
在宅医療のスペシャリストである医師、長尾和宏のベストセラー「痛くない死に方」と「痛い在宅医」をもとに、高橋伴明監督が作り上げた映画「痛くない死に方」は、まさに自身の死をどう迎えるか、いやどう迎えたいかについて深く考えさせられる1作だ。
65歳での体調の変化、「死」という題材と向き合うことに
伴明監督はいま「死」という題材と向き合うことになったきっかけをこう明かす。
「もう70歳を超えましたけど、死について考えるようになったのは、65歳のとき。直接的なきっかけは、体調の変化で、めまいを覚えることがたびたび続いたんです。
当時は、京都に住んでいて車を運転していたものだから、これはまずいなと思って病院に行って診断してもらいました。すると、『軽い脳梗塞を5回ぐらいやっている』と。
それまでは『死』はさほど意識していなかったんですよ。実は、うちの家系は若死にで、親父が50歳を前に死んでいて、自分もそんな長くは生きないかもしれないと思っていた。
だから、60歳になったときには、おまけの時間をもらえてここまできたような感覚があった。やり残したこともいっぱいあったけど、まぁ、そこそこやりたいことはやったし、いい時間をもらえたなと。
で、さらに5年経って、大事にはいたらなかったんですけど、身体が確実に無理ができない状態になっていることを痛感したときに、フッと死というものが頭をかすめた」
それから「死」に関する本などを読んでいたときに、今回の話が舞い込んできたという。
「長尾先生の原作はすっと入ってくるものがあった。長尾先生は医師として、その人の意向に沿った人生の終わり方を提言されていて、それが僕にとっても共鳴できるものだった。すでに死については本をいろいろと読んで、下調べはできていたので、これは映画化したいなと思いましたね」
僕が考える今現在の理想の死を描こう
先述した通り、「痛くない死に方」と「痛い在宅医」という2冊の本をベースにしている。だが、実は、この2冊、相容れるようで相容れない内容。これを合わせるというのはかなりチャレンジングな試みといってもいい。
だが、この2つを合わせることプラス伴明監督のアイデアを入れ込むことで「在宅死」「終末期医療」「自然死」ということの、光と影、功と罪が浮き彫りに。
作品は、ある意味、2部構成で、1部では、「痛い在宅医」に収録された、長尾医師の著書を読んで親御さんの最期を在宅医に頼んだのに、痛い思いをして親を亡くした女性の実話を元に、在宅死のうまくいかなかったショッキングなケースが語られ、2部では患者本人の理想とした幸せなケースが語られる。
また、同時にその2部構成の物語は、在宅医療の道を志す主人公、河田仁の医師としての成長と連動。余命わずかな患者が穏やかな死を迎えられるよう手助けする「痛くない在宅医」を目指していたはずの彼が、「痛い在宅医」になってしまい、そこから真の意味での在宅医療を学び、大きく成長していく過程が描かれる。
「著書の中で長尾先生の書かれていること、現在の在宅医療の現場や医師の対応の在り方といったことへの提言は賛同できることだし、映画でも重要なポイントになってくるのは確か。
ただ、そこばかりに気をとられるとどこか説教臭くなるし、現在の在宅医療の負や悲惨な側面ばかりが強調されかねない。
だから、さきほどいってくれたように2部構成というか、前半では悲惨なケースを徹底的に忖度なくリアルに描いて、逆に後半では、ある種、僕が考える今現在の理想の死を描こうと。後半のパートは、僕の今の死生観であり、理想の死に方の提言といっていい。
余談ですけど、後半パートの末期がん患者役の本多彰は、宇崎(竜童)が演じてくれたんだけど、彼には『あっ、これ、伴明さんを演じればいいんだね』と言われてね、見透かされていた(笑)。
話を戻すと、こうして2つのまったく違う死のケースを提示することで、自らの死について考えるきっかけになるんじゃないかと思ったんです。
また、そうすることで、長尾先生のおっしゃる『痛くない死に方』のことも良くわかるというか。長尾先生が『溺死』とおっしゃられる病院で延命のため薬漬けにされ管に繋がれたままの死であったり、逆に無駄に延命することなく苦しまずに枯れて自然に死んでいく死であったりといったことの現実も伝えられると思いました」
長尾先生の第一印象は、けったいな医者(笑)
本作では、長尾先生自身が医療監修を担当している。会っての印象は?
