亡き母の手作りハンバーグは、今も冷凍庫に… 仮免・ひき逃げ死亡事故。被告の「無罪」主張に、遺族は
「事故の前日は、母の70歳の誕生日でした。家族でお寿司屋さんに行って楽しくお祝いし、『あー、美味しい、幸せー!』母は笑顔でそう言ってくれました。それなのに、まさかその翌日、かけがえのない大切な母と、二度と会うことも、話すことも出来なくなるなんて……」
そう語るのは、岡山県の吉岡由里恵さん(50)です。
以下は、事故から2日後、本件を報じた新聞記事です。
●『仮免許で死亡ひき逃げ容疑=岡山』
9日午後9時頃、倉敷市福田町古新田の県道で、道路を渡っていた女性がトラックにはねられ、搬送先の病院でまもなく死亡した。
水島署は10日、トラックを運転していた玉野市玉、建設会社社員金嶋晃一容疑者(29)を自動車運転死傷行為処罰法違反(過失運転致死)と道路交通法違反(ひき逃げ)の疑いで逮捕した。容疑を認めているという。
同署によると、女性は倉敷市広江、無職岸本福代さん(70)と確認された。金嶋容疑者は仮免許でトラックを運転しており、一時走り去った後、現場に戻ってきたという。(2021.6.11/読売新聞)
その夜、散歩中だった福代さんは、保険証や免許証などを持っていなかったため、すぐに身元が分かりませんでした。
警察は、壊れた携帯電話からSIMカードを取り出して身元を割り出し、家族が福代さんの死を知らされたのは、翌日の夕方のことでした。
「ひき逃げ事件ということで、3日後、大学で司法解剖されることになり、母の遺体は傷まないように冷たくされたまま、警察署に安置されていました。母のそばにいられないその時間は、とても長く感じられました。解剖後、遺体と一緒に戻ってきた母の携帯電話は酷く破損していました」
捜査が済んでから、その他の遺品が返されました。福代さんが最後に身につけていたバッグは、前年に由里恵さんがプレゼントしたものでした。
「バッグの肩紐は無惨に引きちぎれ、いつもかけていたメガネはレンズがはずれていました。そして、切り裂かれたシャツにはたくさんの血がついていました。衝突の瞬間、母はどれほどの恐怖を感じたことでしょう。私はそのシャツを、おもわず抱きしめました」(由里恵さん)
トラックの左前部で衝突され、路上に転倒させられた福代さんの死因は、大動脈離断等で、ほぼ即死でした。
近所に住んでいた福代さんは。2日に1度は由里恵さんの自宅に来て、孫の保育園のお迎えや家事などを手伝っていたといいます。
由里恵さんは語ります。
「当時7歳だった末娘は、母の葬儀の後、火葬場に向かう車の中で初めて声を上げて泣きました。『ばあば、置いていかないで一!』と。それまでは、私が泣いているとそばに来て『大丈夫だよ』と背中をトントンしてくれていたのです……。今でも、突然仏壇の前に座り、うつ伏せになって泣いていることがあります。私はそんな娘の姿を見て、悲しいのは自分だけではなかったのだと、反省しました。母はこれまで、苦労して一生懸命生きてきた人です。働き者で、皆に慕われ、孫たちのことを本当に可愛がってくれていました。料理好きでしたので、いつもたくさんの美味しいおかずを作っては届けてくれました。そんな母の手料理を、もう二度と食べられなくなりました。生前、母が作ってくれたハンバーグが、まだ冷凍庫の中にあります。食べたいのに、食べられないんです……」
■仮免許での事故。「怒られるのが怖い」と逃走した被告
過去に交通違反を重ね、免許取り消し処分になっていた加害者は、事故当時、再度免許を取得するために教習所に通っていました。
本件事故は、準中型の仮運転免許証(仮免許)を取得した状態で、会社のトラック(準中型貨物自動車)を運転し、教習所から自宅に帰る途中に発生したのです。
トラックのフロントガラスは、前方を横断中だった福代さんをはねた衝撃で、蜘蛛の巣状に割れるほどの損傷を受けていました。
しかし、加害者は、「無免許で事故を起こしたことを会社に知られて怒られるのが怖い」などの理由で、車を停止させずそのまま直進。しばらくしてUターンし、来た道を戻り始めましたが、事故現場の手前で脇道に左折し、妻や、事故車のトラックを所有する勤務先の会社の社長に電話をかけ、事故を起こしたことを告げていたことがわかっています。
事故から約7分後、事故現場に戻ってきましたが、7分間であっても、この行為はれっきとした「ひき逃げ(救護義務違反)」にあたります。
たとえ仮免許を取得していても、練習以外の目的で車を走らせた場合は「無免許運転」とみなされます。
そもそも加害者の男は、仮免許で練習する際に法律で定められている指導者を同乗させず、また「仮免許練習中」という所定の標識もつけていなかったのです。
