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シングルファーザーを生きる~母子団体に切り込んだシングルファーザー~

吉田大樹労働・子育てジャーナリスト/グリーンパパプロジェクト代表
インタビュー後、娘の俐沙さんと談笑する持田貴之さん(写真左)(筆者撮影)

【シリーズ】シングルファーザーを生きる

第5回 母子団体に切り込んだシングルファーザー

シングルファーザーを生きる――。男イコール仕事とみられがちな環境の中で、世のシングルファーザーたちはどう生き抜いてきたのか。各地で奮闘するシングルファーザーにクローズアップし、その実録を伝えていく。

今回は、東京・練馬区で練馬区ひとり親福祉連合会の会長を務める持田貴之さん(50)。シングルファーザーとして仕事・子育て・介護に悪戦苦闘する中で、母子福祉団体に参画し、いま必要な「ひとり親」支援に向けて積極的に活動を展開している。

介護・妻・子育てで悪戦苦闘の結婚生活

吉田 結婚生活はどのようなものでしたか。

持田 中国人の妻と結婚しましたが、3回流産してしまいました。自分は建築デザイン事務所を立ち上げて、朝から晩まで仕事をしている状態。日本にツテが無い妻は孤立していました。

また、両親と一緒に暮らしていましたが、子どもが生まれる前から、ともに寝たきりの介護状態。妻にはかなり負担をかけていましたね。2009年1月に娘が生まれる前に父親は亡くなりましたが、母親は引き続き介護が必要な状態でした。仕事だけではなく、子育て、母親の介護、妻のフォローで悪戦苦闘していましたね。

母親の介護はヘルパーさんに来てもらっていましたが、1日何時間と決まっているので、それ以外の時間はこちらで看なければなりません。

妻も知らない土地でフラストレーションが相当溜まっていたと思います。自分なりにフォローを精一杯していました。休みのときは、娘だけを連れていろんなところ行ってましたね。

個人の時間はほとんどない状態。娘が3歳になって保育園に入れましたが、その3ヵ月後に、妻が突然いなくなったんです。

吉田 何か兆候はあったんですか。

持田 わかりませんでしたね。妻がいつも夜中までチャットをやってたんです。「やめてくれ」と言ったのですが、聞いてくれませんでした。子どもに昼食を与えてない日もあったようで、与えたとしてもおにぎりかハンバーガーを1個程度。

吉田 それからどう対応したんですか。

持田 娘を保育園に行かせようと申請を出したのですが、決まるまでに半年ほど掛かりました。その間、自分が介護、子育てをやらなければならず、仕事をセーブした結果、次第に仕事のほうがうまくいかなくなってしまいました。やはり信用商売なので、職人さんが離れていきましたね。支払いも遅れたりすることがあったので。

吉田 崩れるようにして仕事がなくなってしまったんですね。

持田 事務所スタッフも雇用できなくなりました。妻は借金もしていたので、その費用もこちらで立て替える羽目に。出て行ってから半年ほどして正式に離婚をしました。

吉田 それからは会っているんですか。

持田 はい、会っています。彼女に対しての感情はありませんが、娘にとっては母親なので、中国に行って会わせることもありましたし、逆に日本に来て会うこともあります。

吉田 妻のフォローからは解放されたと思いますが、それからも仕事、子育て、介護と大変な状況でしたね。

持田 メンタルに自信はありますが、正直、死んじゃおうかと思ったときもありました。かなり疲れてましたね。

自分が原因で仕事を失敗していたら諦めがつきますが、なんでこんな苦しい思いをしなきゃならないんだって思っていましたね。

吉田 体のほうは大丈夫だったんですか。

持田 2019年8月に過労による軽い脳梗塞を起こして、10日間ほど入院しました。夏の疲れとひとり親の活動の疲れ。少々無理をしすぎましたね。

介護・子育て・仕事を過酷な中で乗り越えてきた持田さんだが、ユーモアを交えながら語ってくれた。(筆者撮影)
介護・子育て・仕事を過酷な中で乗り越えてきた持田さんだが、ユーモアを交えながら語ってくれた。(筆者撮影)

ひとり親の会への参加をきっかけに

吉田 とりあえず父子家庭としての生活が始まってから持田さんはどう行動を起こしたんですか。

持田 まず父子家庭になってから、すぐに福祉事務所に連絡をしました。そのときに父子家庭に対しては一切施策がないと言われました。じゃあ、どうすればいいのか。仕事もあるわけですしね。

