Yahoo!ニュース

ゴッホ最後の風景 パリ・オルセー美術館特別展で体感する彼の最期の2か月

鈴木春恵パリ在住ジャーナリスト
オルセー美術館に展示中のゴッホ晩年の作品群(写真はすべて筆者撮影)

パリのオルセー美術館で、10月3日からゴッホの特別展が始まりました。

タイトルは、「Van Gogh à Auvers-sur-Oise Les derniers mois」(オーヴェール・シュール・オワーズのファンゴッホ 最後の月々)

オーヴェール・シュール・オワーズというのは、パリの北30キロメートルほどのところにある町の名前ですが、ゴッホにとってはその場所が終の住処となりました。「最後の月々」というのは、その土地に彼がやってきて亡くなるまでの期間のこと。具体的には、2ヶ月と1週間です。

特別展の入り口。ゴッホが暮らした時代のポストカードの画像が会場デザインの随所に使われ、当時の雰囲気を伝えてくれる
特別展の入り口。ゴッホが暮らした時代のポストカードの画像が会場デザインの随所に使われ、当時の雰囲気を伝えてくれる

ゴッホが37歳の生涯で、画家として活動したのは10年ほどでした。今でこそビッグネームのゴッホですが、生前に絵は1枚しか売れなかった、つまり不遇の画家です。

耳切り事件を起こし、精神科病院に入り、死因も自殺によるものと聞けば、彼の人生がいかに苦悩と葛藤に満ちたものだったかが想像できます。

展覧会はまず、オルセー美術館所蔵のゴッホの自画像から始まります。

彼は生涯に35点の自画像を制作したそうですが、これは最後の1枚。1889年9月の制作と言いますから、南仏時代の作品です。

ゴッホの最後の自画像(オルセー美術館蔵)。オーヴェール・シュール・オワーズに暮らす前年に描かれている
ゴッホの最後の自画像(オルセー美術館蔵)。オーヴェール・シュール・オワーズに暮らす前年に描かれている

彼が南仏(アルルとサンレミ・ド・プロヴァンス)に暮らした2年ほどの間には、「ひまわり」「夜のカフェテラス」「星月夜」など数々の名作が生まれました。けれども、件の耳切り事件、闘病生活と、精神的には決して安定したものではありませんでした。

1890年5月、ゴッホは弟テオのいるパリへ戻ります。そして数日後に、パリ郊外のオーヴェール・シュール・オワーズに落ちつきます。

ゴッホがどうしてこの場所に暮らすようになったのか。それは精神科の専門医にして、絵画にも造詣の深いポール・ガシェがいたからでした。展覧会でゴッホ最後の自画像と並んで「ガシェ医師」の肖像画が飾られているのには、そんな背景があります。

ゴッホ作、ポール・ガシェ医師の肖像画(オルセー美術館蔵)
ゴッホ作、ポール・ガシェ医師の肖像画(オルセー美術館蔵)

1890年6月1日〜3日にゴッホが描いた「バラとラナンキュラス」(オルセー美術館蔵)。ガシェ家から寄贈された作品ということからも、ゴッホとガシェ医師との親交の深さがうかがえる
1890年6月1日〜3日にゴッホが描いた「バラとラナンキュラス」(オルセー美術館蔵)。ガシェ家から寄贈された作品ということからも、ゴッホとガシェ医師との親交の深さがうかがえる

静物画に描かれた花瓶そのものも展示されている。ガシェ家から寄贈され、現在はオルセー美術館の所蔵になっており、「日本 19世紀?」と説明が添えてある
静物画に描かれた花瓶そのものも展示されている。ガシェ家から寄贈され、現在はオルセー美術館の所蔵になっており、「日本 19世紀?」と説明が添えてある

ゴッホは、オーヴェール・シュール・オワーズでの2ヶ月余りの間に、74点の絵画、33点のデッサンを制作したと言われています。彼がいかに旺盛に、驚くべき速さで絵を描いていたかが、この数字からすでに想像できます。今回の展覧会では、風景、人物、静物と多岐にわたる絵画40数点、デッサン20数点が一堂に会しています。

ゴッホの代表作の一つ「オーヴェール・シュール・オワーズの教会」(オルセー美術館蔵)
ゴッホの代表作の一つ「オーヴェール・シュール・オワーズの教会」(オルセー美術館蔵)

