地元のために一生懸命です/株式会社瀬戸屋 金野知哉さん
食器の卸業として、昭和21年(1946)に創業した株式会社瀬戸屋。その瀬戸屋でユニークな商品開発を手掛け、東奔西走する青年がいます。それが、金野知哉さん。金野さんは、宮城の陶芸作家の手によって制作されたぐい吞で、宮城の日本酒、そして食を楽しむ「ぐい呑パスポート」を考案。第1回仙台市交流人口ビジネスコンテスト(主催:仙台市)優秀賞、第10回新東北みやげコンテスト(主催:仙台市産業振興事業団)の地域性特別賞を受賞しました。コロナ禍にスタートした「ぐい吞パスポート」も、2024年には第4回を迎え、参加する飲食店も年を追うごとに増えています。
また、東北の食文化や工芸品を未来へと継承すべく、東北の原材料を使って地元の職人が製品をつくる「彩地器 Saijiki Tohoku」というブランドを立ち上げました。
「彩地器をつくったのは、5年前。東北大学の地域イノベーション アドバイザー塾に参加したのをきっかけに、瀬戸屋ブランドをつくりたいと思うようになったんです。その理由のひとつが、土から職人さんまでメイド・イン東北のものをつくりたかったから。そして、彩地器を持って、フランスのメゾン・エ・オブジェに出展したときに強く感じたのが、『海外のブランドは、商品の伝え方、ブランディングが上手』ということ。モノは明らかに日本のもののほうがいいのに、それをうまく伝えられていない、すごくもったいない。そんな反省もあって、今、マーケティングを勉強中です」
「もったいない」という思いは、ほかの商品開発にも活かされています。数年前には、仙台の七夕まつりで使用されるも、祭りが終わると廃棄処分となってしまう竹の再利用を図るため、竹でつくったバッグを考案したこともありました。
「バッグは実現しなかったのですが、竹で何かしたいという思いはあるんです。竹でぐい吞をつくってみるのも良いですね」
ところで、株式会社瀬戸屋は、金野さんの祖父が創業した会社で、仙台の中心商店街の一番町で小売店を営んでいたそう。その後、地元の百貨店である「藤崎」が食器を扱うということで、卸売を始めるようになったのです。
商売を営む家に、三人兄弟の三男として生まれた金野さん。仙台の高校を卒業後、大学進学を機に上京。卒業後はトラックのライン工場で、トラックのフレームなどの設計図を作る仕事に従事しました。
「当時は組み立てを海外でやったほうが安いということで、設計図を英語で作っていました。私は文系学部の出身なんですけれど、そんな仕事を3年くらいやって。それで、うちの父親が『そろそろ帰って来ないか』という話をされました。遅かれ早かれ私も仙台に帰りたいという思いがあったので、『じゃあ、仙台に帰ろうか』と決心しました。ここからが運命的なのですが、準備をして帰ってきたのが2011年3月10日。東日本大震災の前日だったんです」
仙台で被災した金野さん。株式会社瀬戸屋も、食器はほぼ壊滅状態で甚大な被害を負いました。
「ショールームだけじゃなく、倉庫の食器も全滅。私の瀬戸屋での初めての仕事は、ゴミ捨てからでした。それからは、上司にくっついて日本全国の窯元をめぐり勉強させてもらいました。私は中学のときから吹奏楽をやっていて、今でもサックスを演奏していて、ひとつの曲を仲間と一緒に作り上げていくのが楽しくて続けています。今携わっている仕事も多くの人と関わり、対話をしながら作り上げていくので、何か通じるところがありますね」
仙台生まれ仙台育ち。地域活性化のために尽力したいと話す金野さん。
「お客さんにとっても、事業者さんにとってもメリットのある仕組みをいつも考えています。もっともっと横のつながりが生まれて、仙台、そして東北が盛り上がったらいいなって思っています」
「本当、地元存続のために必死でやっているだけですよ」と笑う金野さんの次なるアイデアが楽しみです。
「ぐい呑パスポート」の誕生秘話は、仙台市産業振興事業団が運営するウェブサイト「暮らす仙台」でもご紹介しています。ぜひご覧ください。
株式会社瀬戸屋
宮城県仙台市若林区卸町2-15-7
022-232-0135
ショールーム営業時間 10:30~17:00
定休日日曜・祝日
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撮影:堀田祐介
撮影協力:仙臺居酒屋おはな