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【シリーズ】地方に移住したパパたちを追って~広島編〈2〉前編~

吉田大樹労働・子育てジャーナリスト/グリーンパパプロジェクト代表
「COCOLOYA ART&COFFEE」の店先

都市部にいるパパの地方への関心を高める<グリーンパパプロジェクト>のシリーズ「地方に移住したパパたちを追って」の第2弾。前回に引き続き、広島県に移住したパパのインタビューをお届けする。今回話を伺ったのは、北広島町在住の2児のパパで、画家として活動する傍らアート&カフェ「cocoloya」を経営するアユムさん(38)。

2008年にいったん栃木に移住した後、2011年に北広島町に移住してきたアユムさんは、どうして地方への移住を選択したのか。また、地域コミュニティでうまくいく秘訣なども伺った。今回はその前編。

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広島にたどり着くまでの経緯

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吉田:今日はよろしくお願い致します。アユムさんがここ北広島町に移住してきたのはいつですか?

アユム:2011年6月にここを見つけた感じです。正味1、2ヵ月間物件を探していましたね。

吉田:その前に東京から栃木に移住したそうですが、その理由は何でしたか?

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アユム:東京の谷中で嫁が洋服屋をやってたんですよ。そこで1人目が生まれて、2人目の妊娠が分かって、それで手狭になってしまうというのと、あと風呂もないようなところで生活していたんですよね。周辺には全然同じ世代の店がありませんでした。以前から地元にある店ばっかりでね。

東京でこのまま子育てをするかどうかを夫婦で考えました。東京って家賃が高いじゃないですか。僕らみたいに両方ともものづくりの人間なんで、東京だと売れるんだけど、結局いくら売れても出ていくもののほうが大きくて、そうすると家賃のために店をやっているような感覚になってくるんですよ。そういういろんなことに疑問を感じ出して、「もうちょっとゆったり子育てしながら店をやりたいね」って言って。

そのときは僕の実家が神奈川なんで、関東圏を探したんですよ。神奈川も相模湖の辺りだとか、小田原とか湯河原とか。静岡にも親戚がいるので静岡も探して、千葉、群馬にも行きました。

で、たまたま栃木を探しているときに、一軒カフェに行ったんです。鹿沼です。鹿沼に「CAFE饗茶庵」というカフェがあって、そこで出会ったオーナーがたまたま話しかけてきてくれて、「家を探してる」って言ったら、「あるよ」っていうので「あっ、あるんだ」みたいな感じで(笑) それまでやみくもに探していて、とりあえずどこに住むかという感じで調べていたんです。物件というよりはどの地域にするかという見方をしていて。栃木ってこういうタイプのお店が多いんですよね、ものすごく。関東圏じゃ断トツに多いと思います。20年くらい前に那須の黒磯に「1988 CAFE SHOZO」というお店ができたのですが、そこが先陣になって派生していってどんどん栃木県内に広がっていて、埼玉、茨城、最近では群馬あたりにも派生しています。その発祥が栃木なんです。それで栃木が面白いなと思って単純に。益子や那須にも魅力的なお店があります。東京からも近かったですしね。

最初は、さすがに東京っていうマーケットをまったく捨てるのも怖かったので、栃木にしようということになりました。饗茶庵に行った1ヵ月後には引っ越してました(笑)

吉田:それはどういう物件だったんですか?

