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地下鉄サリン事件から25年~新たな死…そして教訓

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
浅川幸子さんの遺影と記者会見する兄の一雄さん(東京・霞ヶ関の司法記者クラブで)

 オウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件の被害者、浅川幸子さんが亡くなった。死因はサリン中毒による低酸素脳症。事件から25年となる日を前にした3月19日、兄の一雄さんが代理人弁護士と共に記者会見して明らかにした。この事件で命を奪われた犠牲者は、14人となった。

「生きていることが奇跡です」

 1995年3月20日、幸子さんは仕事の研修のために地下鉄丸ノ内線に乗っていて事件に遭った。心肺停止の状態で救助され、なんとか蘇生したものの、全身に強いマヒが残り、寝たきりに。「奇跡は起こらないんでしょうか?!」と問う母に、医師は「今生きていることが、奇跡です」と言った。

 8年半、3カ所の病院で治療やリハビリを受けた後、医師からは介護施設への入所を勧められた。しかし、「うちで見てあげようよ」という妻の言葉で、一雄さんは自宅に引き取ることを決意。2003年から自宅で、ヘルパーの支援を受けながら、一緒に生活した。

一雄さんに髪を切ってもらう幸子さん(2016年7月、遺族提供)
一雄さんに髪を切ってもらう幸子さん(2016年7月、遺族提供)

懸命に生きた25年

 ところが2017年10月、けいれんを起こして入院。それまではミキサー食を介助を受けながら食べていたが、以後、体が強く硬直し、飲み込むことができなくなった。

 それでも、胃ろうで栄養補給をしながら、幸子さんは懸命に生き続けた。3月6日には、一雄さんが面会。生まれてまもない長女の子どもの動画の声を聞かせたところ、幸子さんはマヒした手に力を込め、頭をそらして反応。「明らかに喜んでいた」と一雄さん。

 しかし3月10日朝、容態が急変。午前9時34分に息を引き取った。駆けつけた一雄さんは、妹の耳元でこう声をかけた。

「さっちゃん、25年間よく頑張ったね。お疲れさま。これからはもう頑張らなくていいんだよ。ゆっくり休もう」

奪われた日常の幸せ

 戒名は「優心日幸信女」。

 「優しくて気遣いをする子でしたから」と一雄さん。家族思いの幸子さんは、事件前日、小学校に上がる一雄さんの長男にランドセルをプレゼントしようと、みんなで店に選びに行ったばかりだった。

 ディズニーランドが大好きで、友達や家族と一緒に何度も訪れた。

ディズニーランドで笑顔の幸子さん(左)と長男を抱いた一雄さん(1991年2月、遺族提供)
ディズニーランドで笑顔の幸子さん(左)と長男を抱いた一雄さん(1991年2月、遺族提供)

 そんな幸せな日常は、事件によって奪われた。幸子さん本人だけではない。看病や介護があるため、一雄さんは2人の子を旅行に連れて行くこともままならず、「子どもたちにも可哀想な思いをさせたし、家内にも苦労をさせた」という。その一方で、「僕たち家族は、幸子から本当に力をもらった」とも言い、別れに臨んで幸子さんには「ありがとう」と伝えた。

幸子さんが訴えたかったこと

 幸子さんは後遺症により、医師からは「知能は3~5歳程度」と言われていたが、実際には、自らが置かれた状況をよく把握し、様々な意思表示もしていた。1度「迷惑かけてごめんね」と言う幸子さんを、一雄さんは慌てて制して、「そんなことないよ。お互い様だよ」と打ち消したこともあった、という。「オウム、大ばか!」と教団への憤りを示す時もあった。一方、幸子さんが笑顔を見せた時などは力づけられた、と一雄さんは偲ぶ。

 当初はメディアを避けていた一雄さんが、その後、積極的に取材を受けるようになったのも、幸子さんの意思が確認できたから。記者会見に車椅子の幸子さんが同席したり、一緒にテレビの取材を受けたこともあった。

ベッドの上の幸子さん(2019年1月、遺族提供)
ベッドの上の幸子さん(2019年1月、遺族提供)

 そんな幸子さんは、オウムが引き起こした事件のむごさと、それでも懸命に生きる被害者の姿を象徴する存在だった。オウム被害対策弁護団団長の宇都宮健二弁護士は、「幸子さんががんばっているから、我々もがんばらねばと励まされていた」と語る。

 同弁護団事務局長の中村裕二弁護士は、記者会見でこう述べた。

「闘病するご自身の壮絶な姿をさらけ出してでも、幸子さんには訴えたいことがあった。何を伝えたかったのかを改めて考え直すことが、我々に課された宿題だ」

浅川さん(中央)と共に会見する、宇都宮弁護団長(右)と中村事務局長(左)
浅川さん(中央)と共に会見する、宇都宮弁護団長(右)と中村事務局長(左)