「映画化が本決まりになって、『一度お会いましょう』ということになったら、ちょうど、東京の築地本願寺で講演があるというのでお伺いしたんですよ。
当日、まず講演を拝見していたんですけど、そうしたら途中で、いきなり歌を歌いだした。もうびっくりして、『痛くない死に方』の姉妹版ともいえるドキュメンタリー映画『けったいな町医者』のタイトル通りで『けったいな医者やな』と思いました(笑)。
規格外すぎるというか。えらい人と出会ったと思いました。
あと、その後、イベントを一緒にやったりもしてるんですけど、とにかくよくしゃべる。話が途切れない。僕は今日は取材を受けているから話してますけど、ふだんはそんな話さないし、話すことも得意じゃない。だから、僕と真逆、対極にいる人だなと思いました。
けど、言ってることはものすごく共感できる。話すことは正論で、共有できることが多いと思いました。
そして、なにより医者としての姿勢に関してはひじょうに感銘を受けました。
往診についていかせていただいたときがあるんですけど、もう服装からしてその辺のおっちゃんといったいで立ちで。白衣は着ず、聴診器一本を持って、訪問先の患者さん宅にふらっと入っていっちゃう。で、患者さんと向き合うと、上からものを言うことが一切ない。気軽に話しかけて、いろいろ聞いて、患者さんからの話もなんでも聞く。同じ目線で向き合って寄り添っているんですね。
その患者さんとの向き合い方がすごく新鮮でした。僕らも、病院にかかると、診てくれる医師がどんなに年下でも、敬語になってかしこまっちゃうところがあるじゃないですか。なんかお殿様じゃないけど、ひれ伏してしまうところがある。
でも、長尾先生の接し方はまったく違う。えらぶるところも、高圧的なところもない。著書を読んでいて、なんとなく長尾先生のパーソナリティや患者さんとの向き合い方に関しては、認識していましたけど、『やっぱりこういう姿勢で日々患者さんと向き合っておられるんだな』と実感しましたね。
ゆえに、通常でイメージするところのお医者さんとはかけ離れている。ある意味、医者らしくはないけど、すごく信頼のおける人だなと思いました。
この人間性であり人間臭さ、患者との距離の近さや対応の仕方は、長尾先生をイメージした役である奥田瑛二演じる長野浩平医師役に反映させたところがあります。
冗舌さは、作品世界とちょっと違うと思ったので、割愛させてもらいましたけど(笑)」
男の俳優としては躊躇うこの役は、下元史朗しかいない
ある意味、伴明監督の死生観の体現者となったのは、もちろん役者たち。そのキャストには伴明監督とゆかりのある実力派俳優たちが顔を揃えた。
「脚本を書いている段階から、『この役は彼がやってくれたら』とイメージはしていて、僕自身は本人にほとんど声をかけていないんだけど、ほんとうに考えていたメンバーが集まってくれた。ありがたいことです。
とりわけ『もう絶対』とイメージしていたのは、前半の末期がんで苦んだ末に死ぬ、大貫敏夫役の下元史朗。この役は彼しかいないと思っていました。
とはいえ、紙おむつ姿をさらさないとならない。男の俳優としては躊躇うはず。全裸にはなれても、紙おむつ姿っていうのは見せたくないと思う。
これを頼めて、実際にやれる俳優を考えれば考えるほど、下元しかいない(笑)。大杉(漣)が生きていたら、彼もやってくれた気がするけどね。
いや、ほんとうによくやってくれたと思います。実際、とてつもない芝居を見せてくれた。もう感謝しかない」
その中で、少しだけ交渉に時間がかかったのが、宇崎竜童扮する本多彰の妻しぐれ役の大谷直子だったという。
「キャスティングの担当者から連絡がきて。『大谷さんが監督に直接お会いしたいといっている』と。
で、会ったら『本当にこの役は自分でいいのか』『私にやれると思うか』と僕に訊いてくる。『そう思うからここまで粘ってお願いしている』と言って。
実は、彼女のことは若い時分から知っていて、よく一緒に飲みにもいってたんです。けど、自分でも意外なんだけど、一回も一緒に仕事をしてない。
だから、言ったんです。『お互いいつ逝ってもおかしくない歳になっているし、体調だって万全じゃない。今、一緒に仕事しておかないと死ぬまでないかもよ』と。
そうしたら『それもそうだ、やるわ』と話がまとまりました(笑)」
佑はもう全方向、360度、振れる役者になっている気がする
こうした大ベテランの名が並ぶ中、主人公の河田を演じたのは、柄本佑。今最も注視される日本人俳優といっていい彼は、伴明監督の目にどう映ったのだろう?
