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「また、女川で会いましょう!」と彼女は言った BiS出演「おながわ秋刀魚収穫祭2013」レポート後編

宗像明将音楽評論家
女川でBiSを脱退したミッチェル。彼女の目に最後に映ったものはなんだったのか?

『また、女川で会いましょう!』と彼女は言った BiS出演「おながわ秋刀魚収穫祭2013」レポート前編から続く)

彼女はステージから何かを見て涙目で口を押さえた

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「おながわ秋刀魚収穫祭2013」のステージには、5枚の大漁旗が掲げられていたが、そのうち3枚はBiS関連だった。そこに立ったBiSのメンバーは、プー・ルイ、ヒラノノゾミ、カミヤサキ、テンテンコ、ファーストサマーウイカ、そしてミッチェルことミチバヤシリオの6人。

前日まで24時間イベント「愛DOLはみんなを疲弊させる!? 24時間耐久フリーライブ&特典会 Repetition」を開催していたので、新幹線を使ったとはいえ、東京から女川町まで移動してステージに立ったBiSにはやや疲労の色もうかがえたが、それを振り払おうとするかのようなカミヤサキとファーストサマーウイカの勢いが印象的だった。またひとりミッチェルが脱退していくステージで、BiS結成時からのオリジナル・メンバーであるプー・ルイとヒラノノゾミの歌声のハモりを聴きながら、私は感傷的になったりもしていた。

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そして「主役」であるミッチェルは、カメラの記録の中では笑顔で驚くほど表情豊かだ。中盤の「YELL!!」で、それまでニコニコしていたはずのテンテンコを皮切りにメンバーが泣きだしたのが嘘のように。

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ミッチェルの脱退は、2013年8月16日~22日に開催された7日間連続ライヴ「SHELTER 7DAYS」の初日である8月16日に発表され、「SHELTER 7DAYS」に異様な熱気をもたらすことになった。「SHELTER 7DAYS」での映像を編集した「Hi」のビデオ・クリップに、多数の激しいダイヴやリフトが記録されているように。

そして「おながわ秋刀魚収穫祭2013」では東京から異常な量の物資が運び込まれ、ちぇるさー(ミッチェルのファンの総称)がミッチェルのために、彼女のBiS在籍時のさまざまなヲタ芸を再現していくという趣向を展開していった。

チャリフト(自転車ごとBiSのファンをリフトする行為)、BiSのファンの全身を印刷した5メートルはある巨大なボード、きぐるみ、大量の提灯、女装、ダンディ坂野のコスプレ、スクール水着、組体操、ビート板……。入念な仕込みが生み出す馬鹿馬鹿しさ、ナンセンスさの連続であり、圧巻だった。

「primal.」のサビでは、BiSのファンが両腕を上げて後ろを向くときに女川町関連のタオルを掲げる。それは、昨年の「おながわ秋刀魚収穫祭2012」でのBiSのライヴが降りしきる雨の中で行われたことに由来するものだ。今年の「おながわ秋刀魚収穫祭2013」では、バスツアーの乗客に配布された「BiS NEVER FORGET ONAGAWA」のタオルを掲げる人が多かった。一斉にタオルを掲げる光景に涙する女川町の人もいると毎回聞く。

女川町を訪れるとき、部外者としてのもどかしさを抱えながら、しかしせめてBiSが女川町の人々にひとときの笑いをもたらせたら、と願わずにいられない。

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「私事なのですが、本日をもってBiSというグループを脱退させてもらうことになっておりまして、この『おながわ秋刀魚収穫祭』で最後を迎えることができて嬉しく思っています、本当にありがとうございました」。ミッチェルのそんなMCから歌われたのは、彼女が参加した最初の楽曲にしてメジャー・デビュー・シングル「PPCC」だった。

この日、ミッチェルが作詞した「BLEW」が歌われたことにも心揺らされた。これから彼女はアイドルを辞めて「普通の人」に戻るのだ。

決まっちゃった戻れない 普通の人になれない

ああもう止められないかな?

出典:BiS「BLEW」

ライヴの最後、ミッチェルがステージから何かを見て涙目で口を押さえた。会場のスタンド席を見ると、そこには長大な横断幕が登場していた。「りおーBiSに入ってくれてありがとー!これからもファイトー!」。全国各地のミッチェルのファンが制作した布を、当日女川町でつなげたものだという。最後の最後までネタを仕込んだミッチェルのファンたちの行動力に敬服した瞬間だった。

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特に印象に残ったのは、最前列の半分程度が女の子であり、最後の「Hide out cut」のときに皆が泣いてたことだ。BiSからメンバーが脱退するライヴは過去5回(つまり5人脱退している)を全部見てきたが、あんな光景を見るのは初めてだった。ミッチェルはいつの間にか、BiSにおいて女の子受けする、キャッチーな存在になっていたことにそのとき初めて気が付いた。

