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アメリカ深南部「ベースボール・バケーション」 アトランタ新球場とターナー・フィールドの今 その1

豊浦彰太郎Baseball Writer
試合後のサントラスト・パーク、駐車場から

8月にアメリカ南部の旅に出た。それも深南部、いわゆるディープサウスだ。合計6日間を掛けて、サウス・カロライナ、ジョージア、アラバマ、ミシシッピ、そしてルイジアナの5つの州を巡ってきた。

みなさんは、ディープサウスと聞いて何を思い浮かべるだろうか。高温多湿な気候、公民権運動と人種的偏見、それと対極にあるようなサザンホスピタリティ、独特の南部料理、ジャズやブルースの発祥、といったところだろうか。また、ニューヨークやロサンゼルスといったメジャーな観光都市とは異なり、我々日本人にはやや縁遠く感じられる地でもある。旅行者にとっても、やや上級者向けと言えるかもしれない。

ぼくは、少年時代に「ルーツ」や「風と共に去りぬ」を読んでから南部に漠然とした関心を持っていたので、長じてから仕事の合間に通った英会話学校でアメリカ人教師(西海岸出身だった)に「深南部の旅がしてみたい」と伝えると、「それはあんまり進められないわね」と言われたことがある。「彼らの多くは、おそらく日本人が好きじゃない」とも。その発言は単に彼女個人の無知のせいだったかもしれない。しかし、法的な人種平等が確立されるまで奴隷解放から100年を要し、その後も半世紀を経ても今も根強く人種問題が存在するということをしっかり認識した上で、南部を旅するのは意味があると思う。

もっとも、今回の旅の目的はあくまでベースボールだ。深南部でアメリカと野球という切り離せない二者の繋がりを再確認してみたかった。その旅先での見聞を、以下の4つのテーマに分けてお届けする。

1) アトランタ新球場とターナー・フィールドの今

2) 球聖タイ・カッブとシューレス・ジョー、それぞれの故郷を訪ねて

3) 公民権運動と二グロ・リーグ

4) マイナーリーグ球場のNow & Then

8月8日午後4時過ぎ、ぼくはアトランタのハーツフィールド国際空港に到着した。外は雨。空港内のレンタカーデポにてヒュンダイをチェックアウトし、そこから北西に約40キロの場所にあるブレーブスの新球場を目指し出発した。日本発の便が遅れたために当初予定していたダラス・フォートワースでの乗り換え便に間に合わず、1本後の便をあてがわれた。そのためアトランタ着が3時間遅れとなったが、レンタカーデポでの手続き時間や通過するアトランタ市内での渋滞に巻き込まれる時間を考慮しても、午後7時35分の試合開始には間に合うはずだ。

異国でのレンタカードライブで視界の悪い雨天となると若干憂鬱だが、これから新球場に行くのだ、と自らを鼓舞しスタートする。クルマはコンパクトクラスのヒュンダイ。ハーツでの価格帯は下から2番目だ。もっとも安いクラスにしなかったのには訳がある。それだと、ハッチバックスタイルがほとんどで車種によっては、荷室においたバッグ類が社外から丸見えになることがあり、駐車時に不安が残る。やはり、独立したトランクがあったほうが安心だ。また、敢えてオプションではナビ(アメリカではGPSという言い方が一般的)は選択しなかった。言語対応も含めた使い勝手では、日本から持って来たスマホのナビアプリに勝るものはないからだ。運転中に幸い雨は止んだ。そして、6時半には今年オープンしたばかりのサントラスト・パークに到着した。

ブレーブスが本拠地のアトランタダウンタウンからその北西約20キロのカッブ・カウンティへの移転を発表したのは2013年の11月のことだった。

この移転発表を耳にした時、ぼくは2つの疑問を抱いた。ひとつは、なぜ野球場としてのオープンは1997年でまだ老朽化が進んでいるとは言い難いターナー・フィールド(地元の人々は愛着を持って“Ted”と呼ぶ)を見切るのか?モッタイナイではないか?

そして、なぜ移転先が郊外なのか?MLB事情にある程度通じている方ならお分かりいただけるだろうが、90年代以降の復古調新球場建設ブームでは「ダウンタウン回帰」も重要な成功要因だったのだ。それまでの球場は60~70年代に建設されたフットボールとも兼用が主流で、それらはフットボール開催時の大観衆を想定し、巨大駐車場が確保できる郊外に建てられていた。それが、90年代以降の建設ブームでは野球専用ということもあり、ダウンタウンの再開発の一環として街中に戻ってきたのだ。それが結果的に来場の増加と市街地への経済効果と治安の改善に結びつくという好循環が生まれたケースが多かった。それなのになぜいまさら郊外に?

ターナー・フィールドは五輪会場として、旧カウンティ・スタジアム横に完成した
ターナー・フィールドは五輪会場として、旧カウンティ・スタジアム横に完成した

ターナー・フィールドは96年のアトランタ五輪のメイン会場として、ブレーブスの当時の本拠地「アトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアム」の隣に建設された。五輪後、その長方円形のオリンピック・スタジアムは大胆に切断され、野球専用のターナー・フィールドとして生まれ変わった。そしてカウンティ・スタジアムは取り壊され、駐車場となった。その駐車場には、74年にハンク・アーロンが放ったベーブ・ルースの記録を更新する通算715号本塁打の落下地点を示すモニュメントが立っている。また、ターナー・フィールド内にある「ブレーブス博物館」はMLB球団本拠地球場内にあるこの手の博物館の中でも有数の充実度を誇る。ぼくは10年夏にターナー・フィールドを訪れた際に、この博物館の見学だけで2時間を費やした。そんなターナー・フィールドをブレーブスは去ったのだ。

<写真は全て豊浦彰太郎撮影>

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Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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