「たとえば、いい人間と悪い人間と両極端に振れる役者を指して、振れ幅のある俳優といわれるけど、佑はそこを通り越しているというか。もう全方向、360度、振れる役者になっている気がする。
どんな役でもできる。いい歌舞伎役者と同じで、演目を選ばない。どんな演目でも一級品の芝居を見せることができる。
映画をこよなく愛しているし、それが口だけじゃなくて、実際に映画をみている。どんな映画の話をしても、佑は知っているんだよね。そういうことが演技の引き出しにもなっているんじゃないかな。
佑もそうだけど、さっきふれた下元も、大谷も、みんないい芝居をしてくれた。
だから、僕としては、今回の映画は役者さんの芝居だけみてくれるだけでいいっていう気持ちもあったりします」
今回は、自身のキャリアにおいて一番、自然体で挑めたところがあるという。
「今までの映画の中で一番、力が入っていない気がする。手を抜いているわけじゃない。いい意味で力みがないというかな。
若いころは、こだわりや執着があって、変に気合が入ったり、入れ込み過ぎて空回りするようなことがあったんだけど、今回は、力まず悩まず、肩にぜんぜん力が入っていない。
そういう気持ちで臨めたのは、もしかしたら、長尾先生の影響かもしれない。長尾先生は死を前にした人の前でも、深刻ぶらず、気取らず、自然体で向き合う。そういう心持で挑みたいと思ったんです」
映画の理論や技法について学ぶことの大切さは否定しない。
でも、まずは現場を知ってなんぼだろう
新たな1作を作り上げた伴明監督だが、2年前までは京都造形芸術大学(現京都芸術大学)で後進を指導。近年、同大学からは、女優としては本作にも出演している大西礼芳、土村芳、土居志央梨、村上由規乃、映画館監督ではぴあフィルムフェスティバルでグランプリに輝いた『オーファンズ・ブルース』の工藤梨穂ら、才能あふれる若手が生まれている。
「まあ、僕が教えたからどうこうというわけじゃないでしょうけど、最近は教え子と現場で会ったりして。それはうれしいことです。やっぱり。
大学で教鞭をとったわけだけど、はじめに感じたのは『映画を教えるなんてできないな』と(苦笑)。だから、自分の映画との向き合い方を学生たちに見せるしかないと思ったんですよ。そこから各々が考えて、自分の道をみつけてくれと。
自身が俺流を貫くことで、それをうけた学生の一人一人の個性や輝くものを発見できればいいかなと思って、その隠れている個性や長所を掘り起こして発見してあげることがたぶん自分の仕事なんだろうなと。
で、その才能を発見するためには一緒に働くのが一番分かりやすい。だから、なるべく僕の撮影現場に入って経験させることを大切にしました。現場主義です。まあ、自分が若者たちに与えられるのが、それしかなかったというのもあるんだけどね(笑)
もちろん映画の理論や技法について学ぶことの大切さは否定しない。でも、そもそも、僕は若松(孝二監督)さんとかといっしょで、映画の理論を教えたって意味ないんじゃないのと思ってるタイプだから(苦笑)。アカデミックに考えることも映画についてのインテリジェンスも大事だけども、まずは現場を知ってなんぼだろうと。
結局、10年やったんですけど、まあその考えは変わらなかったですね。
大学は離れたんですけど、『読んでほしい』と教え子からシナリオが送られてきたりして、授業の延長をやっているような部分もあります。いま映像を作ったら、YouTubeとかですぐ送れるから『見て感想を』とか。だから、学生の作った映画をよく見ていますよ。
実は、今回の『痛くない死に方』の現場にも何人か昔の教え子が入ってくれたんですよ。録音部のチーフと、撮影助手だったかな。ただ、大西のようにキャストはわかりますけど、スタッフの助手とかになると、各部署の技師が助手を選ぶので、最初の段階では名前を把握していないじゃないですか。だから現場で初めて顔合わせて『おおっ、そうなの』と驚いて、再会を喜ぶみたいな感じで。そうやって現場で会えるのはうれしいですよ」
先述した通り、気づけば伴明監督も70代を超えてきた。今後をどう考えているのだろう?
「もちろんなにかオファーがあればやりたいし、自分でやりたいと思ってシナリオを書いてもいます。
まあ、書いたところで現実に撮れるかはわからないけど、映画のことを考えるのは楽しい。これからも僕は映画の中で息をしながら生きていくんでしょう」
「痛くない死に方」
監督・脚本:高橋伴明
出演:柄本佑 坂井真紀 余貴美子 大谷直子 宇崎竜童 奥田瑛二
原作・医療監修:長尾和宏
全国順次公開中
場面写真及びポスタービジュアルはすべて(c)「痛くない死に方」製作委員会