攘夷浪士よりも恐ろしかった、新選組の掟
新選組は幕末を描く作品では幾度となく取り上げられており、現在でも人気は高いです。
そんな新選組ですが、隊のルールがものすごく厳しかったことでも知られています。
今回は厳しすぎる新選組の掟について紹介していきます。
1.敵より味方を斬った数の方が多い新選組
浪人集団である新選組は、厳格な隊規「局中法度」を定め、違反者を粛清することで統率を図っていました。
この隊規は、1863年の浪士組時代に近藤勇ら試衛館派から芹沢鴨ら水戸派に提示され、天然理心流の神文帳と類似しているとされます。
正式に機能し始めたのは、新選組と名を改めてからであり、違反者は切腹を命じられるなど厳しい規律が敷かれていたのです。
局中法度は五か条あり、
の5つです。
特に新選組を辞めてはいけないという決まりは厳格に適応されており、幹部であった山南敬助が脱走した際も例外なく切腹を言い渡されました。
しかし新選組に入ったら必ずしも辞められないというわけではなく、病気や怪我、剣術修行を理由に除隊する隊士は少なからずいました。
また後述する伊東甲子太郎は分隊という形をとることで、新選組の支配下から逃れることとなりました。
しかし「武士道に背くことをしてはいけない」という決まりは、恣意的に運用されることが多かったです。
この決まりで粛清された人の中には「愛人の浮気相手に斬られ、そのまま逃げられてしまった」や「辻斬りで関係ない人を大量に殺した」など当時の基準でも明らかに武士道に背いている人もいたものの、隊の運営で新選組上層部と対立した人がこの罪状で粛清されることも決して少なくはなかったのです。
たとえば伊東甲子太郎は御陵衛士という集団を立ち上げた後、薩摩藩に接近したことにより、新選組上層部から粛清されました。
このようなこともあり、幕末期の新選組の死者45名の内、39名は暗殺や切腹によるものだったのです。