吉田 そのときすでに父子家庭にも児童扶養手当が出てましたよね。

持田 行政の職員からは出ませんと言われました。おそらく前年の収入が多かったから対象にならなかったのだと思います。担当者から言われたのは、「一番楽なのは、一度破産をされて生活保護を受けられるのがいいです」の一言。その言葉にはさすがに頭が来ましたね。

吉田 努力して動こうとしている人に対して、その言葉は辛いですね。

持田 それからまもなくして練馬区にもひとり親の会というものがあることを行政がひとり親向けに配っているしおりを見て知りました。そこで、ひとり親の会に入って活動を始めることにしました。

当時はまだ名称が母子寡婦福祉連合会という名称で活動をしていて、50年の歴史がある団体でした。しかし、僕が入ったことをきっかけに「ひとり親福祉連合会」に名称を変更してもらったんです。

ただ、参加したはいいが年輩の女性が多く、どんどん会員は減っている状況でした。これはダメだと思って、緊急総会を開いてもらって、自分が会長になりました。会員に「いまの状態で大丈夫ですか」と1人ひとり訪ねて回って、ネゴシエーションしました。みんなこのままではダメだという思いは共通の認識でしたね。

吉田 当時、会員は何名くらいでしたか。

持田 60名弱ですね。会長になったのは2015年です。入ったのが2011年だったの4年くらいは矛盾を持ちながら活動に参加していました。

吉田 持田さんが連合会に入って活動することのメリットは何がありましたか。

持田 同じ境遇のお母さんたちがいるということですね。自分と同じように小さい子を持つお母さんもいました。自分が入った最初の頃は、みんなで集まって遊んだり、勉強会をしたりして活動をしていましたが、母子の会員が次々とやめていってしまう状況でした。なぜだろうと思ってその原因を調べたら、その昔母子家庭だった年輩の母親のための連合会になってしまっていて、若い母子家庭が排除されてしまう構図になっていました。

吉田 年輩の方々には、その問題意識を伝えたんですか。

持田 もちろんです。けど、聞く耳を持たなかったですね。東京都のひとり親の団体でも練馬区のひとり親の団体でも同じような問題がありました。ひとり親のための会なんだから、現役の子育て世代や次世代が恩恵を受ける仕組みにしなければならないと思います。「いまのひとり親のために支援できないのであれば会の趣旨とは違うでしょう」と強く訴えてきました。

吉田 持田さんが関わったことが1つのきっかけになって、初めて問題が浮き彫りになったということですか。

持田 いや、それまでも浮き彫りになってきたんだと思いますが、だれも問題視しないからスルーされちゃってきたんです。

僕にも子どもがいて、同じようなひとり親家庭をいっぱい見てきました。この子たちのために支援をする団体でなければ意味がありません。それが成り立っていないんだったら、それはやっぱり問題意識は持たなきゃいけない。この子たちの未来のためなんだというのが僕の基本概念なんです。

吉田 持田さん自身、生活状況も大変な中で、そっちにエネルギーを持っていくのはかなり勇気が必要だったんじゃないですか。

持田 僕たち親世代は子どもたちと比べたら当然生い先短いわけです。だからこそ、当然子どもたちの未来を大事にしなきゃいけない。そこを親世代の誰かが気付いて、誰かがやらなければいけないんです。そのことを「気づいた者」しかやれないわけです。

生活面は大変です。いや、もうめちゃくちゃ大変です。建築設計の受注がないときは、土木工事などのバイトもしました。自分の建築設計の仕事が少しでも入ってきたらそっちの仕事をやるし、設計の仕事をしながら建設現場の仕事もこなしました。住宅ローンもありますからね。

いまひとり親が必要な支援に取り組む

吉田 現在、ひとり親の支援は、具体的にはどんなことをしていますか。

持田 相談業務がメインですが、いま力を入れているのが食料支援です。コロナ禍以前から取り組んでいます。練馬区からも助成金が出ています。もう1つは、一般社団法人東京子ども子育て応援団と組んで、そこから食料宅配を週に1回、貧困家庭に届けています。

あと、いま経営者たちとコラボレーションして、練馬区にひとり親が働いたり、居場所になるレストランを出そうと動いています。そこに子どもを安心して預けられる場所を併設しておいて、一般の方々も誰でも入れるような形で、収益を上げていきながら、練馬区役所とか、そういうところにケータリングも入れられるような形を取る方法が一番いいだろうと思って企画しています。僕が建物を設計して、見積もりを取ろうとしているところで、コロナ禍の影響で止まってしまいました。こうした時期にこそ、必要な場所だと思っていますが、とても悔しいですね。

