ベレーザDF村松智子が3年ぶりの公式戦。復帰に華を添えた決勝弾と、8年越しで実現したコンビ結成
【2度の大ケガを乗り越えて】
コロナ禍で延期されていたなでしこリーグが4カ月ぶりに開幕した。
7月いっぱいは無観客試合が決定しており、いつもはサポーターの声が響く味の素フィールド西が丘のゴール裏はしんと静まり返っていた。
それでも、選手たちにとっておよそ7カ月ぶりの、待ちに待った公式戦である。各地の白熱した攻防が、インターネット配信でも伝えられていた。
7月19日、日テレ・東京ヴェルディベレーザがホームにノジマステラ神奈川相模原を迎えた一戦は、後半アディショナルタイムにセンターバック、DF土光真代のミドルシュートでベレーザが1-0で勝利した。
この試合は、度重なるケガでリハビリを続けていた、DF村松智子の約3年ぶりの復帰戦だった。
「本当にワクワクしましたし、緊張してソワソワして。久しぶりの感覚でした」
試合から3日後、村松にオンライン取材で改めて試合の感想を聞いた。親しみやすさを感じさせる柔らかい表情で、村松は久しぶりに公式戦のピッチに立った感想を語った。
下部組織で育ち、年代別代表を経てトップチームに昇格し、代表入りを目指すーー。ベレーザにはいわゆる“エリートコース”を歩んできた選手が多く、村松もその一人だ。対人プレーや的確なカバーリングを武器に頭角を現していた。
だが、日本で行われた2012年8月のU-20女子W杯では、メンバーに選出されながら、直前に右膝全十字靭帯を損傷し、離脱を余儀なくされることに。その後、復帰を目前にして再断裂。半月板の手術も重なったため、リハビリに2年以上かかった。だが、当時17歳だった村松はその大ケガを乗り越えて14年末に復帰を果たすと、翌15年にはベレーザの5年ぶりのリーグ優勝に貢献し、代表デビューも果たした。さらに、16年にはベレーザのリーグ2連覇に貢献、ベストイレブンにも選ばれている。
しかし、17年夏に再び悲劇に見舞われた。試合中に接触プレーで負傷。タンカで運び出された時の重い空気は、今でも忘れられない。診断結果は「左膝全十字靭帯損傷」。全治8カ月と発表された。
そして、実際にはそれから3年間も試合から離れることになってしまった。
「8カ月後の復帰を目標にリハビリをしていた頃は、走れてもわずか2分とか、そういうレベルでしたから、サッカーをするには程遠い状態でした。右膝で同じケガ(前十字靭帯断裂)を経験していたこともあり、『このぐらいまでいったらサッカーができる日が見えてくるだろうな』という感覚があったので、それを目標にしていたんですが、一年経っても膝の状態が上がってこなかった時に、『戻れないかも』という思いが頭をよぎりました。良くなる兆しが見えてこない時期が長く続いて、きつかったです」
膝と対話しながら毎日のリハビリを続ける中で、サッカーができない辛さだけでなく、再断裂の不安や、調子が良かった時のパフォーマンスなど、残酷な現実とも向き合ったのだろう。
それでも、村松は現実から目を背けずにリハビリに取り組み、試合の準備を手伝ったり、ケガをした選手には自分の経験から得たことをはじめ、あらゆるサポートを惜しまなかった。
16年にベレーザに加入したFW小林里歌子は、前年に前十字靭帯を損傷し、入団時はリハビリからスタートした。その後、ケガが長引いたこともあり、エースとして活躍が期待されていたU-20女子W杯出場を断念。約2年半のリハビリを経て18年4月に復帰を果たしている。リハビリ中は、同じ苦境を乗り越えてきた村松の存在に支えられたという。
また、17年3月に代表の活動中に前十字靭帯を損傷したDF有吉佐織や、18年4月から長期離脱を余儀なくされているMF阪口夢穂も、村松にとっての“リハビリ仲間”だった。
