【京都市西京区】なんとこの時期でも美しく鑑賞できた紅葉の超穴場の小さな神社に伝わる怨霊鎮魂伝承とは?
阪急上桂駅を降り立ち、東に向かって歩いて、しばらく行くと「上桂御霊神社」があります、2024年12月16日に訪れてみると、小さい境内ですが、なんと! まもなく年を越えるというこの時期に境内を埋め尽くす紅葉が見事に色づいていました。訪れる人はほとんどなく、寒かったですが、ゆったりと美しく輝く紅葉を独り占めできました。
さて、京都にはあちこちに御霊神社が存在します。奈良時代から平安時代へ、当時の人々は疫病や天変地異などが起こると、時の為政者との政争に敗れて非業の死を遂げた人たちの怨霊が禍をもたらすとの信仰があったからだといわれます。上桂御霊神社の祭神は太田神、こちらは詳しいことは分かっていませんが、今、フジテレビ系列で話題の「全領域異常解決室」で迫田孝也さんが演じる猿田彦命の流れではないかともいわれています。
もう一柱は伊予親王です。一説にはその母の藤原吉子ともいわれます。伊予親王は桓武天皇の第3皇子で、平城天皇の異母弟となります。桓武天皇が没した翌年、大同2年(807年)に突然謀反の疑いをかけられ、奈良明日香村に幽閉の後、母ともども非業の死を遂げてしまいます。
実はこれにはNHK大河ドラマ「光る君へ」でも今話題の藤原一族の暗躍があったといわれます。この伊予親王の変は、後に藤原式家の仲成と薬子の兄妹が覇を競う藤原南家の追い落としのために関与したとの見方もあります。この変で南家が没落し、3年後の薬子の変で式家も勢力を失っていくことになります。以後、藤原北家が台頭し、この系統による「摂関政治」が後の道長・頼通父子の時代に全盛を極めることになるのです。
因みに薬子は長岡京遷都後間もない建設中に何者かに暗殺された長岡京造宮使の藤原種継の娘です。諸説ありますが、こちらの事件についても、事件の後に、藤原一族の維摩会が神足の家(是公の邸宅、現在の神足神社と伝わる)で行われ、種継の式家を除いて、藤原北家と南家が安殿親王(後の平城天皇)を皇太子とし、以後藤原一族は北家が隆盛を誇ったことなどから、藤原北家の陰謀説もあります。
さらに、藤原北家は隆盛の後に、近衛、一条、二条、九条、鷹司家に別れ、摂関家となって幕末まで続きます。実は九條家は今上天皇の直径祖先となりますが、その血統には意外な人物がいます。織田信長の妹とされるお市の方と戦国大名浅井長政との間に生まれた江姫は、後に秀吉の甥の秀勝に嫁ぎます。その間に生まれたのが豊臣完子(とよとみのさだこ)でした。
秀勝が文禄・慶長の役で病死した後、江は徳川幕府二代将軍徳川秀忠と再婚。その際に、完子は、淀君に引き取られ、後に関白となる九條幸家の元に嫁ぐことになります。この子孫が、大正天皇皇后である貞明皇后であり、昭和天皇の母となっていくのです。名立たる英傑たちの血統が現代皇室にもつながっています。
歴史ロマンあふれる西山山麓へ立ち寄ってみてはいかがですか!
「上桂御霊神社」京都市西京区上桂西居町48