吉田 現状、大体どれくらいの建設費用が掛かる予定なんですか。

持田 現況で700万円くらい。出資してくださる方も確保してはいます。

吉田 それを動かそうとする持田さんの思いが伝わっているんですね。ひとり親や子どもだけじゃなく、多種多様な皆さんが集まる場所として利用されるといいですね。

持田 地産地消で練馬区の食材で賄おうかと思っています。地域とのつながりを大切にするためにも必要なことです。

吉田 コロナの影響で遅れているとのことですが、是非持田さんの思いを形にしてもらいたいですね。

持田 だから他の人にお願いしたくてもできないんです。

吉田 現時点でまだ収益を生んでいるわけでもなく、普通に考えたら、例えば、その時間を自分の稼ぎのほうに回したいと思っても不思議じゃないかと。けど、それをひとり親のための活動にエネルギーを注げるというのは、やはり問題を「気づいた者」としての責任という思いがあるからですかね。

持田 そうですね。会員さんの中にもDV被害を受けたりして、練馬区のシェルター施設に避難する母子がいっぱいいるんです。着の身着のまま、本当に何も食べる物がなく出てくる人たちがいます。普通に離婚できるケースもあるかもしれないけど、それがなかなかできなくて困難な状況に置かれているひとり親もまだまだ多い。この国自体が依然として男尊女卑なんだと実感しています。

だからこそ自分自身を自己犠牲してでも、こういう事業に取り組んでいくことが必要なんだと思っています。

吉田 実際にひとり親が活動できる場を作っていくことで、「気づいた者」として責任を果たそうと向き合う持田さんの取り組みは簡単にできないことだと思います。いまのひとり親に向けた支援を実施することで、練馬区ひとり親福祉連合会の会員数も増えたんじゃないですか。

持田 現在、約350名です。年会費が1,000円。会員特典として、連合会のイベントの参加費の2分の1を練馬区が助成してくれるので、例えば、参加費が1万円のイベントだったら5,000円になります。そうした行政の取り組みもあって会員数増加につながったのだと思います。

バーベキューのイベントのときには、支援者さんからお肉とかいろんな提供品をいただいています。母子が中心の団体なので、体力勝負的な活動はどうしても自分がやらざるを得ません。無償ですが、それが使命だと思っています。

吉田 仕事や家庭との割合は持田さんの中ではどのような感じですか。

持田 仕事が50%、子育て・家事が25%、ひとり親の活動が25%という感じですね。ただ、ひとり親の活動を維持するには睡眠時間を多少削らなければならない状況です。

みんなが支援を届けてくれるんです。それをひとり親が待っている。「僕は眠いので配布作業はできません」とは言えませんよね。

食料の譲渡会に来た子どもたちの笑顔を見ちゃうとやめるわけにはいきません。

吉田 実際、その1回の譲渡会は何名くらいが来てくれるんですか。

持田 譲渡会は練馬区全体が対象なので、月2回ほどで平均20~30名が来てくれます。

LINEのグループを作って、そこで情報を伝えています。例えば、提供いただいた掃除機がほしい方を募集したりすることもあります。

ひとり親支援のための新たな挑戦について語る持田さん(筆者撮影)
ひとり親支援のための新たな挑戦について語る持田さん(筆者撮影)

ひとり親は「社会」が支える

吉田 持田さんの行動力は、常に利他的ですね。

持田 というか、利他的とも利己的でもないと思っています。僕は離婚してから初めて経験しましたが、子どもたちにとって、社会の中で頼るものは親しかいないんです。しかし、それは親に全部責任をなすり付けることではありません。常に「子どもは社会が育てて育むもんだ」と心掛けています。社会が子どもたちを守って、元々社会にとって必要な子どもたちなんだから、それが守れるような社会構造にしていかなきゃいけないんじゃないか、というのが僕の一番の思いなんです。

吉田 やはり持田さんがこうして活動している思いが広がっていく中で、「じゃあ自分にはこういうことできるよ」と賛同者が増えていけばいいですね。

持田 だからこそ支援の輪はすごく大事で、そこを会員さんたちがどう捉えるのかというと、「私たちは誰かに見てもらえている」「ひとりじゃない」というところがすごく大事なんです。だから孤立させないことが必要です。

