関西の大手私鉄をマタハラで提訴し和解した夫婦の絆 グループ会社の夫は「昇進できなくても構わない」
時短勤務が利用できなくなったと同時に、育児と仕事の両立ができないような部署に異動させることは、“マタハラの進化形”といえる。このようなマタハラに屈せず、顔出しで会社を訴え、和解を勝ち取った夫婦が関西にいる。豊田智子さん・優二さん夫妻だ。グループ企業に勤める二人だが、これまでは、育児との両立が難しい場合、辞めるのは妻側が多かった。夫への影響を懸念すると、妻は辞めざるを得なかったのだ。二人が慣例に従わなかったのはなぜか。その時の思いや裁判後の関係を聞いた。
●裁判の経緯
豊田智子さんは、当時5歳の長女と3歳の長男を自宅近くの保育園に預けていた。二人目の子ども(長男)の産休育休を取得し、2012年5月に職場復帰した。復帰後は、時短勤務を利用して、本社で事務職などをしていた。
ところが、会社は、2014年10月、長男が3歳を迎えたことに伴い、智子さんの時短勤務を終了させ、事務職から駅改札業務への配転を命じた。配転後の勤務時間は、午前8時から午後9時45分までのうち8時間勤務という不規則勤務だった。当時、子どもたちが通う保育園の開所時間は午前7時から午後7時までのため、これでは子どもたちの保育園への送迎ができなくなる。智子さんは、夫婦で時間を調整して、なんとか送迎ができないか検討したが、夫も同じグループの会社に勤めていて早朝勤務や深夜勤務があり、保育園への送迎ができない日があった。子どもたちの送り迎えを頼める親族は近くにいない。
智子さんは、会社に対して、勤務時間の配慮や配置転換命令の撤回を求めたが、会社は、「あなただけを特別扱いできない」の一点張り。しかも、男性役員は、「自分は両親の介護のために妻に会社を辞めさせた」などと退職するようほのめかし、智子さんの申し出に対して全く対応しなかった。そのため、長男が3歳以降は休職扱いとなった。
智子さんは、会社側が子育て中の彼女の勤務時間帯について一切の配慮をしないことから、配転命令の無効確認を求めて仮処分申立に踏み切った。
~マタハラ裁判をした豊田智子さんに聞く~
●顔出し名前出しでの記者会見。グループ会社にいる夫に嫌がらせが向くのでは、と怖かった。
小酒部:顔出し名前出しする勇気はどこから沸いた?
智子:裁判を始めたときに大阪で一人で記者会見した。その時は顔も名前も出す勇気がなくて。そのあと小酒部さんの存在を知って、ジャンヌダルクが現れたと。
小酒部:えっ!いやいや(笑)
智子:道を切り開いてくれたなと。そのあとに小酒部さんに厚生労働省でのストップ!マタハラの記者会見に声をかけてもらって。(参考:「マタハラやめて」被害女性が会見で訴え)顔と名前どうしますかってなったときに、夫に相談したら何も悪いことしたわけではないのだから、顔と名前出してもいいんじゃないと背中を押されて。それで勇気を出せた。
小酒部:記者会見したときはどんな気持ちだった?やっぱり怖かった?
智子:怖かった。バッシングに対する怖さはなかったけれど…
小酒部:なにに対して恐怖を感じた?
智子:夫が同じグループの会社に勤務しているので、夫に嫌がらせや報復的な何かをされるんじゃないか。娘と息子がいるので、就職とかに不具合が出るんじゃないかと。家族に迷惑をかけるんじゃないか、というのがすごく怖かった。
小酒部:自分以外の家族に危害が及ぶのは、誰だって怖いし嫌だよね。
●他の意見を聞くために、ネットのバッシングをあえて見た。
小酒部:ネットに書かれたバッシングは見た?
智子:見た。
小酒部:見るのは怖くなかった?
智子:いや、ある程度想像していた。主張すればそれに対してバッシングというか批判もされるだろうなと。
小酒部:だいたいこんなことを書かれるだろうと予想してから見たということ?
智子:はい。
小酒部:あえてネットを開いて見ようと思ったのはなぜ?
智子:色んな意見を知りたかった。どんなふうに世の中の皆さんは思っているのかなと。
小酒部:第三者からの見られ方を知ろうとするほど、冷静だった?
智子:夫がいたから。支えてくれたから。夫はネットだろうが、ちゃんと聞く耳を持った方がいいよと。
小酒部:第三者の意見を聞いて自分のあり方を考えていくってこと?
智子:意見は勉強になると思ったから、怖くはなかった。
小酒部:ネットを見ていくなかで、どんな言葉が一番傷付いた?