事故から約9か月後、検察は加害者を「無免許運転過失致死」「道路交通法違反(ひき逃げ)」の罪で起訴しました。
■刑事裁判で「無罪」を主張した被告人
ところが、刑事裁判は思わぬ展開となりました。
警察や検察の取り調べ時には、自身の罪を認め「遺族に謝罪の手紙を書きたい」と話していた被告人でしたが、裁判が始まると、以下の理由で「無罪」を主張してきたのです。
① 被告車両は動いていたので、夜間、被告人が詳細に視認することができる中心視野は狭くなるし、同人は被害者の位置を分かって凝視することは出来ないのだから、被害者を認識することは困難であった。
(→ 事故を起こしたことは事実だが、過失はない)
② 被告人には、人を相手方とする事故が生じたという認識がなかった。
(→ ひき逃げをした、という故意はない)
由里恵さんは、こうした主張をする被告に、憤りを感じたといいます。
「夜間とはいえ、普通に前方を見て運転していれば、前に歩行者がいることに気がつかないはずがありません。トラックの運転席の高さならなおさらです。これは私の想像ですが、携帯をさわるとか、眠気があったとか、前を見ていない何らかの理由があったのではないかと思うのです」
由里恵さんは被害者参加制度を利用して法廷に立ち、反省も、謝罪の姿勢も見られない被告人に対して、実刑判決を求める陳述を行いました。
そして、2023年3月17日、岡山地裁倉敷支部(横澤慶太裁判官)は、被告人の無罪主張を全て退け、懲役2年2か月の実刑判決(求刑懲役4年)を下したのです。
■裁判官は被告人の無罪主張を一蹴し、実刑に
裁判官は、被告人の「運転者としての規範意識のなさ」を示す数々の事実を指摘。判決文には厳しい口調で以下のように記されていました。一部を抜粋します。
●『被告人は、これまで交通事故を生じさせた際の無免許運転等の道路交通法違反によって、罰金刑を2度も受けてきたというのに、妻に内緒で駐車場を借りるなどして、長期にわたって日常的に通勤等の足として運転をする中で本件に至ったもので、その背景事情として被告人が供述する点も運転がやむを得ないと評価出来るようなものでは到底ないのだから、結局のところ同人の交通規範意識の在り様には大変大きな問題がある』
●『被告人は、自動車運転者として基本的かつ単純な注意義務に違反したもので、その過失の内容は、無免許運転がもたらした交通の危険が現実化した側面が小さくないという点も含めて、とてもよくない』
●『被告人は、ポールのようなものが接触したのだろうと思った旨供述する。被告人がそのような想定を可能性のひとつとして思い浮かべたこと自体を否定することまでは出来ないが、同想定を鵜呑みに出来るような状況ではないのだから、これをもって人身事故が生じた可能性がないとの判断に至るとは考え難い。同供述を採用することは出来ない』
●『被告人は、当公判廷で、自身の理解の範囲内で事実関係を説明する姿勢を示し、一応同人なりの謝罪と反省の言葉を口にしたとはいえ、その供述の内容や経過に照らせば、本件を省みる姿勢は十分ではない』
実刑判決の読み上げを聞いたとき、由里恵さんは涙が出たと言います。
「4年の求刑に対して、2年2か月の判決……、その刑期が長いとは思いません。でも、この判決に不服はありません。何度も証拠集めをして下さった沢山の警察の方々、検察官、そして、遺族に意見陳述の機会を与え、被告人の悪質性を指摘してくださった裁判官には感謝しています」
■判決を不服として控訴してきた被告人
しかし、一審判決は未だ確定していません。
2023年3月31日、被告人が判決を不服として、控訴してきたのです。
控訴趣意書では、被告人が『正面を見ていた』ことになっており、これまでと供述内容が変わっているといいます。
由里恵さんは語ります。
「一審の4回目の公判で、こちらを向き、小さな声で『すみませんでした……』と言った被告人のあの言葉は、いったい何だったのでしょうか。また、何年も無免許運転を続けさせておきながら、『知らなかった』と主張する会社も、本来ならば刑事罰を受けるべきではないでしょうか。今も無免許やひき逃げのニュースを頻繁に目にします。私が他人の人生を糺すことはできませんが、母が亡くなったこの事件を多くの方に知っていただくことで、少しでも抑止力になり、同じような苦しみを負う被害者や遺族が減ることを願うばかりです。高裁で減刑になるとは思っていませんし、思いたくありませんが、ぜひ本件の高裁判決にご注目いただければと思います」
高裁判決は1週間後、7月26日(水)、13時30分より、広島高等裁判所岡山支部で言い渡される予定です。
仮免許でひき逃げ死亡事故を起こした被告人の「無罪」主張は、はたしてどう判断されるのか……。
結果に注目したいと思います。