風化しなかったインドネシア・シムル島の津波避難の歌、神戸の防災音楽ユニットが信じる「音楽の力」
阪神・淡路大震災から2021年1月17日で26年。当時、神戸市長田区の自宅が全壊したボイスパーカッションのKAZZさん(48)は、屋台村で歌ったことをきっかけにプロのアカペラグループで活動するようになり、2017年、ボーカル&ギター、石田裕之さん(40)と防災音楽ユニット「Bloom Works(ブルームワークス)」を結成した。防災のメッセージを織り交ぜた音楽には、どのような力があるのか。2人に話を聞いた。
ブルームワークス結成の経緯や現在の活動などについては、前回の記事(「防災を文化に」神戸の音楽ユニットが発信する、何度も聴ける防災ソング【阪神・淡路大震災26年】)で書いた。災害伝言ダイヤルやシェイクアウト訓練、三陸地方に伝わる「津波てんでんこ」……。ポップな曲に乗せた防災のメッセージは、「防災を学ぼう」と肩に力を入れずとも、すっと心に入ってくる。
「日常的に聴けて、よくよく聴いたら歌詞の中で『災害伝言ダイヤル(の番号)が171だ』と分かる。ドライブや通勤などで抵抗なく聴ける歌で、防災に関心のない人にも伝えたい」(石田さん)
最後は「肩を組んで大合唱」 東日本大震災の被災地で感じた音楽の力
KAZZさんは屋台村でアカペラで歌っていた際に、音楽の力を感じた。震災後しばらくは大きな音を出すのがはばかられたため、声だけのアカペラや、口でドラムの音などを出すボイスパーカッションはちょうど良かった。歌を聴いた人たちからは「元気づけられた」と声をかけられた。
語り部として全国の小中高校、大学などを回った際も、被災体験を話す合間に、アカペラで神戸で生まれ、現在も歌い継がれている「しあわせ運べるように」を歌った。「歌を聴いてくれると、メッセージが入りやすいんです。『よう分からん人やけど、話を聞いてみよう』となる」
一方、石田さんが「音楽をやっていて良かった」と思ったのは、2011年の東日本大震災後、70回以上通った被災地でだった。震災の2か月後ごろからボランティアバスに応募して宮城県石巻市や女川町に行き、がれき撤去などを手伝った。当時も音楽活動をしていたが、「行ってよそ者が歌っていいのかなと。とにかく役立てれば、泥かきだけできればいいや、と思っていました」
しかし、ボランティアバスを運営し、石田さんの活動を知る社会福祉協議会のスタッフから、現地での慰問演奏を提案された。ギターを持ち、初めて訪ねたのは、女川町の体育館。「おっかなびっくりで。声のかけ方から分からないですし、何を歌っていいかも分かりませんでした」。「安請け合いしたかな。かえって嫌な思いをさせてしまったらどうしよう」とも思ったが、そこにいた人たちに、正直に「ごめんなさい、何を歌っていいか分からないまま来ちゃったんです」と話した。
だが、リクエストに応えられるように、歌集を持ってきていた。「よかったら聴きたい歌があれば、リクエストしてくれますか。せっかくだから、皆さんも一緒に前に出て歌いませんか」。そう呼びかけると、1人、また1人と地域の人たちが前に出てきて、歌ってくれた。
そうするうちに、石田さんと地域の人たちとの距離は縮まっていった。最後は、みんなで肩を組んでの大合唱。「これはなんだ。普通の支援だったら、こんなことはないかもしれない。音楽ってすごかったんだ」。ひしひしと感じた。
重々しく、ポップに……さまざまな形で広がるシムル島の「避難の歌」
さらに2019年11月、22万人以上の死者・行方不明者が出たスマトラ島沖地震(2004年)の被災地、インドネシア・アチェ州を訪れた2人は、小さな島で伝わる津波からの避難を呼びかける歌を聴き、音楽の力を再認識した。
アチェ州では、地震による津波などで16万人以上が犠牲となった。しかし、人口約7万8000人のシムル島では、震源地から約60キロの距離にありながら、犠牲者は7人だった。島民は津波の際、島に伝わる「スモン」(津波という意味)という歌を思い出して、高台に避難したという。
アチェ州に到着した2人は、まずシムル島出身の女性にスモンを聴かせてもらった。母親の子守歌だったというスモンのメロディーは美しく、優しかった。「こういう歌なら広がっていくのは分かるな」と納得したが、翌日、島に渡って衝撃を受けた。(Bloom WorksのYouTubeチャンネルより、その際に聴いたスモンはこちら)
島の伝承者が歌うスモンは、前日に聴いた女性の歌とまったく違っていた。弦楽器や打楽器の音に合わせて、重々しく響くスモン。日本の能楽、またはモンゴルの歌唱法「ホーミー」のようだと言えば分かってもらえるだろうか。(その際のスモンはこちら)
伝承者によると、スモンは、シムル島で古くから結婚式などの祭事で歌い継がれてきた「ナンドン」という叙事詩の一部で、約100年前、島を襲った津波を教訓に付け加えられたという。
2人は伝承者に、前日に聴いたポップなスモンについてどう思うか聞いてみた。「怒るかもしれないな」とも思ったが、意外な言葉が返ってきた。「いいことだと思う」。伝承者は続けた。「『津波が来たら高台に逃げよう』というメッセージがみんなに届けば、それで命が助かるなら、それが一番いいんだから」
「ああ、これが本当の文化の正体なんだな。いま僕たちがやろうとしていることの根幹にあるのはそこなんだな、と思ったんです」とKAZZさん。石田さんは「時が経てば風化してしまう教訓も、歌だったら乗り越えられる。音楽には、言葉以上の伝播力、伝承力があるんだな」と感じた。
シムル島での体験を経て、2020年8月、阪神・淡路大震災の経験と教訓を伝える神戸市の「人と防災未来センター」のオンラインワークショップで、視聴者と一緒に「自分たちのスモン」を作った。視聴者から投稿してもらった防災のメッセージを次々と付せんに書き出してホワイトボードにはり、組み合わせて歌詞を作っていく。即興でメロディーをつけて、ワンコーラスを披露した。
「僕たちを知って、防災についても知ってもらいたい」
いま、2人は音楽の力を頼りに、防災について伝えようとしている。目標はメジャーデビュー。KAZZさんは「メジャーになってたくさんの人たちに僕たちを知ってもらうことは、防災をたくさんの人たちに知ってもらうということ。とにかく僕たちの音楽を聴いてほしい」と話す。きっかけになる曲は、防災ソングじゃなくてもいい。
「自分たちがあるということは、社会が自分たちを求めているんだよ」。KAZZさんが兵庫県立大学大学院の減災復興政策研究科で、「防災と音楽」について研究していた時に、恩師からこう言われた。自分たちがいま取り組んでいることも、少なからず時代の要請があって始まったのではないか。そう信じて、2人は発信し続ける。
撮影=筆者(一部写真は提供)