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繰り返す歴史の中で、紡ぎ出された革新――ムグルザがウィンブルドン史上2人目のスペイン人女王に

内田暁フリーランスライター
(写真:アフロ)

今年で140年を迎えるウィンブルドンの伝統が、このような歴史の繰り返しを演出するのだろうか――?

プレーヤーズラウンジからセンターコートに続く通路には、歴代の優勝者の名が刻まれたプレートが掲げられている。その前を通る度に、ガビネ・ムグルザは連綿と続くチャンピオンの系譜に思いを馳せ、歴史を吸い込み、「ここに自分の名前を残したら……後世の人たちが、私の名前を見ることになるんだな」と思ったという。その女王のリストの中には、スペイン人の名前も一つだけ刻まれている。

コンチタ・マルチネス……今はスペインナショナルチームの監督であり、今大会ではムグルザのコーチとして共に時間を過ごし、アドバイスを与えた人物である。

そのマルチネスの言葉を受け、歴代女王の名が書かれたプレートの前を通過し足を踏み入れたセンターコート決勝の舞台で、ムグルザを待っているのは、37歳のビーナス・ウィリアムズ。過去5度このコートで優勝プレートを抱いた偉大な女王であり、この大会の決勝に勝ち進んだ女子選手としては、史上2番目の年長者でもある。ちなみに史上最年長のファイナリストは、1994年の決勝進出者である、当時37歳のマルチナ・ナブラチロワ。そのナブラチロワが優勝をかけて戦った相手こそが、くしくも、当時22歳のマルチネスだった。

繰り返された37歳のアメリカ人と20代前半のスペイン人による決勝戦は、時の移ろいと現在のパワーテニス時代を象徴するかのような、激しい強打の打ち合いとなる。それも足を止めての力比べではなく、常にクロスに、そしてストレートへと展開しあい、そのたびにボールはコーナーギリギリに刺さった。しかもラリーは、簡単には終わらない。両者ともに左右に走り、それでも下がることなくボールを打つ度にポジションを上げ、最後はスイングボレーでラリーに終止符を打つ局面が増えていく。両者四つに組みあった五分の展開は、ムグルザサーブの第10ゲームで、ビーナスが2本のブレークポイントにしてセットポイントを手にする形で、最初の大きな分岐点を迎えていた。

この15-40の場面で、20本の長い打ち合いの末にビーナスがフォアハンドをネットに掛け、まずはムグルザが1本目の危機を脱する。そして実はこのラリーこそが、決勝戦の趨勢を左右する、決定的なターニングポイントであった。ただもちろん、それは試合が終わった時に気づくことで、この時点でそのことを知る者は居ない。しかしここからのムグルザは、8ポイントのうち1本しか落とさぬ電車道を走り出す。ブレークの危機を脱っしたのを機に3ゲームを連取したムグルザが、7-5で第1セットを奪い去った。

第2セットは、最初のゲームが全てだったろう。デュースの末にこのゲームをブレークしたムグルザは、以降は明らかに動きが落ちショットの精度を落としたビーナスを尻目に、一気に加速し優勝へとひた走る。振り返れば、第1セットのあのブレークポイント以降、ムグルザはゲームを落とす気配すらなかった。

歴史は繰り返され、伝統は守られる。特にウィンブルドンのセンターコートでは、140年を誇る英国の格式が重くのしかかり、革新を拒絶する。だがその決勝戦の、勝敗を決する最後のボールの行方が“ホークアイ(ビデオ判定)”に委ねられたというのは、なんとも奇妙な巡り合わせだ。

マッチポイントで、ビーナスのショットがラインを割ったと確信するムグルザが、素早く手を上げ「チャレンジ」を宣告する。

その声に続いてコート内の巨大モニターに、 “リプレイ”が映し出される。1万5千人の視線が注ぐスクリーンの、人工的な明かりが再現するボールの行方を見届けた時、彼女は両手で顔を覆い、その場に崩れるように芝にひざをつく――それは140年の歴史のなかで、誰もが初めて目にする、新女王誕生のシーンだった。

表彰式からほどなくして、ムグルザは例のチャンピオンボードの前へと行き、そこに自分の名が刻まれたことを確認すると、少女のようにはしゃいだ。

そして通路の奥で自分の帰りを待つ、トレーナーやヒッティングパートナーらチームスタッフたちと、喜びを分かち合う。その場に一足遅れてマルチネスが訪れると、二人は飛び跳ね、叫び声を上げながら、かたいハグを交わした。

「コンチータが居てくれたのは、本当に心強かった。彼女がナブラチロワに勝ち、今回は私がビーナスを勝って……素晴らしいわ」

23年前も、そして恐らくは今回も、観客やメディアの思いはノスタルジーに惹かれ勝ちで、年長者へと傾きやすい。しかし、ムグルザはいう。

「いいじゃない! 新しい名前が刻まれたのよ!」

歴史は繰り返す。だが、巻き戻る訳ではない。

ウィンブルドンのセンターコートは伝統を守り、過去を未来へとつなぎながら、新たな女王の誕生を祝福した。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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