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<ガンバ大阪・定期便VOL.12>橋本篤マネージャーが語る『特別なシーズン』。そして、愛妻との別れ。

高村美砂フリーランス・スポーツライター
細かな配慮でガンバ大阪を、選手を支える名物マネージャー。 写真提供/ガンバ大阪

 今シーズンは、ガンバ大阪を支える『裏方』のクラブスタッフにとっても激動の1年になった。緊急事態宣言による活動中止、Jリーグの長期中断ーー。日程が決まってからも、その都度、瞬発的な対応力を求められた。そんな舞台裏を教えてくれたのは、ガンバのマネージャー歴も21年目を数える橋本篤だ。

 日々のトレーニングの準備はもちろん、例年以上の『連戦』の中でホテルや移動手段の確保、衛生面での配慮など、いろんなことが慌ただしく動いた。加えて、夏には長い時間、苦楽をともにしてきたチームの大黒柱・遠藤保仁がジュビロ磐田に期限付き移籍ーー。

 目まぐるしく駆け抜けた1年を「特別なシーズンだった」と振り返るのも無理はない。

「ガンバに限らず、どのチームもそうだっだと思いますが、緊急事態宣言が出されたばかりの頃は先のスケジュールが見えず、特にアウェイ戦の移動はどうするのか、ホテルや食事はどうするのか。ビュッフェ形式の食事に代わる、弁当の手配はどうするのか、などいろんな対応に追われました」

 クラブハウスや練習場の利用にも制限がかけられ、それに伴い仕事も変化した。選手が利用した後のロッカーや練習場、使った用具の除菌・消毒が当たり前の毎日になったのも1つだ。橋本によれば「選手、スタッフがそれぞれに自覚を持って行動してくれたので助かった」とのことだが、橋本を始めとする裏方スタッフの責任感の強さを思えば、彼らがどれだけ細かく衛生面に気を配っていたのかは想像に難くない。

「練習再開当初は洗濯をお願いしている業者さんもクラブハウスに立ち入れなかったので、選手ごとに練習着などを渡して管理してもらい、洗濯も各自にお願いしていました。そう言った意味ではそれぞれの家族にサポートしてもらったところもたくさんありました。練習が再開した当初は、シャワーやロッカールームも利用できなかったので、練習後は汗でドロドロの状態で車に乗り込んで帰宅するという感じで…選手は大変だったと思いますが、一方で誰もが普段どれだけ周りの人にサポートされて自分たちがあるのかを改めて実感する時間にもなりました。今は、世の中の状況も見ながら可能な範囲で少しずつ元に戻していますが、未だに湯船は使用しないとか、デイゲームの試合後はホテルに戻って食事を摂るのではなくロッカーで弁当を食べるとか。バスや新幹線など移動中の食事はNGとか、まだまだ全てが元通りとはいきません。ただ、今はサポーターの皆さんを含めて誰にとっても我慢の時間が続いていますからね。選手もスタッフも『例年とは違う状況に慣れること』を心がけて毎日を過ごしています。このままみんなが元気でシーズンを終えられるように、最後まで気を抜かずに僕たちも全力でサポートを徹底したいと思っています」

 今シーズンが橋本にとって『特別なシーズン』になったのにはもう1つ理由がある。実は4月18日に3年半に及ぶ闘病生活を送ってきた最愛の妻・朝子(ともこ)さんを亡くしていた。早過ぎる別れだった。

「どんなときも、僕の仕事を一番に考えてくれて『家のことは気にせずに、好きな仕事を頑張ってほしい』と背中を押してくれていました。朝子も娘も、ガンバのことが大好きでいつも僕と一緒になってガンバのことを考え、応援してくれて、支えてくれた。家のことは任せっきりで仕事に熱を注げたのも、朝子のおかげです。もっといろんなところに連れて行ってあげたかったし、話したかった。娘の成長を一緒に楽しみたかったです」

 半年が過ぎた今も、朝子さんを思い出して声が震え、涙が溢れる。この3年半は朝子さんの「プライベートも、仕事もいつも通りに過ごしてほしい」という意向を尊重し、ほぼ誰にも告げずに毎日を過ごしてきたそうだが、そこにはきっと言い知れぬ葛藤もあったことだろう。そのことを想像し、また、練習がある日は1、2番を争う早さでクラブハウスに来て準備に取り掛かり、時に練習がない日も遠征の片付けや準備に勤しんでいた橋本の姿を重ねて、胸が詰まる。

「初めて病気を告げられた時から朝子は『ガンバに迷惑をかけたくない』と話していたので、僕も敢えて、これまで通りに毎日を過ごしてきました。最後の1年間こそ、病院への送り迎えの時に少し早く帰らせてもらったりしたこともあったけど、それさえも嫌がるほどで…。緊急事態宣言で僕が自宅待機になっていた時に旅立ったのも、ガンバに迷惑をかけたくないという思いを最期まで貫いたんだと思います。本当に強い心の強い女性でした。それに比べて僕は今でも毎日、涙が出てきて…彼女の方が僕の何倍も辛かったはずだから情けない限りですけど、朝子のおかげで続けてこられた仕事だからこそ、僕も頑張らないといけないと思っているし、残り少なくなったシーズンも全力でサポートして、最後は天皇杯の『タイトル』を喜びたいです」

 以前は、決まって朝子さんと二人でホームゲームに足を運んでいた愛娘も「最近は一人で自転車に乗って応援しに来てくれている」そうだ。生活は大きく変わり、毎日の夕食は橋本が担当し、朝食と中学校に持参する昼食用のお弁当は娘さんが自分で用意するようになるなど、いろんなことを二人で相談しながら過ごしていると話す。

「弁当を作ろうか? と聞いたら、『昼休みに友達と食べる時に、可愛いお弁当じゃないと恥ずかしいから』と断られました(笑)。夕食は…僕だけなら外食でいいんですけど、娘はまだ食べ盛りですからね。野菜だ、タンパク質だと僕なりに栄養バランスを考えて作った料理を娘もちゃんと食べてくれているので良かったです。毎日、献立を考えたり、買い物をしたり、掃除、洗濯とやることはたくさんあって時間が足りないくらいですが、娘も助けてくれているし、家族や仲間も支えてくれていますから。朝子もきっと遠くから『頑張って』と言っているので、それに応えられるように…嫁がいつも楽しみにしていたガンバの勝利と『タイトル』を取って報告したいです。朝子が安心できるように…」

 最後はまた涙声になる。そんな自分に活を入れるように、息を大きく吸い込み、言葉に力を込めて繰り返す。

「天皇杯、優勝したいです!」

 その言葉を聞きながら、今はただ『特別なシーズン』が『天皇杯優勝』で締めくくられることを切に願う。その瞬間にはきっとたくさんの笑顔があると信じて。

フリーランス・スポーツライター

雑誌社勤務を経て、98年よりフリーライターに。現在は、関西サッカー界を中心に活動する。ガンバ大阪やヴィッセル神戸の取材がメイン。著書『ガンバ大阪30年のものがたり』。

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