アユム:ちょっと田舎の住宅地みたいなところの一軒家で、古かったんですが古民家とまではいかないくらいの物件を借りました。築50年くらいです。そのときはどうやって飯食っていくか全然考えていなかったんです。ノープランでした。

そこで、たまたま饗茶庵が2店舗目を日光市に作ってたんです。「暇だったら見においでよ」という話になって行ったんですが、その敷地内に建物がいくつかあって、空いている建物を見て「これどうすんの?」って聞いたら、「倉庫」っていうので、それはもったいないから何かやらしてっていう話になって。それで「COCOLO-YA」という名前でギャラリーを始めたんです。

吉田:では、日光に3年くらい住んでいたんですね。

アユム:そう3年ですね。実は僕らが借りていてところは田舎と言っても大した田舎じゃなかったんですね。家賃も東京ほどじゃないけどある程度あって。なので、「もっと田舎に引っ越したいね」という話をちょうど東日本大震災が起きる前に夫婦でしていたんです。栃木のもっと田舎とか、実家のある神奈川とか。

吉田:関東メインで探していたんですね。

アユム:関東メインですね。けど、思うようなところがなかなか見つからなくって。

吉田:理想としてはどのような物件だったんですか?

アユム:とにかく家賃の安いところ(笑) あとは環境ももちろん考慮しながらですけど。栃木の人たちを見ていて、これは田舎で商売をしても行けるなという感覚は勉強できました。

吉田:関東以外はそのときはまったく見なかったんですか?

アユム:見てはなかったですね。実は震災の日も日帰りで神奈川の相模湖のほうに行く予定にしていたんです。けど、朝、嫁の具合が良くなかったので、たまたま僕は店を休みにして家にいました。そうしたら地震があったんです。すぐにそのまま保育所に迎えに行って、子どもを連れて帰ってきました。

吉田:家は大丈夫でしたか?

アユム:家は全然大丈夫でした。うちにはテレビがなかったのでラジオを聴いてました。そしたら福島第一原発が爆発したというので、とりあえず栃木を離れようということになり実家がある神奈川に向かいました。

吉田:原発が爆発する映像を観て、どうするか判断したんですか?

アユム:車に付いているカーナビや嫁のワンセグで観ました。けど映像が小さくてよくわかりません。それで結婚前に住んでいたフランスの友人から、東京にも人が住めなくなるような報道も出ているというメッセージがあって、嫁の実家がある広島まで行っちゃおうかということになりました。

あまり西日本には自分の拠点がないので、とりあえず広島行こうかという感じです。そこから今度移住すると決めてからはいろんな選択肢がありました。

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北広島町との出会い

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吉田:震災から3ヵ月間は、奥様とお子さんだけが広島に行かれたんですか?

アユム:僕は行ったり来たりしてました、車で。僕が完全に移ってきたのは5月に入ってからでした。

吉田:そのときはいろいろ地域を見たんですか?

アユム:そのときは広島県内をとりあえず探し始めて、実はほとんど三次市に決まっていたんです。たまたま知り合いが三次市にある旧三和町の元町長を紹介してくれて、旧三和町の保育所跡地ですごく良い建物でした。ここだったら商売もできるなと思ってましたが、残念ながら三次市のほうから市有地なので前例がないということでダメになってしまったんです。

三次市と同時並行して、旧戸河内町(現安芸太田町)も探してました。役場の方とも連絡を取り合っていて、安芸太田町の空き家バンクも下調べしてました。ちょうど三次市がダメになった日に安芸太田町に行ってみようと思って、そのときは僕一人だったのですが、車で下道を通りながら、たまたま北広島町に通りかかったんです。

実は僕は大学が広島だったので、県内の地名はなんとなく頭にあったのですが、「北広島町」って合併してからできた地名なので、それまで自分の頭に全然引っかかんなかったんです(笑)

で、「このへん北広島町って言うんだ~」と思っていたら、役場があったんです。「あ~寄ってみよ~」と思って役場の方と話をしたら、役場の方も親切に案内してくれました。後日、再び役場に行ったんですが、役場が持っている物件で自分がいいと思うものがなかったんです。「そうかダメか」と思っていたときに、ボランティアで空き家バンクをやっている栗栖建設の森田隆司社長を役場の方から紹介されて、「うち(役場)がないなら、この人が持っているかもしれんけ」って言って、後日森田社長が一日案内してくれたんです。それでこの物件にぶち当たったんです。結構わがままに探していたんですよ(笑) 