智子:マタハラのことを知らない方が無責任な発言をしているのには傷付いた。上の世代の方は「育児と仕事の両立ができないなら、仕事を辞めるのは当然だ」と言っていて。下の世代の若い方々は、無責任に「能力ないから辞めさせられたんじゃないか」とか。こういう意見は予測していたけど、マタハラの問題じゃないところを言ってくるのが悲しかった。
小酒部:実態や現実を知らない人はまだまだ多いからね。
●自分で自分にマタハラしていた。その価値観を変えたとき勇気が出た。
小酒部:多くの女性が今までマタハラについて声を上げて来なかった。ましてや顔出ししてメディアなどに出るわけもない。ストッパーは何だと思う?
智子:家族の理解が得られるかどうか。そして、自分自身の価値観を変えられるかどうかっていう問題もあると思う。
小酒部:価値観を変えるってどういうこと?
智子:妊娠した途端、“迷惑掛けながら働かせてもらっている”という、ものすごく申し訳ない気持ち、後ろめたさが大きく心にあった。そこから一転して会社を訴えることになったのは、弁護士先生に会って「子育てと仕事を両立させたいって願うことは、ワガママなことでは絶対ない!」と言ってもらえて。会社に対して申し訳ないと思って来た洗脳から解き放たれた。それで、顔も名前も出して訴えるという行動まで出来た。
小酒部:なるほど。
智子:今思えば、自分で自分にマタハラをかけていた状態だった。申し訳ないって社会や会社に思わされてきた面もある。その自分の価値観をいかに変えられるか、それを学んだ。申し訳ないと思わせてくる会社がおかしいと思えるようになった。それに気づくか気づかないか。
●裁判の結果
結果、豊田智子さんは会社と和解し、2016年4月1日付けで会社に復職した。彼女はこの件に関し、会社から和解金を受け取っていない。そのかわり、会社と労働組合との間で、育児介護により早朝及び夜間における勤務が困難となる社員には、新たな勤務シフトを導入するよう協議していくこととなった。
このことにより、智子さん以外の社員も、子育てや介護で早朝や夜間勤務ができない場合には配慮されるようになるだろう。智子さんは後に続く人たちに、働き続けることができる道を自らの身を持って作ったのだった。
●さらなる勇気を必要とした職場復帰。支えてくれたのは夫。
小酒部:裁判した会社に復帰するってすごいことだと思う。復帰する時は怖くなかった?
智子:めちゃくちゃ怖かった!
小酒部:顔出し名前出しの記者会見と会社に復帰する時と、どっちが勇気が必要だった?
智子:いやぁ~、会社戻る時の方が、勇気がいったかなぁ。好きな会社なので仕事が再開できたのは嬉しいけど、周りのみんなからどう思われているのかなっていうのは怖かった。
小酒部:やっぱり一番の気がかりは、上司や同僚の反応だよね?
智子:よかれと思って両立できるように裁判したけど、会社は今までそういう風土ではなかったから、自分を受け入れてくれるかどうか、すごい心配だった。けど、復帰してしばらく経って親会社の社長とかも両立に向けて舵を切るようなコメントを出してくれて。今まで自分がやって来たことは間違ってなかったと思えた。
小酒部:復帰の日にさらなる勇気を出せたのは、優二さん(夫)の後押しがあったから?
智子:はい。悪い事しているわけじゃないんだから、堂々と行ってこい!と言ってくれた。夫がいなければ耐えることはできなかったと思う。
小酒部:豊田ご夫妻の場合は本当に二人三脚だったね。パートナーが同じ職場の場合、ほとんどの女性が声を上げられない。パートナーの昇進に影響が出たり、退職にまで追いやられたら、家族が食べて行けなくなる。それが怖くて声を上げないという場合が多い。ところが、豊田ご夫妻は逆で、むしろ声を上げていくという。
智子:はい。夫がいなかったら泣き寝入りしていたと思う。
小酒部:転職とか退職という発想はなかったの?
智子:私は辞めることになると思っていた。上司が全く理解がなく、泣いて帰ったこともあった。その日ちょうど夫が遅番で家にいて、「辞めないといけないかもしれない」と言ったら「辞めるのはいいけど。こういうことして女性を追い詰めて辞めさせるのはマタハラだよ」と言って、「後に続く女性たちも同じ目に逢うのだから、爪痕残すくらい色んな事をまずは調べた方がいい」と言ってくれて。私も夫も「辞めないとあかんな」という気持ちはもともとあった。だから、まさか働き続けられるとは思わなかった。
小酒部:ご夫婦の絆も強くなったのでは?
智子:はい。もう戦友みたいな。
~妻を支え励まし続けた夫、豊田優二さんに聞く~
●女性部下にマタハラしないとならない会社なら、自分は昇進したくない。
小酒部:優二さん(夫)は智子さん(妻)が裁判を起こせば、自分の昇進に影響するのではないか、自分も智子さん同様に退職強要されるのではないか、そういう怖さはあった?
