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赤土に沈めたドロップショットーー錦織圭の原点を象徴する技で描いた、完勝への道筋

内田暁フリーランスライター
※写真は1回戦時の錦織(写真:Shutterstock/アフロ)

柔らかなボールが相手のコートに沈むのを見届けると、彼はまるで子供のように、喜びと驚きが入り混じった笑みを浮かべて、ぴょんと軽く飛び跳ねた。

全仏オープン2回戦の対ジェレミー・シャルディ戦で放った、豪快なジャックナイフからつなげるドロップショットーー。創造性と遊び心にも満ちた瀟洒な流れに、“敵地”であるにも関わらず、客席から一斉に錦織圭を称える拍手と歓声が沸き起こった。

「子供の頃から、圭は今と同じようなプレーでした。よくドロップショットを打って……」

錦織の姉の玲奈さんが、そう教えてくれたことがある。玲奈さんは錦織にとり、最初のテニス仲間にしてライバルだ。錦織家の姉弟が揃ってテニスを始めた頃、4歳年長の姉は体格でもパワーでも、弟を大きく上回った。まともに打ち合っては、小柄な末っ子に勝ち目はない。それでも当然、弟は姉に負けたくない。なんとか勝つ方法はないか……負けず嫌い魂を創造力の源泉として、頭を捻り自ら探り当てた策こそが、ネット際などにポトリとゆるい球を落とすことだった。

「私相手に決めると、嬉しそうな顔をするんです。『これで、玲奈ちゃんは崩せるな』って感じで」。

いやらしいテニスなんですよ……口にした言葉とは裏腹に、懐かしそうな優しい笑みを浮かべて姉は言う。錦織にとってドロップショットは、地元の公園を起点とするキャリアの始まりを描く放物線だ。

かつて姉の心を乱したそのショットは、約20年後のローランギャロス(全仏オープン会場)で、地元人気選手の平常心を揺さぶり崩す。錦織にとってシャルディは、ジュニア時代に3度対戦し、いずれも破れている相手。少年時代には3歳の年齢差が大きな壁として立ちはだかり、大柄なシャルディに勝つことは叶わなかった。しかし錦織が20歳を過ぎた頃から、両者の成長曲線は交錯する。全仏オープンでは初となった今回の対戦でも、10cmの身長差など今も体格では上回るシャルディを、錦織は攻撃的なプレーで圧倒した。

そして第1セットのゲームカウント5-3の場面で、地元の声援を受け奮起するシャルディの吹き出るアドレナリンに水を掛けるかのように放つ、柔らかくも残酷なドロップショットーー。

「圭のプレーが凄まじすぎて、何をすれば良いのか全く分からなくなった」

試合後に諦めに似た笑みすら浮かべたシャルディは、以降、10ゲームを連続して落とす。幼少期に姉を翻弄した技が、勝利の呼び水となった。

プロに転向して間もない頃の錦織は、夢は「全仏オープン優勝」だと語っていた。もっと遡るなら、12歳の頃に参加した欧州遠征時にクレーコートで勝ちまくった経験が、その夢の水源として光を放つ。

幼少期に築いた遊び心に満ちたプレースタイルと、少年時代に抱いた無垢な夢を抱えながら、赤土に轍を残す旅は続く。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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