多方面で活躍した音楽家でパフォーマーで美術家の生涯をたどる「芸術家・今井次郎」
10月30日から、「芸術家・今井次郎」が公開される。
今井次郎は、肩書きの多い人物である。作曲家、ミュージシャンとしては、1980年代初頭、東京のパンク/オルタナティブ音楽シーンで台頭したバンド「PUNGO(パンゴ)」のメンバーとして活動。その後、コクシネルやコンポステラなどでも演奏を続け、50歳を過ぎた頃から若い連中とパンクバンド「Aujourd'hui il fait beau(オージュルデュイ・イルフェボウ)」を組んだり、「たま」のメンバーだった石川浩司と「DEBU DEBU」というユニットで舞台に立ったりした。
それから、パフォーマーとしては、現在も活動中の時々自動(ときどきじどう)で作曲家兼出演者として活躍。時々自動は映像を大胆に取り込んだ表現で知られ、出演者が楽器の演奏も自ら行うパフォーマンス・グループだ。
そして、今井は1990年代半ばからは美術家としても活動の範囲を広げた。JIROX(ジロックス)名義で日用品やそこらへんのものを寄せ集めて制作したオブジェや絵画を発表。銀座のギャラリーで個展を開いたり、作品とともにパフォーマンスを行う「JIROX DOLLS SHOW」を見せ続けたりした。
だが、そんな多方面に活動した今井次郎は、2012年に半年に及ぶ入院を経て急逝。今井がちょうど60歳の時だ。
青野真悟監督+大久保英樹監督にインタビュー
「芸術家・今井次郎」は今井のさまざまな表現をたどるドキュメンタリーだ。なお、筆者は80年代後半から今井の舞台や展覧会などにたびたび触れてきた。見るたびに新しい今井次郎像と表現に出合えたから、飽きもせず足を運んだ。だから、この映画を見ると、今井への理解がいちだんと深まるものと期待していた。
だが、実際は違った。今井次郎がいったい何者なのか、ますますわけがわからなくなった。心地よく裏切られたのである。
というのも、多角的に活動した人物を紹介するにあたっては、作曲家の面、パフォーマーの顔、美術家としての側面など整理整頓して語るのが定石である。ところが、この映画ではそんなことお構いなしに、未整理のまま進んでいく。だからかえって、ありのままの等身大の今井次郎がスクリーンにいる。
この「芸術家・今井次郎」について、共同監督を務めた青野真悟と大久保英樹に語ってもらった。
トリビュートライブを柱にした音楽映画
──多方面の活動をあえて整理整頓しなかった理由は?
青野 できなかったんだと思う。「あえて」というより、ほんと、できなかった。
大久保 PUNGOのメンバーのインタビューで、佐藤幸雄さんは「次郎さんがPUNGOの音楽を支えていた」と証言してる一方で、向島ゆり子さんは「とにかく練習しない」と言ってて、まったく違う印象に感じられる。でも、どっちも真実で、統一されてなくてもいいじゃないかと思った。そのあたりが整理しなかったことにつながったのかも。
──構成はどの段階で決まってきたんですか? 最初から大まかな構成はあった?
青野 最初はまったくなかった。関係者へのインタビューをほぼ撮り終えたあたりから構成を考え始めた。
大久保 その前に、プロデューサー橋本佳子さんのアイディアで、次郎さんと一緒に活動していた人たちが出演するトリビュートライブをすることになって。ドキュメンタリーには今のものがないと作品として成立しないから、ということで。そのプランにぼくらも賛成して、ライブを柱にして証言を構成していこうということに。で、構成案を考えようとポストイットにシーンを書き込んで、いろいろ並べ替えたりしたんだけど……。
青野 役に立たなかったね。
大久保 うん。で、二人でパートを分けて編集していくことになって。
──演奏シーンが中心ですが、映像にも独特のリズム感がありますよね。
青野 これはどう転んでもやはり「音楽映画」なんだという思いに至ったときに編集作業が加速した。ちょうどコロナ禍が始まった頃で、リモートでやりとりするようになって一気に進んだ。
今井次郎の活動を残し、多くの人に知ってもらう
──過去の記録映像も収録されてますけど、膨大な映像を見るだけで大変だったのでは?
大久保 映像素材がVHSやら8ミリビデオとか古い規格も多くて、見る以前に、それらを再生してデジタル化することから大変で。
青野 ただ、若い人たちとやってる活動を優先させたくて、古い映像はあまり使わなかったけど。
大久保 それは正解だったと思う。次郎さんのやってきたことを残す、残すというか多くの人に知ってもらうための映画だし。
青野 そう、だからドキュメンタリー映画の監督をしたという自覚はあまりない。
──ナレーションを使わなかった理由は?
青野 最初からナレーションはやめておこう、と。
大久保 次郎さんは田口トモロヲさんとバンドや演劇をやってたこともあったから、ナレーションを頼もうかという案もあったけど……まあ、いらないか、と。
世の中にはこんなに面白い人がいるのか!
なお、青野真悟監督と大久保英樹監督は、今井次郎とともに前述のパフォーマンス・グループ「時々自動」のメンバーだった。二人は出演もしたが、映像を主に手がけた。そして、彼ら三人は国内はもちろん、海外公演にも何度も一緒に出かけた関係でもある。
──次郎さんに初めて会ったときの印象は覚えてますか?
青野 面白い人がいるなあ、世の中にはこんなに面白い人がいるのかあって。雑木林を歩いてたら、突然巨木に出くわした感じ。3分に一回は笑わせてくれて、楽しくて楽しくて。
大久保 ぼくも青野も田舎出身だから、次郎さんと知り合って東京にはこんな人がいるのかと驚いた。変だけど、おかしくて。とにかく圧倒的だった。
青野 稽古場ではずっと冗談ばかり言ってふざけてたかと思うと、つくってきた新しい曲が、凄く美しくて繊細な曲だったりして、驚かされる。次郎さんは、そこにいるだけで面白い、存在自体が面白い人なんだけど、映像では十全に伝わらないというもどかしさはあった。
──「芸術家・今井次郎」というタイトルが決まった経緯を教えて下さい。
大久保 トリビュートライブのタイトルは「Be Happy! 幸せになっちゃおう」で、これは映画の最後に出てくる次郎さんの曲のタイトル。
青野 この曲は東日本大震災の後すぐにつくった曲で、自粛ムード真っ只中に次郎さんが小っちゃな声で「幸せになっちゃおう」とつぶやく。映画の中でも大事な曲で、最後に出てくるけど、最初に使うプランもあった。
大久保 で、映画のタイトルもこれでいこうと考えてた。でも、プロデューサーの橋本さんに「アルファベットは縦書きの媒体に嫌がられるかも」と言われて。「『FAKE』(森達也監督、2016年)の時も、苦労した、たった4文字なのに」、と。でも、だからといって「ビー・ハッピー!」とカタカナにするのはありえないし、どうしようかと悩んだ。で、結局「芸術家・今井次郎」になった。決まってみると今井さんの多様性をまとめるにはこれしかないと確信した。
そして、この映画の公開に合わせ、目白のブックギャラリーポポタムで『映画「芸術家・今井次郎」特別展』が開催される。JIROXこと今井次郎のオブジェ作品、映画にはない映像、病院食で作ったMEAL ARTの写真などで構成される展覧会だ。
今井次郎は、亡くなった後も発表の場が多角的である。