「(小林)里歌子は復帰して代表にも入って、(2019年の)W杯にも選ばれました。辛いリハビリを頑張っていた時期を見ていたので、W杯で試合を見ていて本当に嬉しかったです。アリ(有吉)さんとは自分がケガをした最初の頃に一緒にリハビリをしていましたし、『自分も2人と同じようにピッチに立てるように頑張ろう』と、刺激をもらいました。
夢穂さんには本当によく話を聞いてもらいましたね。リハビリをしている時は『今より良くなりたい』と焦っていたのですが、夢穂さんから『今の膝を受け入れて、この膝で何ができるか考えることが大事だよ』と言われた時に、ホッとして、肩の荷が降りたんです。その言葉は今も強く印象に残っています」
ピッチで戦うチームメイトの姿や、周囲からの励ましの声も、復帰への大きな支えになった。一方で、「サッカーを何も知らないような人と、たわいもない会話をする中で救われたこともあります」というように、サッカーと距離を置くことが必要な時もあったという。ケガをしている時期に飼い始めたという愛犬との時間も、癒しになっていたのだろう。
【新たなキャリアのスタート】
ノジマ戦で、苦戦していたベレーザに勝利をもたらした土光のゴールは、25mぐらいはあろうかという鮮やかなロングシュートだった。この日の主役は試合後、オンライン形式の取材で感慨深げにこう語った。
「難しい初戦でしたが、どのような内容でも勝つことを目指していました。カッさんが3年ぶりの復帰戦で、自分の中ではその想いが強かったので。ギリギリですけれど、しっかり守って勝ててよかったです」
「カッさん」とは、村松の愛称の「カツオ」のことだ。下部組織のメニーナ時代、ショートカットだった村松の雰囲気が、サザエさんに出てくる「カツオ」に似ていると当時の寺谷真弓監督に言われたことからその愛称が付けられた。村松と土光はともにメニーナ出身であり、2人の間には2012年にかわした約束があった。
土光の決勝ゴールに話が及ぶと、村松は弾むような口調でこう語っている。
「『まじか!』って感じでしたね。(土光)真代はパンチのあるシュートを持っているし、練習でもいい形でゴールを決めていたから、すごく嬉しかったです。真代とは、ヤングなでしこ(U-20女子代表)で自分が初めてケガをした時から、『いつか2人でスタメンを勝ち取ってセンターバックで組もう』と約束していたので、忘れられない日になりました」
8年越しで実現したセンターバックコンビは、無失点で上々の滑り出しを見せた。
村松が不在だった期間、ベレーザは土光や、DF松田紫野(まつだ・しの)といった、生え抜きの選手がセンターバックとして経験を積んできた。今、それが実を結び始めているのはチームにとって明るい材料だ。その中心でチームを支えてきたのは紛れもなく、DF岩清水梓だろう。20年間、ベレーザ一筋で戦ってきた大先輩から、村松も多くを学んできた。
「みんな、イワシ(岩清水)さんの背中を見て育ってきましたから。きれいにパスを繋いできれいに決める、というのがベレーザの印象としてあるかもしれませんが、うしろは泥臭く、『魂』じゃないですけど、気持ちで守る。それはみんながイワシさんから引き継いでいる部分だと思います」
岩清水は今年3月の出産を経て、復帰に向けて徐々に体を動かし始めているという。
スタメンで試合に出続けるために、村松はさらなるレベルアップを目指す。そのために、ケガをしないように準備は怠らない。
「今は、先の目標というよりは目の前の1試合、一日の練習を無事に終えたい気持ちが強いので、ケガをしないための準備を徹底しています。それを継続していく中で見えてくるものもあると思いますから。自分の強みである対人プレーを出していきたいですし、今は若い選手が多いので、チーム全体を鼓舞する声は積極的に出したいです。(土光)真代のように、ロングシュートも積極的に打っていきたいですね」
村松は、新たなスタートに華を添えてくれた相方への感謝とリスペクトの念を言葉に込めた。
新たな覚悟を胸に帰ってきた背番号3は、二度の逆境を乗り越えた膝と向き合いながら、徐々にアクセルを上げていく。