結愛ちゃんに「体を張れ」なかったことは罪なのか? 母親は、DV被害者?虐待加害者?
もうおねがい。ゆるして、ゆるしてください。おねがいします。きのうぜんぜんできてなかったこと、これまでまいにちやってきたことをなおす。これまでどんだけあほみたいにあそんだか。あそぶってあほみたいだからやめる。もうぜったい、ぜったいやらないからね
このような手紙を残して亡くなってしまった船戸結愛ちゃんに対する保護責任者遺棄致死罪に問われて、母親の優里被告の公判が開かれました。結愛ちゃんが亡くなり、加害者である父親が逮捕されてから約3か月後、母親の優里さんもまた逮捕されているとは、公判が開かれるまで気が付きませんでした。
野田の虐待死の事件は、母親が傷害ほう助罪に問われたのに、目黒のこの事件は逮捕されなかったのかと誤認していたくらいです。しかし検察の求刑は、保護責任者遺棄致死罪で11年というとても重いものでした。お母さんの罪状は、主に結愛ちゃんを病院に連れて行かなかったことです。
先ほどの手紙に、涙を流したひとも多いでしょう。実際に、ニュースの時に涙をこらえきれなかったキャスターがいたのを覚えています。「5歳の子どもが、このような手紙を書けるのだろうか? こんな手紙を5歳で書けるようになるなんて、どれだけのことがあったのだろうか」と私も思いました。
この手紙自体は、父親に虐待されないためにはどうすればいいのか、何を書けばいいのか、母親と一緒に考えたりした結果だったということです。結愛ちゃんひとりで、考えたものではなかった。この手紙のあて先は、「ママ」でもあります。また、字をまちがえると父親に怒られるので、お母さんは結愛ちゃんと一緒に書き取りの練習をしていました。その練習のための文章でもあります。当然、見ようによっては、父親の意向を母親がくんで、虐待に加担していたとも考えることができます。
しかしそもそも、お母さん自身が「あなたの貴重な時間を使って怒ってくれてありがとうございました」などという反省文を、父親に対して書く毎日をおくっていたとしったら、少し見え方が変わると思います。娘も母親も、父親に同じような反省文を書く日々。お母さんもまた父親によるDVの支配下に置かれていたと聞いて、腑に落ちました。娘への虐待をやめせ、父親をなだめるための文章を、一緒に考えていたのです。
この事件はいわば虐待とDVの被害者が、身を寄せ合って暮らしていた結果、起こってしまった事件なのです。野田の事件と同じように、DVと虐待が複雑に絡み合い、お母さんは実際には暴力の被害者でもありながら、法廷で「加害者」として裁かれることになります。
虐待の加害者である父親自身も、「洗脳」とまでいう言葉による暴力を認め、お母さんが結愛ちゃんを病院に連れていけなかっただろうことを認めています。
「雄大さんとご結婚されてから、結愛ちゃんが亡くなるまでで、ご主人のしつけの時に、一度でも体を張って止めたことはございますか」
この事件は裁判員裁判であるため、裁判員からも厳しい質問が投げつけられました。母親であるならば、「体を張って」でも虐待をやめさせるべきだったのではないかと。
あまりにも結愛ちゃんが可哀想で、私たちはなんとかこのような悲劇を止められなかったのかと思います。お母さんが再婚だったこともあって、「お母さんが結婚しなければよかったのに。虐待をとめられないのだったら、せめて逃げていれば」と考えてしまいます。しかし、離婚を口にするたびに責められ続けたお母さんが、それを実行するには、とても高いハードルがありました(また今度書きます)。
本来、怒りの矛先が向かうべきなのは、加害者である父親です。「守らなかった母親が悪い」と被害者でもある母親にだけ怒りの矛先をむけるのであったら、私たちはそれを「母性神話」と呼ぶのではないでしょうか。
公判の様子は、目黒5歳児虐待死事件、母親の公判始まる。嗚咽しながら「間違いありません」からの一連の記事、【目黒女児虐待死、母親被告人質問詳報】(1)「結愛が一番楽しく過ごせる家庭を作りたかった」涙声で供述の一連の記事で読むことができます。これらに取材を付け加えて本記事を書いています。