物件を買いたくないので賃貸でとお願いをしていました。それはお金がないというのもありますが、正直住んでみないとわからないので。それは栃木にいたときに地域に馴染むための難しさなんかを感じたからですね

吉田:栃木での経験は大きいですね。

アユム:だからいきなり買うのはリスクが高いと思ってました。かといって、賃貸だけどお店をやりたいから自由にいじらせろと。これが結構ないんですよね。空き家バンクって基本売りたいばっかりなんですよ。

けど、そんなバカげた話はホントはないんですよね、やっぱり。試しでも1年間くらいは住まさなきゃわかりません。僕は最低3年だと思ってますけど、最低1年でも住ませてみないと見えないじゃないですか、その地域のこと。「どれだけ若い人が住んでいる」とか、若い人がいてもそれが1人なのか、それとも3、4人はいるのかとか。あと、祭りですね。ここで言う神楽(かぐら)はどういう活動をしているとか、ある程度住まなきゃ見えないわけですよ。

吉田:そうですよね、何もわからないままそこに飛びついて行って、買えというのはかなり酷な話かもしれないですね。

アユム:どっちにしろチャレンジはしてみないといけないということですね。ここはたまたま近くに「からしろ館」という集落で運営する直売所があるですが、移住する前に近所のおばちゃんと世間話をしたんです。そしたら、なんかすごい明るいし、たまたまその人がいい人だったのかもしれないんだけど印象が良かった。それが誰だったかは覚えてないんだけど(笑)

森田社長が案内して紹介してくれた人たちも、みんな雰囲気がいいし、「なんかいいかもしんない」と思って最終的にここに決めたんです。さっき言った条件もここはクリアしていて、「賃貸だけど好きにしていいよ」っていうのが揃っていたので。ただ、賃貸で安かった分、例えば「水が出ないので何とかしてください」というのは大家はタッチしませんので自分たちで直してくださいということです。

吉田:ちなみに、ここは築何年ですか?

アユム:ここは古いんですよ。住居部分は明治31年かな。築100年は経ってますね。ただ移築なので、もともとは周辺の別のところにありました。こっちに来たのは戦前くらいという話です。このカフェで使っている納屋は戦後ですね。ぎりぎりまでおばあさんが住んでらしたので、そんなに住めないほどの痛みはありませんでした。

吉田:修繕費はどれくらいかかりましたか?

アユム:家はしてないですね、あまり。というか、なにもしてないです(笑) 屋根に上がったりして、森田社長が紹介してくれた土建屋さんがチェックしてくれたんです。田舎って大体そうだと思うんですけど、その集落に若い奴がいるとすると、その職業って大工とか土建屋とか水道とか、家周りの商売人が多いじゃないですか。この集落にはたまたま大工と電気屋に若いのがいるんです。僕らより年下の。彼らは商売やっているから商工会に入っているので、森田社長とつながっているんです。森田社長がそいつらに声をかけてくれていたんですよ。「こういう奴が入ってくるから、おまえらようしたれ~よ」みたいな脅しをかけてくるんです(笑) これがすごいパンチが効いてて、僕らが引っ越してきて荷物が届いたその日にここの集落の若い人たちが4人くらいで手伝いに来てくれました。

吉田:そのとき初めて会う感じですか?

アユム:そうです。大工だから家周りを見てくれて、屋根とかも上ってくれて、パパっと直してくれました。雨漏りしてったぽい個所の瓦を直すくらいだったけど、「これなら大丈夫だよ」って言ってくれました。

吉田:それはすごい助かりますね。

アユム:だから、すっごいラッキーなんですよ。

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地域コミュニティとの関係づくり

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吉田:いきなり来たところで、地域のコミュニティと接することができたっていうのも大きいんじゃないですか。

アユム:それも広島の県民性じゃないですかね。前にいた栃木としか比較できないけど、向こうの人はシャイでしょ、基本は。特に栃木の北部って文化圏が東北寄りなのでなおさらですね。決してみんな優しくないというわけではないけど、仲良くなるまでのプロセスが長い(笑) ただ広島の人はそれと比べると割となんというか人懐っこい人種なんですよ。パ~ッとうちに入ってきて。そんなに違和感もなかったですけどね。

吉田:それはもともと大学時代こちらにいて、どういう人たちかっていう県民性を知っていたのも大きいんじゃないですか?