オウム事件は今なお進行中

 この3月20日で、地下鉄サリン事件から25年。四半世紀が経過したことになる。

 総務省統計局の推計によれば、今年2月時点で、24歳以下の人口は2732万人。彼らは、事件当時は生まれてもいなかった。事件が起きた頃に0~9歳だった世代(現在25~29歳)を加えると、事件やそれを引き起こしたオウム真理教についてよく知らない人たちが、今や総人口の3割以上を占める時代になった。

 教祖を含め13人の死刑囚の刑はすでに執行され、一連の事件は「歴史」の領域に追いやられつつある。

 しかし、オウム事件は今なお進行中だ。浅川さん遺族の新たな悲しみに加え、オウムによって大切な人の命を奪われた遺族の喪失感は続いている。被害を受けた人の健康被害も解消されていない。そんな中、後継団体(アレフ、光の輪など)は引き続き活動をし、勧誘活動も行っている。

 オウムのようなカルトに人が引き寄せられていくのは、被害者にとってたまらない「脅威」であると同時に、取り込まれていく人にとっても、その周囲の人にとっても、人生を破壊する不幸に他ならない。そうした被害を、少しでも減らすために、とりわけ若い人たちにはカルトの怖さを知って欲しいと思う。

地下鉄サリン事件運転役の無期懲役囚からの手紙

 一連のオウム事件では、6人が死刑に次ぐ重刑である無期懲役となって、今も服役を続けている。そのうち、地下鉄日比谷線の実行犯の運転役を務めたほか、教団内のリンチ殺人などにも関わった杉本繁郎受刑者が、事件から25年を前にした心境をしたためた手紙を私(江川)に送ってきた。

 教団の中にいた頃の彼は、教祖の言動などに違和感を覚えたこともあった。それでも、離脱することができず、言われるままに事件に関わった自分を振り返り、信者を呪縛する心の支配について分析している。カルトの怖さを考える材料として、その手紙をここで紹介したい。

杉本繁郎受刑者からの手紙。違和感を覚えながら「闇の正体」に気づけなかった悔いなどが綴られている
杉本繁郎受刑者からの手紙。違和感を覚えながら「闇の正体」に気づけなかった悔いなどが綴られている

オウムは宗教を利用した詐欺組織だった

 杉本受刑者は、最近のニュースの中で、神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」の入所者ら45人を殺傷したとして殺人などに問われた元職員植松聖被告の裁判が気になっていると述べ、その「歪んだ認識」をオウムの麻原彰晃こと松本智津夫教祖と重ね合わせて考察している。さらにフィリピンで日本人を対象にした振り込め詐欺のグループが摘発され、”かけ子”ら9人が日本に移送されて逮捕された、という報道に接した時の思いを、次のように綴っている。

〈私はふと、教団も結局のところ、宗教を利用した詐欺組織だったんだな、という思いをいだきました。ただ問題なのは、”かけ子”たちは自分らのやっている行為は詐欺であり犯罪であるということを明確に理解しているのに対し、教団信者らには、そのような認識など全くなく、そればかりか、自分たちは正しいことをしているなどと、全くの思い違いをしていることです〉

 そのうえで、今も教団にしがみつく信者の心境を次のように考察している。

〈おそらく信者らは、自分は真理の実践をしている、真理に気づかぬ人たちを救済するために自分たちは活動しているなどという妄想に捕らわれ、何ら疑念疑問をいだくことなく、教団が提示する宗教活動を実践しているのだと思います。そして、この信者らの心に生じているのは、自分は真理を実践しているという満足感、普通の人たちが知らない絶対的な真理を知っているという優越感、自分は選ばれた特別な存在だという思い、という、ある種の選民思想的発想による自画自賛等々であり、これは麻原の心に生じていたはずの思いの追体験でもあるのだと申せましょう〉

心に違和感や疑問が浮かんだけれど…

 さらに杉本受刑者は、オウムにのめり込んでしまった自分自身を、次のように振り返っている。

〈教団が神仙の会から真理教へ名称を変え、また特別イニシエーションとして信者らから高額の布施を募るようになった87年頃から、ある種の違和感、あるいは疑念、疑問なるものが私の心の中に生じておりました。しかし、その当時の私は、心に生じた違和感や疑念、疑問について、明確に言葉に変換して、その正体を具体的に把握し、理解することができませんでした。

 もちろん当時の私は、教団は宗教を利用した詐欺組織という認識にまでは至っておりませんし、至ることもありませんでした。ですが、心に引っ掛かるものが確かにあったのです。が、しかし、何と申しますか、そのことが黒い闇に覆われていると申しますか、そんな感じで、私が逮捕されるまで、この闇が晴れることはなく、このため、その当時、私がこの闇の正体に気づくことはありませんでした〉