吉田 活動の中でひとり親が抱えている課題についてどのように感じていますか。

持田 DVの方も離婚調停中の方も、ひとり親として見なされないということです。そうすると何の支援も受けられない。だからシングルマザーであれば夫からもお金が入ってこない。食べるものが買えないという話になるんです。

貧困の問題としては、若くしてシングルマザーになった方々が食べるのに困っているケースが多いです。そこをどうにかしたいですね。

吉田 入会したひとり親の皆さんは、同じひとり親の人たちとつながりたいという思いがあるとは思いますが、そうしたアクションを起こしていない、または起こすことができない方々のほうが圧倒的に多いですよね。その人たちに向けてどうアプローチしていけばいいのでしょうか

持田 練馬区の「ひとり親支援ナビ」のサイトには練馬区ひとり親福祉連合会の名前が入っているので、そこをクリックすれば私たちの活動が出てきますし、なおかつ私の住所と名前も電話番号まで出ています。まずは悩みがあったら連絡してほしい。

預け先がないので未就学の子どもを家に残して働きにいかなければならないシングルマザーから相談がありました。なんでそんな状況になるのでしょうか。それは日本社会が子どもの安全や人権に対しての理解度が少ないからだと感じます。留守中の幼い子どもが亡くなるケースが後を絶ちません。それも変えていかなければいけないと思います。安心して子どもが預けられる環境があれば、子どもたちの命を救うことができるんです。

依然として、子は親に従属するものだという社会風潮がいけないと思っています。少なくとも生まれたときから人権があって、その子どもを社会が守るんだという政策が必要です。

児童相談所を増やす話もありますが、ただ児相を増やすんじゃなくて、そこに行く前の段階の法律を作らなければいけないと思っています。子どもの人権の尊重を法的に明確化させて厳罰化すべきなんです。

吉田 それは親に対してのものですか。

持田 いいえ、そうではなく、社会を含むすべての責任としてです。だから、ひとり親家庭に向けては、まずはひとり親家庭と言えども、ひとりじゃないことを知ってほしい。

そして、ひとり親以外の人たちに対しては、何か特別なことをするのではなく、自分たちと違ったものにも目を向けてほしいということです。理解する努力をしてほしいのです。

(インタビュー中、持田さんのLINEの通知音が連続で鳴る。)

持田 すみません、会のLINEがうるさくって。

吉田 いえいえ。それは積極的に皆さんが発信しているということですから。

持田 それが夜中だろうが関係なく、会の皆さんからいっぱいメッセージが来ちゃうんです。

吉田 既読スルーはできないですよね。

持田 そうですね。夜中2時に相談の電話がかかってきたこともあります。

吉田 それほど深刻ということですよね

持田 そうですね。まずは話を聞いてあげて。「大丈夫だよ。いろんなことがあると思うんだけれどもひとりじゃないし、何かがあったら僕も動くから」という話をして、いろんなところにつないであげました。その後にお礼の連絡がありましたが、ホッとしますよね。

吉田 ひとり親は実家に住んでなければ、家の中に大人がひとりというのが基本。なので、誰かに話したいとか、伝えたいとか、そういう思いを押し殺しちゃうことが多いですよね。

持田 だから、まずは聞いてあげることが大事なんです。

吉田 そうした存在が1人いるだけでも違いますよね。

持田 本当は何人もいてほしいんですよ。だから僕は会のみんなで集まるごとに、「横で交流してくださいね。お願いしますね」と促すわけです。

吉田 練馬だけでも、相当数ひとり親がいる状況の中で、持田さんの活動を通じて、そこで救われるひとり親が一家族でも増えることを今後も期待したいですね。今日はありがとうございました。

持田さんと筆者(筆者撮影)
持田さんと筆者(筆者撮影)

労働・子育てジャーナリスト/グリーンパパプロジェクト代表

1977年7月東京生まれ。03年3月日大院修士課程修了(政治学修士)。労働専門誌の記者、父親支援団体代表を経て、16年3月NPO法人グリーンパパプロジェクトを設立。これまで内閣府「子ども・子育て会議」委員、厚労省「イクメンプロジェクト推進委員会」委員を歴任。現在、こども家庭庁「幼児期までのこどもの育ち部会」委員、「こどもの預かりサービスの在り方に関する専門委員会」委員、東京都「子供・子育て会議」委員などを務める。設立したNPOで放課後児童クラブを運営。3児のシングルファーザー。小中高のPTA会長を経験し、現在鴻巣市PTA連合会前会長(顧問)。著書「パパの働き方が社会を変える!」(労働調査会)。

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