モンパチの名曲から見える沖縄のリアル、37歳映画プロデューサーの挑戦
沖縄を巡る問題に「語りにくさ」が付いて回る。基地問題を知ろうとしても、賛成か反対かで熱い議論が交わされ、知るためのハードルはどんどん高くなっていくーー。公開された映画『小さな恋のうた』は沖縄を代表するロックバンド、MONGOL800の名曲を使い、青春映画の中に「沖縄の現実」を織り込んだ意欲作だ。キーパーソンは沖縄生まれ、沖縄育ち37歳のプロデューサー、山城竹識。彼の思いに迫る。
リアルな沖縄を描く
山城がインタビューの中で何度も語っていたのが「リアリティ」だった。テレビや映画で沖縄が取り上げられるとき、必ず決まったイメージがある。例えば青い海や優しいおじぃ、おばぁだ。彼はそこに「リアリティ」を感じないのだ、という。
映画のあらすじはこうだ。主人公は沖縄の小さな街で活動する高校生4人組のバンドだ。ボーカルの真栄城亮多を中心に、シンプルながらも力強い歌は東京のレーベルからも注目が集めていた。ある日、バンドの楽曲を手がけていたギターの譜久村慎司がデモ音源を残したまま、交通事故で亡くなってしまう。
失意のなかで、バンドは空中分解しかけるのだが、慎司の思いを受け継ぐ新メンバーを迎え、彼が思いを寄せていた米軍基地内に暮らす少女に、あるメッセージを届けるべく活動を再開するーー。
売り出し中の若手俳優が集い、実際に演奏もしている。使用する楽曲はすべてモンパチことMONGOL800の楽曲である。素人同然だった彼らは練習を重ね、モンパチの楽曲をものにしていったという。
基地も描かれる青春映画
こう紹介すると、いかにも感がある直球の青春映画なのだが、この映画が秀逸なのは一つ一つのセリフや背景にある。描いているのは、基地に隣接する沖縄の現実そのものなのだ。
例えば、慎司を轢いた車は米軍車両の可能性があることが示唆され、セリフには「Yナンバー」(米軍関係者の車両)という言葉をあえて入れた。さらに彼の父親は米軍基地で働いていること、亮多の母親はシングルマザーで米軍相手の飲食店を営んでいること。基地の中に住む少女とフェンス越しに音楽を聴くこと。その基地への反対運動、オスプレイ……。
彼の同世代、あるいはもっと下の沖縄の若い世代が基地に抱く賛否では語りきれない心情が、個々の設定や台詞のなかに投影されている。
《この映画には沖縄らしい青い空も海も出てきません。沖縄の言葉もあえて使わず、あえて沖縄にルーツがある俳優も起用せず、スタッフも僕意外は東京や県外出身の方ばかりです。
それには全部理由があります。沖縄の人ばかりで固めてしまうと、言わなくても「あぁわかる、わかる」で終わってしまって、県外の人に物語が伝わらなくなります。キャストもそうです。全国の観客が見てくれるということを大事にしています。
だからこそ、失ってはいけないのが僕たちのリアリティなんです。映画に出てくる沖縄は嘘ばかりとはいいませんが、綺麗なところばかりじゃないですか。
それって僕たちからすると全然リアルじゃない。映画はただでさえフィクションなので、変に嘘っぽくならないよう設定には僕が体験してきた沖縄の現実を入れ込みました。
僕の世代では沖縄の言葉もあまり使わないし、テレビに出てくる沖縄の言葉はどれも嘘っぽく聞こえるんです。だったら、あえて使う必要はない。基地に住む女の子とフェンス越しに音楽を聴くというのは、僕の体験です。基地で働いている人もそう。Yナンバーも僕たちの生活の身近なところにあります。
僕たちにとっては、基地はそこにある現実なんです。僕は沖縄と米軍基地の間で混ざり合い生まれる「本当のチャンプルー文化」を、エンタメ映画として表現したかったんです。》
山城は「現実から目を背けたら、沖縄の人たち、とりわけ若い世代に見てもらえない」と言う。一方で、リアルな設定だけにこだわってもエンタメ映画としては成立しないこともわかっている。
モンパチの音楽で突破する
《そこで大事だったのはモンパチの音楽です。》
沖縄を代表するロックバンドにして、今なお歌い継がれる名曲を多数生み出したモンパチことMONGOL800の代表曲「小さな恋のうた」が映画のタイトルである。
《モンパチは高校の同級生が結成したバンドで、僕は彼らの後輩です。新歓ライブとか、沖縄発でインディーズシーンで売れるようになって……というのも全部、自分の目で見てきました。本当にかっこよかった。
僕は東京に出て、専門学校を卒業した後、映画の制作会社に入ります。そこでどうしてもやりたかったのが、モンパチのアルバムで大ヒットした「Message」の曲をテーマにしたドラマ化だったんです。
モンパチの歌も、沖縄の歴史や現実から逃げてないので、企画を実現するにあたって、どうしても自分のルーツとアイデンティティに向き合わないといけなかった。結局、ドラマ化は実現しなかったのですが、企画は別の形で実現します。それがこの映画なんです。》
理不尽な分断を超える音楽
取り上げられている事例こそリアルだが、映画のトーンは決して暗くはない。フェンスに象徴される理不尽な分断を乗り越えようとする前を向く若者たちの姿が映し出される。その姿が、モンパチのロックと共鳴する。
《映画を作っているときも、先輩(=モンパチのメンバー)から歌詞の意味を教わるなんてことはしませんでした。彼らは「お前が思うことを大事にしてほしい」というのが基本。
だから、僕も徹底的に考えました。この歌の意味、本当の力を何だろうって。この映画の基地問題の描き方には当然、批判もあると思います。踏み込みすぎだという人もいれば、もっと入れてくれという人もいるでしょう。
正解は人それぞれあっていい。大事なのはまずは関心を持ってもらうことです。この映画では、米軍も反対運動をする人も含めて、登場人物たちの考え方を誰一人否定していません。》
本当の悪役は日本の無関心
たしかに、この映画には悪役は誰一人として登場しない。「本当に悪役がいるとすれば……」と山城は言う。
《日本の無関心でしょう。
僕はモンパチの音楽の力も借りながら、日本中の無関心な人にこそ映画を届けたいと思ったんです。沖縄の基地問題は僕が生きている間に解決はしないでしょう。ずっと残り続けるでしょう。大変な思いをすることもある。
でも、やっぱり前を向きたいんです。そういう気持ちで生きている人がいるということを知ってほしいかな。》
何度もあったという楽曲映像化のオファーを断り続けてきたモンパチがついにOKを出したのは、単に山城が後輩だったからではない。彼がルーツとアイデンティティに向きあい続けてきたからであり、この映画化は必然だったのだ。
沖縄の語りにくさ、それ生んでいる分断と無関心をエンタメの力で乗り越える。新世代の沖縄の描き方がここにある。