展覧会の様子YouTubeのこちらの動画でもご覧いただけます。

「伝説の画家ゴッホの最後の風景 パリ・オルセー美術館 特別展」

https://youtu.be/8DUqdS_4xws

※動画には、ゴッホの死因についての文言が入っているため、YouTube側の判断により、視聴に年齢制限が設けられています。

中でも特に注目すべきは、「Double Carré(ドゥブルカレ)」と呼ばれるサイズの作品に特化したコーナーです。縦50センチ、横100センチ。つまり正方形を二つ繋げたサイズ。ゴッホは6月20日からこのサイズの作品を集中的に制作していたようです。

ちなみに、ゴッホ作品の多くはその作成日を特定することができます。

なぜなら、彼はほとんど毎日のように、弟テオ宛に手紙を書いていて、そこには製作中の絵の記載もありました。展覧会では、「ガシェ医師」の肖像画と全く同じ構図のデッサンが描かれた手紙も展示されています。

6月3日に弟テオに書いた手紙(アムステルダム・ファンゴッホ美術館蔵)に、ガシェ医師の肖像画と全く同じ構図のデッサンがある。ちなみに、ゴッホはオランダ人だが、この手紙はフランス語で書かれている
6月3日に弟テオに書いた手紙(アムステルダム・ファンゴッホ美術館蔵)に、ガシェ医師の肖像画と全く同じ構図のデッサンがある。ちなみに、ゴッホはオランダ人だが、この手紙はフランス語で書かれている

「ドゥブルカレ」に話題を戻します。ゴッホ最後の1ヶ月間に描かれた「ドゥブルカレ」サイズの作品は13点。12点は横長で1点のみ縦長。縦長の構図でガシェ医師の娘を描いた作品は残念ながら展覧会場にありませんでしたが、横長作品11点が広々とした1室にずらりと並んでいます。

死を予感させるような「カラスのいる麦畑」、ピストル自殺を図ったその日に描かれた「木の根」、そして明らかに日本の浮世絵への傾倒を示す「雨―オーヴェール・シュール・オワーズ」など、一点一点、ゴッホの世界観にぐいぐい引き込まれそうな力作ばかりです。

「ポプラ林の中の二人」(シンシナティ美術館蔵)。6月20日〜22日制作
「ポプラ林の中の二人」(シンシナティ美術館蔵)。6月20日〜22日制作

「カラスのいる麦畑」(アムステルダム・ファンゴッホ美術館蔵)。7月8日制作
「カラスのいる麦畑」(アムステルダム・ファンゴッホ美術館蔵)。7月8日制作

「雷雲の下の麦畑」(アムステルダム・ファンゴッホ美術館蔵)。7月9日制作
「雷雲の下の麦畑」(アムステルダム・ファンゴッホ美術館蔵)。7月9日制作

「雨―オーヴェール・シュール・オワーズ」(カーディフ・ウエールズ国立美術館蔵)。7月19日制作
「雨―オーヴェール・シュール・オワーズ」(カーディフ・ウエールズ国立美術館蔵)。7月19日制作

「オーヴェール・シュール・オワーズ近くの農家」(ロンドン・テートギャラリー蔵)。7月25日〜26日制作
「オーヴェール・シュール・オワーズ近くの農家」(ロンドン・テートギャラリー蔵)。7月25日〜26日制作

「木の根」(アムステルダム・ファンゴッホ美術館蔵)。7月27日制作
「木の根」(アムステルダム・ファンゴッホ美術館蔵)。7月27日制作

ゴッホ人気は世界規模。これまでもたくさんの展覧会が行われてきていますが、最後の2ヶ月にフォーカスした今回の企画は格別に興味深いものです。人生のクライマックスで彼がどのような風景に惹かれてキャンバスに向かったのか。そこに何を投影したのか。1世紀以上経てもなお鮮やかな色彩、彼の手の動き、スピード感さえ伝わってきそうな作品たちが、観るものに多くのことを語りかけてくれます。

この特別展、パリ・オルセー美術館では来年2月4日まで開催予定です。この機会にぜひゴッホ最後の2か月に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。ちなみに、現在パリの美術館では、事前予約を求められることが多くなっています。展覧会の予約はこちらのサイトからどうぞ。

オルセー美術館 特別展「Van Gogh à Auvers-sur-Oise Les derniers mois」(オーヴェール・シュール・オワーズのファンゴッホ 最後の月々)

会期/2023年10月3日から2024年2月4日

パリ在住ジャーナリスト

出版社できもの雑誌の編集にたずさわったのち、1998年渡仏。パリを基点に、フランスをはじめヨーロッパの風土、文化、暮らしをテーマに取材し、雑誌、インターネットメディアのほか、Youtubeチャンネル ( Paris Promenade)でも紹介している。

鈴木春恵の最近の記事