山本太郎議員「伝えたいことというものがあふれた」直訴に見る甘え
山本太郎参議院議員が園遊会で天皇陛下で被ばくの実態に関する直訴文とされるものを手渡したとし、批判を受けています。ヤフーが行っている意識調査「天皇陛下に手紙を渡した山本太郎氏の行為をどう思う?」には、11月1日19時の時点で40万6000票以上が集まっていることからも、このニュースの注目度が分かります。意識調査の結果は、「支持しない」が83.4%です(11月1日19時時点)。
ヤフー個人でも、すでに以下のような記事が出ています。
山本太郎さんの天皇陛下への直訴状騒動(山本一郎氏/11/1)
園遊会で手紙を手渡したら処分に辞職?(神田敏晶氏/11/1)
ツイッターなどでの反応を見たところ、山本議員の行動を批判する立場の人からは「天皇陛下の政治的利用にあたる行為。辞職するべき」「直訴しなくても天皇陛下は十分憂慮している。とても失礼な行為」、そうではない人からは、「手紙を渡すことが政治的利用ならば、オリンピック招致の場での皇室のスピーチも政治的利用にあたるのではないか」「安倍首相が4月の式典で『天皇陛下万歳』と言ったことは政治利用ではないのか」「些細なことを騒ぎ過ぎではないか」という意見が見られました。
山本一郎氏の記事で問題点などはすでにまとめてあり、私が記事に書くことではないかとも思いましたが、参考になると感じた文章がツイッターにありましたので、引用いたします。作家・藤谷治氏(@yuntachura)のツイートです。
一部の報道では、山本議員は「マスコミが騒いだから、政治利用ということになってしまった」と記者団に主張したといいます。しかし、反原発派として先頭に立つ格好になっている山本議員の行動にどれだけ注目が集まっているかについて、ご本人の考えが至らなかったのであれば、それはやはり政治家としてのミスなのだろうと思います。「反原発派だから些細なことを過大に報じられている」という指摘もありますが、「反原発派だから目の敵にされる」という自覚があるのであれば、さらに慎重になるべきだったのではないでしょうか。
作家の福田和也氏は、『悪の対話術』などの本で、大人が自分の無垢さをアピールし押しつけようとすることの害悪を語っています。山本議員は「伝えたいことというものがあふれた形です」「この国に生きるものの一人として、政治家である前に人間として」などと語り、「単なる、政治パフォーマンスにしかみえない」という記者の問いかけには「どうしてですか」と答えたといいます(産経ニュース/山本太郎会見詳報)が、一連の言動から、純粋な気持ちを感情の赴くままに伝えることが正義であるとでもいうかのような、幼稚な思考を感じてしまいます。藤谷氏が「『山本氏は「反原発派は礼儀も現実も知らない」って思いたい人に格好のサンプルを提供している人』と思ってしまう」と仰っていますが、全く同意です。
これまで山本議員はストレートに意見を言い、行動することで支持を集めてきたのだと思いますが、その「戦法」がどこでも通じるという思い込みは楽観的過ぎます。また、もし通じないだろうと予測できていたのであれば、なぜあえてそれを行ったのでしょうか。ネット上には「山本議員に投票した有権者は責任を取れ」というコメントがありましたが、山本議員の行動は、投票した人たちさえ裏切る行為だったのではないかと感じました。