アユム:なんとなくはね。例えば広島弁とかもわかるし、僕も使おうと思えば使えるんですよ。だからそういうのも良かったのかもしれないですね。

嫁も広島の人間なので、当然広島弁をしゃべるし、そういう僕にとって相性が良かったですよね。その代償として、あっ代償って言ったら怒られちゃいますが、地域活動があったんですよ(笑) 消防団、神楽団、青年部、メンバーがみんな一緒なんです。一個入ったら自動的に3つ入る仕組みです(笑) 最初は「飲みにきんさい」みたいなことを言われて飲みに行ったら、まんまと引っかかりました(笑) 

地域活動してわかったのは、若い人がいないということに地域自体も危機感を持ってるし、外から来た人を大事にしようという感じはたぶんここ10年くらいはきっとあるんですよ。だから強要はされません。「絶対入れよ」みたいなことはないんです。やれたらやってほしいしみたいな感じです。僕の場合は同世代のやつから話が来たんで、上の世代からやれよということもありませんでした。

移住でうまくいかないパターンって同じ世代に出会えないというのも大きいと思います。逆にそれでかわいがられるパターンもありますが、まれに。自分らの息子みたいな世代が入ってくるわけですからね。だけど、地域のしわ寄せが若い世代に来てしまうんですよ。その地域に若者が少ないと当然負担も増えます。最初は「ありがとう」ってこっちも一生懸命馴染むつもりで手伝うんだけど、そしたら“やってくれる人”っていうのが基準になるじゃないですか。けど、いろんなことを頼まれる中でみんなパンパンになってきて、次第に自分のことができなくなって断り始めるんですよ。そうすると、「こいつやっぱりな」ってなるんですよ。悪気があるってわけじゃないんですけどね。それでダメになるパターンを結構何回も見ていて感じます。

吉田:適度な距離感が必要ですね。

アユム:たまたまこの集落では10人くらい若い奴が消防団とかいるんだけど、10人の中で実際この集落に住んでいるのは3人くらい。あとは町内に住んでいてこの集落に実家があって、祭りだとかの行事のときに帰ってきてくれます。僕は年齢が真ん中くらいで、これもラッキーだったんですけど、だから中心になっているやつがちょっと年下なんです。そしたら僕に命令できないじゃないですか(笑) 消防団の入団で言えば、僕のほうが後なんだけど、やっておけよとは言えないわけですよ(笑) 僕と同い年が2人いるんですけど、僕はどちらかというとそっちのほうに入っちゃったわけですよね(笑) 「やっておいて」とか言われても「ヤダ」と言えるポジションにたまたま入れたんですよね。それはすごくラッキーでしたよね。

吉田:そういう環境がたまたま入れたのは大きいですよね。ちょっとでも年齢が若かったら全然違う状況だったかもしれませんね(笑)

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カフェだけではやっていけない

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吉田:いままでこういった感じのこの集落にカフェはなかったんですか?

アユム:同世代がやっているカフェはこの地域にはないですね。あっても僕らの親の世代がリタイヤして建築会社に別荘を建てさせて、そこでカフェをやっているケースは結構あります。広島では、古民家を使って商売するというのはまだ少ないんですよね、全体的に。中国地方だけで見ても少ないですね。岡山が一番多いと思います。山口も多いです。島根、鳥取がいますごく増えてますしね。

吉田:広島でもこうしたカフェは増えていくと思いますか?