新たなケミストリーの発生のために

握手会に続くチェキ会は、終わりが見えないまま延々と続いた。ステージは「演歌キャラバン隊2013~歌よ響け!希望の空に~」と題して五木ひろし、小金沢昇司、谷本知美、徳光和夫、藤原紀香が出演。菅野よう子が作曲した作品の最高傑作のひとつだと私が考える「花は咲く」も歌われ、最後は「ふるさと」で締めくくった。

「さとう宗幸 ふるさとライブ~花は咲く 女川に~」と題してさとう宗幸、高橋佳生が歌った後に、地元の中学生「オーナー2'S 女川中学校生」が彼らとともに歌い踊る「サンマDEサンバ」へ。そのときBiSのファンがチェキ会を離れてそこに合流し、ホイッスルを吹いたり、サークルモッシュを発生させたりしていたのは、実にイベントのフィナーレらしい光景だった。女川町の須田善明町長が「新たなケミストリーが発生したと思います!」と述べていたほどだ。アイドルとそのファンにできることは、やはりこうした「熱」を持ち込むことなのだろう。

女川港から浦宿駅まで徒歩で歩く

17時すぎ、私はひとりで女川の海を見ていた。かつて観光物産施設・マリンパル女川の駐車場であった場所にシャトルバスから降り立つと、立ち入り禁止のポールの向こうに、曇天の空と夏の盛りを過ぎた穏やかな女川港の海が広がっていた。

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振り返ると、すぐ背後には横倒しになったままの江島共済会館の建物がある。現在も残る震災遺構のひとつだ。毎日新聞の「東日本大震災:女川の震災遺構保存 町長と生徒意見交換」で紹介されているように、女川町に震災遺構を残すかどうかはまだ議論が続いている。個人的には後世のために残してほしいが、日々現地で暮らす皆さんの意見が最優先されるべきものだろう。そして、地元の皆さんの意見が分かれる状況は辛い。

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しばらく海を見てから、国道398号線を浦宿駅へ向かって歩きはじめた。徒歩にして約30分。女川町に来るのは3度目になるが、いつもバスに乗って来ていたので、案内された場所以外をこうして自分の足で歩くのは初めてのことだった。

コンクリート舗装の道も、歩道のコンクリートが剥げており、決して歩きやすくはないことに震災の爪痕を感じた。女川町中心部から浦宿駅方面へ歩いていくと、途中で津波被害が少なかったであろう地域も通過し、住宅のそばの坂を上る老婆の背中に、彼女はあの日からどのように過ごしてきたのだろうかと思いを馳せた。歩く途中で、蒲鉾本舗高政の「女川本店 万石の里」の看板も遠くに見える。

2013年3月24日にも訪れたことのある無人駅・浦宿駅にようやくたどりつくと、石巻駅へ向かう電車は3分前にすでに出発し、次の電車の出発まで約90分ほど待つことになった。とはいえ、1年前は渡波駅までしか電車がなかったので(そこから女川町への代替バスが運行していた)、こうして女川町の中心部から少し歩いた浦宿駅で待っていれば電車に乗れる、という状況は復興への道筋を実感する体験でもあった。

「また、女川で会いましょう!」と彼女は言った

2013年3月24日の「女川町商店街復幸祭2013」の後、ミッチェルはInstagramにアカウントを作って利用しはじめた。それは女川町での写真から始まる。最初に登場したのは、女川町で贈られたケーキや花、会場の校庭を走って砂まみれになった靴などだ。それからBiSは1週間も経たない2013年3月29日~31日にかけて、岩手県の宮古市と大船渡市、宮城県石巻市を回る「RED LINE BIGGINING TOUR」に参加した。ミッチェルのInstagramの写真には、海、瓦礫、ショベルカー、被災の跡が生々しいライヴハウスなどが淡々と記録されていて、そのツアーに行かなかった私にも伝わるものが少なからずあった。

ミッチェルのブログ(2013年10月初旬に閉鎖)の最後のエントリーで、彼女は「わたしがアイドルとして仕事としてやってきたことに少しずつ綻びが生じていました」と反省の弁を綴っていたが、Instagramの写真を思い出し、ミッチェルが「また、女川で会いましょう!」という言葉の約束を守ったことを考えると、「いや立派に最後までアイドルを務めたのではないか」と思う。そして、結果的に彼女が女川町に多くのBiSのファンを集めたことを考えるとき、女川町への感謝も込めて、やはりこの言葉で締めたくなるのだ。私のYahoo!ニュース個人の最初の記事のタイトルは、ミッチェルの言葉の引用だったのだから。

また、女川で会いましょう。

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音楽評論家

1972年、神奈川県生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。著書に『大森靖子ライブクロニクル』(2024年)、『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』(2023年)、『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』(2016年)。稲葉浩志氏の著書『シアン』(2023年)では、15時間の取材による10万字インタビューを担当。

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