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【富田林市】ここにも古墳?近鉄川西駅の西側に、こんもり盛り上がった小山の正体は。

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

昨日は3年ぶりに富田林農業祭(外部リンク)が開催されましたね。場所は近鉄川西駅近くの石川河川敷でしたが、その河川敷と反対側、川西駅の西側には錦織神社やすばるホールがあり、南側に国道309号線、西側に大阪外環状線(国道170号線)があります。

しかしふたつの国道が交差する位置から見て北東の位置、川西駅からは西、錦織神社から南に位置するところにある住宅地に囲まれるように、緑の小さな山があります。これは古墳でしょうか?それとも別の何か?気になったので調べてみました。

今回はこの緑の小山の正体がすぐにわかりました。新家(しんけ)古墳と呼ばれる古墳でした。すぐ横には東高野街道が通っていて、新家の住宅地が集まっている中にポツリと古墳が見えていたのです。

こちらはネット上で公開されていて、ダウンロードできる富田林市の教育委員会が編集した文化財調査報告書ですが、ここにも新家古墳と明記してあります。

近鉄川西駅から続いている東高野街道を少し歩くと見えてきました。緑の小山こと新家古墳です。

古墳の周りは私有地に囲まれているようで、近づくことはできません。しかし、遠くからでも盛り上がっているのが見えるので、すぐにわかりました。

高さは2.5メートルほどで、航空地図から見たところでは1辺20メートルほどの方墳に見えますが、情報を調べてみるとそうではなく、すでに古墳としての原形はとどめていないとのこと。

過去には発掘調査はされず、測量調査のみが行われました。その結果、円墳で直径約40メートル、周濠幅が7、8メートル以上はあると考えられています。

また測量調査の時には、一部で5世紀前半頃の特徴を持つ円筒埴輪が並べられた状態で露出していたそうです。

また発掘調査を行っていないので、裏付けされてはいないそうですが、古墳の規模により地域首長クラスの人が眠ると推定。古墳の規模から、比較的大きな地域一帯を治めていた有力者の可能性が高いそうです。

発掘調査も行われていませんし、中に入ることはできませんが、古墳を最大にズームした状態で見ると、奥の薄暗い場所が見えました。

完全に想像ですが、もしかしたらあの中に新家古墳の謎を解くカギが眠っているのかもしれません。

古墳からもう少し東高野街道を歩くと、国道309号線の陸橋があります。この陸橋は地図で見る限り東高野街道の扱いになっているようで、国道ができる前は古い街道だったと考えられます。

東高野街道ができる遥か前に新家古墳が出来たと考えられますが、東高野街道を歩いて高野山を目指していた人が、突然真横に現れる小さな丘を見てどう思ったのか、そんなことを考えるのも楽しいです。

新家古墳
住所:大阪府富田林市甲田4丁目13-18
アクセス:近鉄川西駅から徒歩3分

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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