アユム:それは分からないですね。県民性・地域性だと思います。関東だと群馬も少ないんですよね。栃木が一番多くて、埼玉、千葉、茨城に派生していったんですが、群馬はなぜか知らないけど僕らが栃木にいたときはまだなかったですね。いま若干増えているようですが。

吉田:保守的になんですかね?

アユム:何なんだろうね。なんかちょっと雰囲気が違うんですよね。これは流行の話だけど、「ku:nel」とか「天然生活」とかそういう系統の雑誌の影響もあってここ数年でカフェが全国的にすごく増えたんですよね。けど、広島にはあまりない印象です。広島市内や都市部の街の中にはもちろんありますよ。だからここでカフェをやるのが面白いですよ。

吉田:カフェで成功する鍵ってどこにあるのかなっていうのをうまく探していけるといいですけどね。

アユム:ただそれは逆にないなりの理由もたぶんきっとあって、こういう店が流行らないのかもしれないしね。

吉田:けど実際に3年間やってみて、どうですか?

アユム:流行ってはないですよね(笑) 何の宣伝もしてないしね。でもそこは別の話になるんだけど、僕は絵のほうがあるんで、店で食っていこうという考えがあまりないんです。ここは流行んなくてもいいなっていう感じ。

吉田:ここ単体でいうと、黒は獲れているんですか?

アユム:経費として掛かるのは、コーヒー豆の仕入れくらいですからね。実はいまここ家賃がないんですね。元々7,000円だったんですけど、大家さん土地を草刈することで0円になりました(笑) 

吉田:それはどちらから提案があったんですか?

アユム:大家さんからです。まれですよね。それもたまたま大家さんが僕のちょっと年上なんですよ。50(歳)前くらい。その方のお父さんが亡くなってその方が後継ぎの人なんですが、神戸にいて戻れない。集落の出事にもまったく出てないんですよ。僕はその代わりというわけじゃないけど、そういう出事もやっているし、こういうカフェをやる感覚とかも世代が近いからわかってくれて、すごい応援してくれているです。なので、「あまり家賃いらないから」みたいな感じである日言われて。。。僕逆にそれを言われて、「いやそれは」って言いましたもん。「さすがに払います」って(笑) その代わり、田んぼの管理ということで草刈りをしてくれたらいいよっていうのを提案してくれて、で甘えてしまいました。

吉田:田んぼの管理は草刈だけですか?

アユム:コメ自体は、その近所の大型農家がやってるんですけど、草刈って持ち主がやるんですよ、基本。草刈とかもお願いするとなると、そこにお金が発生するんですよ。誰かを雇って、日当を出して、草刈りをしてもらうんですよ。それが結構バカにならない額なんですよね。草刈って結構いいバイトなんです。時給1,500円とか2,000円くらい。1日やれば1万円という仕事です。で、一回じゃなく年間で最低3回くらいはやります。

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家族中心のライフスタイル

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吉田:お子さんの様子はどうですか?ここに引っ越してきて。

アユム:まぁまぁ早かったですね、馴染むのが。

吉田:それは栃木にいたことも影響してますか?

アユム:環境も似てましたね。保育所の人数も大体同じような人数だったんで。あっという間でした。

吉田:いまこの地域には小さい子どもはどれくらいいますか?

アユム:娘が保育所に入ったときに入所児が全部で60~70人でした。その年によっても違いますが、いまは30~40人ほどに減りました。

吉田:小学校はどうですか?

アユム:娘が通う地元の小学校は60~70人だったかな、全校で。一学年10人平均くらいですね。うちの娘の学年が14、5人です。少ない学年だと5人くらいのところもあるし、多いところは20何人とかいます。1学年の児童が少なすぎちゃうと他の学年と同じクラスになる複式になる話もたぶんあるじゃないかと思います。

吉田:10人前後だと、先生の目も行き届きますね。

アユム:そうそう、贅沢な話ですよ。街からしたらね。それがいいのか悪いのかわかりません。中学だと希望する部活動がなくなってしまっていて、男子だと野球か卓球みたいな感じになってしまっています。

吉田:子育てする上で何か心掛けているものはありますか?

