2006年のイビチャ・オシムとルカ・モドリッチ 16年ぶりに対戦するクロアチアとの知られざる物語
日本代表がワールドカップのグループステージ第3戦で、ドイツに続いてスペインにも逆転勝利した12月2日未明。感極まった私は、こんなツイートをしている。
私にしては珍しく、2,941のリツイートと1.8万件の「いいね」が付いた。数字そのものよりも、この思いに共鳴してくれた人がたくさんいることが嬉しかった。グループEを1位通過した日本は、12月5日に行われるラウンド16で、グループFを2位でフィニッシュした前回大会準優勝のクロアチアと対戦する。
今年5月1日に80歳で亡くなった、元日本代表監督のイビチャ・オシム。ボスニア・ヘルツェゴビナ出身の彼は、国家解体前の最後のユーゴスラビア代表監督でもあった。そして1998年のワールドカップで、初出場ながら3位に躍進した当時のクロアチア代表には、多くの教え子たちが含まれている。よって、オシムの知名度と発言の影響力は、かの国でも群を抜いていた。
さて、日本がワールドカップでクロアチアと対戦するのは、今回が3回目。1回目は1998年のフランス大会、2回目が2006年のドイツ大会である。いずれもグループステージでの対戦であり、1回目は0-1で日本の敗戦、2回目はスコアレスドローに終わっている。
3回目となる今回は、初めてトーナメントで雌雄を決する日本とクロアチア。本稿では、16年前の対戦から、現代につながる2人のキーパーソンにフォーカスする。ひとりは、両国に多くの影響を与えたイビチャ・オシム。もうひとりは、クロアチア代表でキャプテンを務めるルカ・モドリッチだ。
■なぜオシムは2006年のクロアチアにダメ出しをしたのか?
あらためて、16年前のゲームを振り返ってみよう。日本とクロアチアが対戦したのは、グループステージ第2戦。会場はニュルンベルクのフランケン・シュタディオンで15時キックオフだった。気温がぐんぐん上昇する、猛暑の中でのゲームだったと記憶する。
日本はオーストラリアとの初戦に1-3、クロアチアはブラジルに0-1で敗れていた。どちらも絶対に勝たなければならない状況だったが、焦りと暑さによる消耗から、両者ともに決定力を欠くシーンが相次いだ。
クロアチアは21分にPKを獲得するも、ダド・プルショのキックはGK川口能活にセーブされる。日本も51分、柳沢敦が決定的な場面を迎えるも、痛恨のシュートミス。試合後のコメント「急にボールが来たので」は、QBKというネットスラングに転換され、以後もしばらく当人を苦しめることとなる。結果、日本とクロアチアは、共にグループステージ敗退となった。
この16年前の試合は、クロアチア国営放送でもライブ中継されている。そしてゲストコメンテーターに招かれていたのが、当時ジェフユナイテッド千葉の監督だったオシム。ニュルンベルクでの試合が終わり、ザグレブのスタジオにカメラが切り替わった時、彼はMCの存在を無視するかのように、5分以上にわたって熱弁を振るっている。その表情には、静かな怒りがみなぎっていた。
「確かに彼らは、素晴らしいクラブでプレーするだけのクオリティを持っているのかもしれない。けれども、まずは走らないと意味がないんだ。それがなければ、何もできないし、何も生まれない」
当時、日本で「考えて走るサッカー」を提唱・実践していたオシムにとり、テクニックに溺れて献身的な走りを見せないクロアチアのサッカーは、我慢ならないものに映った。そんな彼が、川淵三郎JFA会長(当時)の「オシムって言っちゃったね」発言によって、日本代表監督就任が明らかになるのは、6日後の6月24日のことである。
■16年前から「走るクロアチア」を体現していたモドリッチ
さて、日本が今回対戦するクロアチアで最も有名な選手といえば、キャプテンで10番のルカ・モドリッチ。前回の2018年大会では大車輪の活躍を見せて、祖国を2位に導くと共に、自身も大会MVPと同年のバロンドールを含む多くの個人タイトルを受賞している。
1985年生まれの37歳。日本のフィールドプレーヤーで最年長の長友佑都より1歳上だが、現在も豊富な運動量を誇り、チームの誰よりも献身的に90分間(延長を入れれば120分間)を走り切る。今大会もグループステージ3試合でスタメン出場。モロッコ戦とベルギー戦はフル出場した(カナダ戦も86分までプレー)。
実はこのモドリッチ、2006年の日本戦にも途中出場している。78分、ニコ・クラニチャールとの交代で、これが彼のワールドカップにおけるデビュー戦となった。私もこの試合を記者席から見ていたが、印象に残ったのはそのテクニックよりも、当時のクロアチア代表らしからぬハードワークぶりであった。
2006年のクロアチアは、トップ下のポジションについて「クラニチャールかモドリッチか」という論争が続いていた(ちなみに当時の代表監督は、ズラトコ・クラニチャール。ニコの実父である)。この大会では、クラニチャールがファーストチョイスだったが、以降はモドリッチが中心選手となっていく。これと軌を一にして、クロアチアは「走るチーム」へと変貌していった。
オシムが指摘していたように、かつてのクロアチアは走力よりも、テクニックやイマジネーションを重視する集団だった(それは旧ユーゴを始めとする東欧諸国でも顕著であった)。クロアチアの場合、劇的に変化する契機となったのが、モドリッチの台頭。そんな彼のワールドカップ初舞台が、16年前の日本戦だったことに、運命的な奇縁を感じずにはいられない。
ワールドカップでは2位と3位になっているが、ドイツやスペインのような優勝経験はない。また、旧ユーゴの伝統は受け継いでいるものの、初出場は日本と同じ1998年のフランス大会。ヨーロッパの中でのクロアチアは、伝統国ではなく「アウトサイダー」という位置づけだ。そして旺盛な運動量をベースにした、攻守の切り替えの速さと縦方向への意識は、日本のスタイルにも通じるものがある。
対する日本は、オシムが代表監督就任時に提唱した「日本サッカーの日本化」がJFAの強化方針となり、森保一監督のサッカーの源流にもなっている。16年の時を経て、ワールドカップのトーナメントで再戦する、強い日本と強いクロアチア。両国に多大な影響を与えてきたオシムは、天上にて何を想うだろうか。
<この稿、了。写真はすべて筆者撮影>