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[センバツ]4強進出の大阪桐蔭では、大器・ラマルが甲子園初打席。カタカナ名の選手、そのルーツは?

楊順行スポーツライター
ダルビッシュ有以前から、甲子園ではカタカナ名前があった(写真:ロイター/アフロ)

 第95回記念選抜高校野球大会は、ベスト4が決まった。史上初の2度目の春連覇を目ざす大阪桐蔭は、東海大菅生に快勝。8回にはスリランカ籍の大器、ラマル ギービン・ラタナヤケが、代打として甲子園初打席に立った。結果は三振だったが、中学時代に50本塁打し、昨秋には1年生ながら強豪の四番を務めたこともある長距離砲だ。

 今大会では、初日に東北のエース・ハッブス大起が登板し、折りしも開催中だったWBCの侍ジャパン・ダルビッシュ有の後輩として話題を集めたが、近年の甲子園では、カタカナ名の選手がさほどめずらしくなくなっている。

 そもそもの始まりは、1916年の第2回全国中学野球大会で優勝した慶応普通部(現慶応・神奈川、当時は東京)で一塁を守った、アメリカ人のジョン・ダン選手。カタカナ名の選手が全国大会に登場するのは、これが初めてだといわれる。ダンは香川商(現高松商)との2回戦で3安打の固め打ちを見せ、珍しい外国人選手ということもあり、打席に入ると「かっとばせ、ジョン!」「頑張れ、ダン!」と大声援が飛び交ったとか。

 その後は70、71年と岡山代表の岡山東商にケネス・H・ライト(オーストラリア国籍、元阪急)の名前などがあり、90年代になると、おもにブラジルからの留学生などが目立ち始める。さらに03年のセンバツでは、グエン・トラン・フォク・アン(東洋大姫路・兵庫)、ダルビッシュ有(東北・宮城、現カブス)がそろって出場。アンはベトナム難民の日本生まれの子弟で、ダルビッシュはイランとのハーフではあるが日本生まれの日本育ちだ。ダルビッシュは同年の夏は準優勝し、翌04年のセンバツでは、ノーヒット・ノーランを達成。多様化が進む現在、留学生以外でも、カタカナ名の高校球児にはだれも驚かなくなっている。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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