優二:そもそも最初は、こんなに大きなことになるとは思っていなかった。会社もくるみん(子育て支援企業に厚労省が配布する認定マーク)を取得していて、コンプライアンスに関してうるさい会社だった。僕らは普段から法令遵守するよう指導を受けていた。「間違っていることがあったら間違っていると声を上げるように」と会社から教育を受けていた。
小酒部:笑
優二:まぁそれを実行したまでかなと。妻の異動の違法性を会社に伝えれば、すぐに配慮してもらえるものなのかなと思っていたんで。
小酒部:まさか裁判になるなんて?
優二:はい。まさか自分たちが裁判なんて!という感じ。
小酒部:奥さんが声を上げた後も優二さんは会社に通い続けていたが、そこに対する怖さはなかったの?
優二:怖さはなかった。結局会社のみんなは法律のことを知らない。今までの習慣というか慣例というか、昔ながらの流れで子育て中の女性に不当な扱いをしてきた。僕は法律のことを知ったので、法律は守ってくれるという心強さがあった。だから、怖いとかはなかった。
小酒部:優二さんが間違っていないという確信を持ったのは、弁護士先生と話し合ったから?
優二:そう。弁護士さんも1人じゃなく全員で3人。3か所の弁護士事務所に行ってすべてで「これは違法性がある」と言われたので「これは違法なんだな」と思った。
小酒部:優二さんは仕事を続けていく中で、上司や同僚に嫌がらせや嫌味を言われたりなどはなかった?
優二:同僚からはない。上司からは一回だけあった。上司に「奥さんの暴走、お前が止めないといけなかったんじゃないのか?」「(裁判以外に)他になにかやり方あったんじゃないのか?」と言われた。散々会社と話し合いしたけど、会社が頑なに拒否したので裁判になったのに…。知ってか知らずかそういうことを言って来た。
小酒部:ご自身の昇進に影響するのではという怖さは?
優二:まぁ、今回の件は十分影響すると思う。けど、この件で妻が黙って会社を辞めて自分が昇進したとしたら、今度は自分が女性部下に同じことをしないとならない。そんな上司は嫌だなと思った。そんなことで昇進するくらいなら、昇進なんてしない方がいいと思って。
小酒部:なんと!
優二:会社人生より自分の人間性を選んだ。
小酒部:うーん、いい言葉だねぇ。
優二:もちろん批判する人も中にはいたけど、逆に今まで話したこともないような同僚が近づいて話してきてくれた。会社の問題とかについて一緒にしゃべったりするようにもなった。この記事の写真も僕たちを応援してくれている同僚が撮ってくれた。離れていく人もいれば、逆に寄って来てくれる人もいた。
小酒部:声を上げても批判だけではなかった?
優二:はい。それにあえてバッシングを見聞きして、こう言われたらこう切り返そうと、論破するための勉強になった。
小酒部:それはすごい!
優二:飛行機は向かい風で高く飛び立つって言うでしょ。人生においても同じように、批判やバッシングなどの向かい風があってこそ高い所へと成長出来ると分かった。
●子どもたちに残したい思いがあった。
小酒部:転職は考えた?
優二:これからの残りの人生をこんな会社に所属させる価値はない、と当時は思った。
小酒部:でも転職しなかったのはどうして?
優二:結局裁判で和解を勝ち取って、このまま働き続けることが “次に続く人たちへの示し” かなと思って。辞めるのは簡単。けど、「やっぱり大変だったんだね。両立は無理だね」と思われてしまう。だから平気な顔して働いていくことが一番いいのかなって
小酒部:すごい!やはりメンタル強いと思うけど、その強さはどこから?
優二:強い強いって言うけど、日本の小さな社会では勇気のいることかもしれないけど、先進的な国々から見たらこれは人権侵害だから。子育てのために妻に仕事を辞めさせたなんてなったら、僕が大バッシングになる。
小酒部:そうだねぇ~!
優二:小さな単位で考えるより、視野を広くして物事を見たことが、闘いに繋がったのかなと。
小酒部:その視野はどこで身につけたの?
優二:少子化でそれに関する本とか読んでいるうちに、日本というのはすごい閉鎖的だなと知って。
小酒部:会社にだけではなく社会に対しても一石投じたいと思った?
優二:そう。少子化で結局苦しむのは自分たちの子どもの世代であって、それで子どもが大きくなったときに税金がっぽり取られて辛い思いをしているときに、「パパとママは一石投じたよ」と子どもに言える大人でありたかった。
小酒部:自分たちの子どもたちに残したいという思いがあった?
優二:そう。次の世代のためになりたかった。
豊田ご夫妻は、お世話になった方へ恩返し出来るように、大好きな今の会社で子育てと仕事の両立をしながら、1日も長く働き続けたいと思っている。
あなたの会社にも、後に続く人たちのために声を上げてくれた名もなき勇者がいるかもしれない。
育介法第24条は、小学校就学の始期に達するまでの子どもを養育する労働者に関する措置を講じるよう努めなければならないと規定している。また、育介法第26条は、配転について、子の養育状況に対する配慮を事業主の義務としている。
事業主は上記の点を認識し、3歳以降も仕事と子育ての両立ができるよう配慮してもらいたい。
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