原子力事故、企業価値担保権、顧客の最善の利益の三題噺
法律は、原子力事故や担保権の行使のような最悪の事態が回避される方向に、当事者を動機付け、顧客の最善の利益が実現する方向に、事業者に利益誘因を与えているわけです。
「原子力損害の賠償に関する法律」
「原子力損害の賠償に関する法律」の第3条は、原子力事故によって損害が発生したとき、事業者の故意や過失を問題とすることなく、端的に損害賠償責任を発生させています。こうした重い責任を事業者に課しているのは、第1条の法律の目的にあるように、「被害者の保護を図り、及び原子力事業の健全な発達に資する」ためです。つまり、事故に際して、被害者保護に万全を期すことで、原子力発電所の立地を確保しようとしているのです。
更に、法律は、第16条において、政府に、「原子力事業者に対し、原子力事業者が損害を賠償するために必要な援助を行なう」義務を課しています。これは、原子力事故においては、損害賠償額が際限もない巨額に達して、事業者の負担能力を大きく超過すると予想されるなかで、被害者保護を確実なものにするためには、政府の介入が絶対に不可欠だからです。
実は、政府が原子力事業を積極的に推進するに先立って、この法律が制定されたのであって、当時の政府は、この法律によって、原子力事故における絶対確実な被害者保護を国民に確約して、原子力事業を順調に発達させることに、政策的な目的を置いていたのです。そして、その主旨は、第1条の規定によって、明確にされているわけです。
「異常に巨大な天災地変」
第3条には、事業者の免責に関して、非常に有名な但し書きがついています。即ち、原子力事故が「異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは」、事業者は損害賠償責任を負わないというのです。そして、この「異常に巨大な天災地変」の具体的な意味については、法律の制定時から多くの議論がなされてきたのです。
しかし、立法の主旨からすれば、この但し書きは、「異常に巨大な天災地変」のもとで、事業者は責任を免れると読まれるべきではなくて、日本列島が海中に沈没するような「異常に巨大な天災地変」でも起きない限りは、事業者は絶対に責任を免れないと解釈されるべきですから、但し書きが発動される可能性は全くなく、故に、「異常に巨大な天災地変」が何であるかについて議論することに意味はないのです。
発動されないことが法律の目的
政治の良識として、政府が原子力安全神話を振り撒き、それによって原子力事業を推進することはあり得ないのであって、当然のことながら、法律は、原子力事業の危険性を前提にしているという意味では、発動が予定されています。しかし、実際には、発動されないように機能することで、その主旨を全うするわけです。
つまり、法律は、表面的には、事故後の損害賠償に関する規定ではあっても、実質的には、事業者と政府に対して、法律が発動しないように、即ち、事故を未然に防止するように、行動させる仕組みなのです。なぜなら、事故が起きて損害が発生すれば、事業者は、巨額な損害賠償債務を負うので、絶対に事故が発生しないように、万全の備えをもって、安全対策に取り組むはずであり、政府は、事業者を支援する義務を負うので、事業者を厳格に監督して、その安全対策を徹底させるはずだからです。
企業価値担保権の創造
6月7日に、「事業性融資の推進等に関する法律」が成立しています。事業性とは、企業が現金を創造する基盤のことで、より具体的には、動産、不動産、知的財産等の無形資産、人的資本などを不可分に結合させた総体を意味しますが、この法律では、事業性が企業価値と再定義されて、そこから企業価値担保権が創出されています。
法律の定めた仕組みでは、債務者が設定者となって、企業価値を特別の信託会社に信託し、債権者が受益者になり、債権者が企業価値担保権を行使するときは、信託会社は、事業を第三者に譲渡し、その譲渡代金から債権者に弁済し、債権額を上回る残余を債務者に還付するのです。
実は、この仕組みには、構造上の矛盾があります。なぜなら、企業価値担保権は、債務者の業況が悪化し、債務不履行等の事象が生起しているときに、即ち、企業価値が崩壊寸前にあり、担保価値が失われようとするときに、行使可能になりますから、担保権の行使時には、行使価値がないと予想されるからです。しかし、当然のことながら、法律は、この矛盾を前提にしているわけです。
つまり、法律は、債権者をして、矛盾の顕在化を回避する方向に、債務者と協働させることに、その真の目的を定めているのです。そして、法律が債権者と債務者の協働として想定しているのは、債務が弁済されるように、換言すれば、企業価値が維持されるように、債権者が債務者を常に支援すること、および、債権者が適切な事業買収者を探してきて、担保権の行使としてではなく、債権額以上の価額で、事業が譲渡されるようにすることです。
当事者に矛盾を回避させる仕組み
実は、「原子力損害の賠償に関する法律」にも、明らかな構造矛盾があります。事故により大きな損害が発生すると、事業者は、上限のない損害賠償債務を負うので、ほぼ確実に経営破綻し、債務の履行能力を失い、そもそも、損害賠償債務を負わせたこと自体が無意味になるからです。ところが、政府は、事業者を支援して存続させる義務のもとで、損害賠償債務を代行して負う事態に陥るので、それを未然に防止するために、原子力事業の徹底した安全対策を主導することで、矛盾を回避するように行動するわけです。
担保権の行使にしても、損害賠償債務の発生にしても、本来は、あってはならない最悪の事態です。法律は、その最悪の事態に対応した細々とした諸手続きを記述していて、そこに緻密な立法技術が使われているのですが、より高度な技巧は、最悪の事態が回避されるように、関係当事者を動機付けることにあるわけです。
顧客等の最善の利益を勘案する義務
2023年11月に、改正法として、「金融サービスの提供及び利用環境の整備等に関する法律」が成立し、その結果、全ての金融サービス提供事業者は、「顧客等の最善の利益を勘案しつつ、顧客等に対して誠実かつ公正に、その業務を遂行しなければならない」との義務を負うことになりました。この規定の要点は、顧客の最善の利益、および勘案の意味ですが、実は、勘案といわれるのは、事業者にとって、顧客の最善の利益を把握することが不可能だからです。
事業者は、顧客の利益に適う金融サービスを提供できますし、また、そうすることは、事業者の最低限の義務です。しかし、顧客の最善の利益に適うことは、最低限の範囲を大きく超えでていて、事業者の義務としては課され得ずに、一種の努力目標として規定されるほかなく、また、最善の利益について、顧客自身が把握できているとも限らないなかで、それを事業者に把握させることもできないわけです。故に、勘案という言葉が採用されているのです。
最善を実現させる経済的誘因
この努力目標に実効性を与えているのは、経済的な誘因です。商業の根本原則は顧客との共通価値の創造なので、顧客の最善の利益に適うことは、当然に、事業者の得る利益の最大化でなければならないのであり、逆に、事業者は、自己の持続可能な利益の最大化を考慮することで、必然的に、顧客の最善の利益を勘案して行動することになるわけです。
企業価値担保権についても、債権者と債務者の共通利益の最大化という経済的誘因が鍵になっています。なぜなら、事業性融資において、契約上の工夫をすれば、債権者と債務者が企業価値の最大化について協働することで、担保権の行使によらない事業譲渡がなされたときに、両者の利益が最大化するように設計できるからです。実は、「事業性融資の推進等に関する法律」の真の目的は、担保権の設定と実行ではなく、企業価値の最大化へ向けた債権者と債務者の協働を促すことなのです。