「闇の正体」とは

 なぜ、「闇の正体」に気づけなかったのか。彼は、自分に問いかけ、こう書いている。

〈その理由は、私がある種のフィルター、あるいは色メガネを通して教団のこと、麻原のことを見ていたからだと思います。もちろん、そのフィルター、又は色メガネは、宗教思想というフィルターです。教団の教義の大部分は、仏教、ヨーガなどからの転用(パクリ)に過ぎません。そして、この転用された教義は全く間違ってはおらず、正しいのです。まあ、当然です。そして、この正しい教義の影に、闇の部分が完全に隠されているがゆえに、闇の部分、闇の正体に私は気づくことができなかったのです。

 しかし、このフィルターを取り去って闇の部分を見た時、その闇の正体が明確になるではありませんか。なぜ教団にいた当時の自分はこのことに気づけなかったのだろうか。このことを考えた時、自分自身が本当に情けなく、どんなに後悔しても後悔しきれない、そんな思いに今も苛まれ続けています〉

人生の難問に「答え」を与えて疑問を封じる

 現在、後継団体の信者たちも、こうしたフィルターを通して教団を見ているために、「教団は宗教を利用した詐欺組織に過ぎないという教団の実体と実態を直視することができないでいる」と、彼は推測する。

教団にいた頃の杉本受刑者
教団にいた頃の杉本受刑者

 そのうえで、「なぜこのようなフィルターが形成されるのでしょうか?」と再び自問。彼は、自身の答えをこう書いている。

〈それは、教団がこの人たちのある種の疑問に明確な回答を提示してくれる、と彼らが信じ込むからだろうと思われます。「ある人は善い人なのに全く報われず、ある人は悪いことばかりしているのに成功しているのはなぜか」という疑問に、普通はなかなか納得する回答は得られぬものです。が、しかし、「前世のカルマ(業)」などといういわゆる「カルマの理論」で説明されると、なぜか「なるほど」と納得してしまう人もいるのです〉

 オウム信者を縛っていた「カルマの法則」「カルマの理論」の基本は、「自分の思いや行為は、自分自身に返ってくる」という、いわば「自業自得」なのだが、そこに輪廻転生の発想が結びつく。そのため、「前世」でなした行為が「今生」に結果となって現れる、という理屈になる。よい人が報われないのは、前世で蓄積した悪いカルマが今なお清算ができていないため、などと説明される。

 それでは死刑にまでなった教祖は、よほど”悪いカルマ”がたまっていたのかと思いきや、彼の場合は、弟子たちの”悪いカルマ”を背負う利他の行為として受け止める。教祖にとって都合よく作られた教義なのだ。

 こうした理屈で「答え」を与え、信者の疑問を封じていくのが、オウムの手法だった、と杉本受刑者は言う。

〈このカルマの理論は1つの例ですが、この例に限らず、教団側が語る教義で疑問が解消されたと信じ込んでしまう人は、このことが要因で、先のフィルターが形成され、教団の実体と実態を正確に見ることができなくなり、その結果、教団に取り込まれてしまうことになるのだろうと思います〉

 私が信者・元信者たちに、教祖の一番の魅力を尋ねた時も、多くの人から「何を聞いてもたちどころに答えを出してくれる」点を上げていた。

心に浮かんだ違和感が大事

カルトのマインドコントロールに詳しい西田公昭教授(立正大学ホームページより)
カルトのマインドコントロールに詳しい西田公昭教授(立正大学ホームページより)

 カルトのマインドコントロールについて研究を続けている西田公昭・立正大学教授(社会心理学)は、杉本受刑囚の手紙を「心の整理がついて、自分がいたカルトやマインドコントロールについて客観視できるようになっている」としたうえで、こう語る。

「社会の矛盾や人生の深い問題は、簡単に答えが出ない。それを『カルマ』などで単純明快に解明しようとするところは危ういと分かって欲しい」

 そのうえで、杉本受刑者が教団にいた頃、すでに感じていた「心のひっかかり」「違和感」「疑問、疑念」について、次のように指摘する。

「元信者らに話を聞くと、多くの人が彼(杉本受刑者)と同じように心のひっかかり、『違和感』を覚えている。その時に、『ここは何か問題がある』と思えれば、抜け出すこともできただろうが、そうならないのが、マインドコントロールの怖さだ。心に浮かんだ『違和感』を大事にしよう、それがカルトから身を守る、と伝えていくことが必要だ」

 ひとたびカルトにはまり込んだ人にとっては、教祖などは偉大な権威者となる。日頃から、心に湧いた疑問や違和感は、権威者によって与えられた答えで潰してしまわず、自分の中で大事に持ち続けるようにしたい。この教訓を、オウムが生んだ被害と共に、事件を知らない世代に届け続けたいと思う。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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