「職場のネグレクト」が企業の重荷に
■人への投資 企業価値左右
「人への投資」「人的資本経営」「リスキリング」というキーワードに注目が集まっている。日本経済新聞は8月7日、人的資本効率のスコアが高い企業のほうが、低い企業に比べて投資リターンが大きいという調査結果をトップニュースで伝えた。
岸田政権の「新しい資本主義」でも
・研修時間
・研修参加率
・従業員の多様性
・エンゲージメントスコア
といった項目を企業に開示するよう求める。株価や業績との連動性のみならず、世界で見劣りする「日本企業の労働生産性アップ」に寄与することもわかっており、このような「人への投資」に対する関心は高まるばかりだ。
※「人的資本」の注目度は2022年に入ってから急上昇している。
■「人への投資」は具体的に何?
とはいえ「人への投資」「人的資本経営」と言われても、具体的にどうすればいいかわからない人も多いだろう。私はひとえに「リスキリング」だと考えている。いわゆる「学び直し」だ。
昨今、筆者が同テーマで講演した資料(抜粋)で使った7つのカテゴリを紹介しよう。
〇育成
〇エンゲージメント
〇流動性
〇ダイバーシティ
〇健康・安全
〇労働慣行
〇コンプライアンス
政府から開示要求されるテーマは、これら7つのカテゴリが中心になるだろうと考えたからだ。
講演の中で筆者は、最も重要なのは「育成」だと主張した。なぜなら、「育成」以外の「エンゲージメント」「流動性」「ダイバーシティ」「健康・安全」「労働慣行」「コンプライアンス」すべてが、正しい教育を定期的に受けないと改善できないスコアだからだ。
つまり「人材育成」なくして「人への投資」が健全になされているとは言えないのである。
では、なぜ「リスキリング」が重要なのか?
■増える「職場のネグレクト」
企業講演や企業研修を実施する身として、常に感じるのは参加者の大半が「おじさん」という事実だ。経営コンサルタントになって17年以上が経ったが、この事実は今も変わらない。
特に中小企業では顕著だ。業種、業界は関係がなく「女性」「若者」が研修や講演に参加しない。理由は2つある。
1.中間管理職向けの研修が多い(もしくは、それしかやらない)
2.女性、若者の参加率が低い(もしくは参加できる雰囲気が職場にない)
まずは企業側の問題だ。若者は「実務スキル」を身につけるための研修は受けさせてもらえるが、汎用的なビジネススキル(マネジメントやコミュニケーション、メンタルヘルス、マーケティング、ブランディング……)の研修はあまり用意されていない。
組織のリーダーやマネジャーになってから勉強するもの、と考える企業が多いのだろうが、それでは遅い。組織マネジャーになってからマネジメントやコミュニケーション、マーケティングなどを勉強しても効果は薄いし、30代後半から40代になってはじめて研修を受講する人が多く、
「研修の受け方がわからない」
という人も非常に多く、学習効率が低い。そもそも実務スキルと異なり、汎用的なビジネススキルの研修は読書と似ている。新しい知識やノウハウが手に入ったらすぐに効果があるものではない。プログラミング研修と、マネジメント研修では位置づけが違うのだ。
しかし若いころから「研修慣れ」していないベテラン人材は「研修なんて受けても意味がない」「効果があるのは研修を受けたあと一週間だけ」と言ってはばからない。
読書習慣がない人が「本なんか読んでも効果がない」と言っているのと同じだ。
このようなベテラン人材が職場の上層部にいる限り、部下の育成放棄(職場のネグレクト)は、なかなかなくならない。
■不可欠になったリスキリング
「職場のネグレクト」とは、部下の育成放棄である。昭和的な発想のおじさんたちは、
目の前の仕事をキッチリやるための知識や技能、経験
を重要視する。だから部下や若者が「研修で実務の時間を奪われる」ことに難色を示す。しかし不確実性が高く、キャリアの複線化を考えなければならない現代において「目の前の仕事だけキッチリできればいい」という発想はもう通用しない。
税理士を例にしてみよう。
昔は税理士の資格さえもっていれば「一生食いっぱぐれない」と言われた。しかし高度情報化時代において、その考えはまったく通用しない。便利で高性能なアプリケーションが世に出て、税理士の仕事が奪われつつある。そのため税理士にも、コミュニケーション能力、問題解決力(発見力)、マネジメント力も不可欠になってきた。
もしも独立して事業を営むなら、マーケティングや営業の知識やスキルもなければやっていけない。SNSなどを駆使して情報発信もすべきだろうから、ライティングやデザインセンスまで求められるようになった。
もちろん、これは税理士だけではない。多くの技術職も直面している課題だ。
ところが企業経営者や役員の認識は異なる。インタビューしても、多くの人は
「人材育成は昔からしっかりやってますよ。うちは”人が命”ですから」
と断言する。しかし、そんな方々にこう問いかけたい。政府から「研修時間」「研修参加率」「複数の研修参加率」などの数字を開示しなさいと言われたらどうしますか? と。
「新入社員研修」や「実務研修」を入社したての社員にしか受けさせない企業はとても困るだろう。日ごろのOJTは換算されないのだから。
※「リスキリング」の注目度も2022年に入ってから急上昇している。
だからこそ、まずはベテラン人材の「リスキリング」が重要なのだ。組織の上層部が価値観、考え方を変えない限り、若者への教育の機会が増えないからだ。
「本当に将来役に立つ教育なのか」と親が疑問を抱いたら、子どもを学校に行かせないだろう。それよりも早く働いてもらったほうが家計はラクになる。しかしそれでは日本経済は発展しないから義務教育になっている。
この発想と同じで、経営者や中間管理職が「本当に役立つ研修なのか」と疑問を抱いたら、若者を育成しようという気にならないだろう。目の前の労働に時間を割いてくれたほうが目先の業績に寄与するし、無駄な経費を使わなくても済む。しかし、それでは日本経済は発展しないから政府は「人への投資」を開示要求するのだ。
■研修費は「固定費」的な存在に
学びの機会は大きく分けて3つだ。
・仕事を通じての学び(OJT含む)
・上司や先輩からの薫陶
・研修
比率は「7:2:1」が目安と言われているため、年間労働時間を2000時間と仮定すると、一人当たりの研修時間の目安は年間約200時間で、月平均【16時間】である。
これは大きい。
昔と異なり、現在はオンライン教材やeラーニングを使った教育も盛んで、人材育成のやり方も多様化している。だから人を物理的に集めての研修は、それほど必要がないかもしれない。
とはいえ、これまで十分に人材教育を実施してこなかった企業にとっては重荷になるだろう。研修は「必要あればやる時代」から「常時やる時代」に変わっていくからだ。研修費用が固定費的に扱われれば、収益を圧迫することになる。
何事にも「慣れ」が必要なので、徐々に「教育機会」を増やしていくことをお勧めする。