知名度を買われ就任し、不成績で追われる阪神・金本、巨人・高橋両監督
阪神の金本監督が契約を2年残して辞任した。巨人・高橋監督も去る。ともに実態は解任のようだが、現役時代の実績や知名度を買って据えた監督を、成績不振で追いやる矛盾はもっと指摘されるべきだ。
阪神の金本監督が契約を2年残して辞任した。このことは、NPBに於ける監督の位置付けや求められるものが何なのか、ということに関し考えさせられた。
辞任の理由は本人によると「結果に尽きる」ということだ。今回のケースの真相は当事者のみぞ知るところだが、現実には事実上の解任であった、との報もある。
一般論としては、3年契約をあと2年も残して自ら辞任を申し出るとは、健康上の理由か球団フロントとの関係が絶望的に悪化しているケースに限られると思う。そして、後者の場合は辞める前に解雇されるのが普通だ。最下位の責任が残2年の契約放棄に値すると考えるなら、そもそも複数年契約を受け入れるべきではなかった。このように、金本監督の辞任を額面通り受け止めようとすると、矛盾だらけなのだ。
となると、これは事実上の解任だった、と勘ぐることは不自然ではないし、上記の記事の信ぴょう性もそれなりに高いと思う。
しかし、公にはあくまで「最下位の責任を取り、自ら退く」だ。
また、巨人の高橋監督も今季限りで退任する。すでに後任として原前監督の復帰(3度目の就任)が決まっており、こちらも実態は解任のようだ。辞任にせよ解任にせよ、理由は在位3年間連続で優勝を逃した責任だ。「優勝を逃す」、と「最下位」の違いはあるが、成績不振が監督の座を奪うことになることは共通している。
現場の最高責任者である以上、「結果に対し責任を負う」という考え方は間違っていない。しかし、その場合はそもそも監督の座に就くことを要請された理由が「勝利という目標を達成するための管理者としての能力」を買われたことでないと理屈が通らないと思う。しかし、高橋監督にせよ、金本監督にせよ白羽の矢を立てられたのは、「球団OBである」「現役時代の成績が素晴らしい」「結果的に知名度がある」ということで、これらはいずれも管理者としての資質とは関係がない。プロ野球もエンターテインメントである以上、話題性やメディア受け、観客動員力を評価し監督に据えることを必ずしも否定しない。しかし、そうであれば、成績が振るわなくてもそれには目を瞑るべきである。広告塔であることを期待し据えた監督を、不振を理由に解任するのは矛盾の極みだが、ホンネ(前者)とタテマエ(後者)を使い分け、元名選手という商品を監督として使い捨てていくということなのだろう。
海の向こうでは、閉幕を以てエンジェルスのマイク・ソーシア監督が退任を表明した。2000年から同球団の指揮を執って来たが、このオフで契約が切れ球団として更新を見送るというものだ。これはとても良く理解できる。ソーシアはメジャーには珍しくバントなどの小技を多用する(スモール・ベースボールという)タイプで、ひと昔前は「知将」のイメージが強かった。しかし、統計分析が急速に進歩した現代ではバントや盗塁は効率の悪い戦法とされ、ソーシアは時代遅れの典型と見なされるようになった。
また、生粋の現場主義の彼は、球団フロントのコンピューターヲタク?が推奨する極端な守備シフトの導入などに少なくとも当初は否定的だった。現代のMLBの監督として求められるのは、iPadより重いものは持ったことがない?ヲタクデータ分析部門と勉強が苦手だった?メジャーリーガーを歩み寄らせることのできる人柄と知能と経験のある人物だ。その意味では、ソーシアの時代は終わったのであり、球団が新しいリーダーを求めたのも当然だ。
繰り返すが、集客力を重視し元スター選手を監督として任命することを否定しない。しかし、それだけでは寂しい。もっと、科学的に管理者・リーダーとしての監督に求められる資質を研究し、その要素を満たしている、ということで選出するケースが増えて欲しいと思う。
もっとも、金本監督はソーシアと違う意味で古臭い監督像だった。野球以外の競技では一般的になりつつある、教え、褒め、励まして結果を引き出すタイプではなく、減点主義で脅迫・威圧による管理といういわば昭和型だった。成績不振ではなく、この管理タイプがこれからの時代にそぐわない、というのが辞任にせよ解任にせよ退任の理由ならもっと腑に落ちたのだが。