アユム:特にはないですね。けど結局、自営って時間があるようでないんですよね。休みもコントロールしない限りは、僕の場合は店もあって、絵も描くので。

吉田:店はいまどれくらい開けていますか?

アユム:週6日でやってます。でも暇な日は暇だし、その合間で絵を描いたりデザインの仕事をしたりしてます。よっぽど意識をしていないと「土日じゃあどっか連れていっちゃろう」とかできませんね。嫁も結構ばっちり仕事をしていて、展示会みたいな感じで広島市内でやったりだとか、東京まで行ったりだとかしてます。栃木にいたときから、なるべくどっかに連れていったりとかは難しいけど、日々なるべく遊んであげたりはしてます。

吉田:この環境はそういった意味では、子どもたちにとっても大きいですね。自分たちでいろいろと遊んだりだとか、考えながらできる感じだと思います。既成のものをただ提供されているわけじゃなくて、逆にないところでどう遊ぶかというところのほうが面白いような気がします。

アユム:もともと田舎に行きたかったのは、どちらかといったら仕事メインの人生じゃなくて、家族メインの人生にしたいというのは大きかったですけどね。それは結婚する前にフランスに1年間住んでいた経験がでかくて、フランスのラループという小さな田舎の村にいたんですが、パリから2時間くらい西に行ったところです。フランスの真ん中あたりですね。一面畑でのんびりしたところでした。みんな日本とは仕事の感覚が違っていましたね。日本みたいな会社が強いわけではなく、従業員が強いんですよね。労働組合も強いし。自分の主張は社長に対してだろうがなんだろうが、はっきり言うし、休みたいときは休むし。仕事が終わったらパシッと帰るでしょ。そういう価値観も金とか仕事が大事なんじゃなくて、家族が笑顔でいることというのは、もう徹底してるんですよね。

吉田:そこに生に触れたというのは、大きいですよね。

アユム:そうそうそう。東京に帰ってきて、疑問にぶち当たったって感じですよね。個人的に。仕事あくせくして、好きなことをやっているけど、ん~なんだかなみたいな。

吉田:土地、家族、自分の人生という構成要素が大事ですよね。

アユム:僕自身、横浜で育って、大学で広島に来て地方という土地が面白かったんですよね。埼玉とかでも同じだと思うんだけど、実家の神奈川もベッドタウンで。地元は育ったところだから好きなんだけど、でもそんな愛着ってないんですよね。故郷って感じがしない(笑) 

一方で、大学時代に広島に住んで感じたのは、みんな故郷を愛してるんですよ。でもその感覚がすごく面白かった。外国みたいで、地方で方言もあって、はまっちゃったのもあると思うんだけど、広島から関東に戻ってからも群馬に行ったり、いろんなところに暇を見つけては行ってました。自分には地方のほうが面白いという思いがありましたね。だからあんまり東京でやりたいという気持ちが元々ないから、そういう固執はなかったですね。

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後編に続く

労働・子育てジャーナリスト/グリーンパパプロジェクト代表

1977年7月東京生まれ。03年3月日大院修士課程修了(政治学修士)。労働専門誌の記者、父親支援団体代表を経て、16年3月NPO法人グリーンパパプロジェクトを設立。これまで内閣府「子ども・子育て会議」委員、厚労省「イクメンプロジェクト推進委員会」委員を歴任。現在、こども家庭庁「幼児期までのこどもの育ち部会」委員、「こどもの預かりサービスの在り方に関する専門委員会」委員、東京都「子供・子育て会議」委員などを務める。設立したNPOで放課後児童クラブを運営。3児のシングルファーザー。小中高のPTA会長を経験し、現在鴻巣市PTA連合会前会長(顧問)。著書「パパの働き方が社会を変える!」(労働調査会)。

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