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『笑点』の落語家 春風亭一之輔ら新参4人と三遊亭好楽ら古参3人の「ある決定的な差」

堀井憲一郎コラムニスト
現在の『笑点』司会の春風亭昇太(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

一之輔と好楽の『ぽかぽか』出演

落語家の春風亭一之輔と三遊亭好楽が8月16日の『ぽかぽか』に出ていた。

おもしろい取り合わせだ。

一之輔は今年2023年になって『笑点』に入った新メンバー、好楽は1979年から出ている古参メンバーである。

一之輔は古くから続く「落語協会」のメンバーであり、好楽はそこからの分派に失敗した一門の末裔で、いわば独立リーグ選手のような所属である。

落語界での接点は薄い。

その2人が出てきた。

仲が良さそうで、でも芯のところは微妙という雰囲気がそのまま映し出されて、やはりテレビの生放送はおもしろい。

「落語うまいんだから『笑点』なんか出ちゃダメだ」

冒頭近く、春風亭一之輔のプロフィールを紹介した流れで、好楽がこう言った。

「この人さ、落語がうまいんだから、『笑点』なんか出ちゃだめなんだ」

それを聞いて一之輔はただ笑っている。

「落語がダメだからみんな『笑点』に来るんだから…」

好楽は、自嘲的にそう続けていた。

ハライチ岩井が「名人が来るんじゃないんですか?」と言い、澤部が「人気と実力を兼ね備えた人が『笑点』に来るんでしょ」とフォローしたが、好楽はなおかつ「いや、どうしようもないのがあそこに集まっている」と付け加えるばかりである。

『笑点』メンバーはべつに落語がうまいわけではない

『笑点』に出ている落語家は、べつだん落語がうまくて出ているわけではない。

かつてはそういうものであった。

『笑点』はあくまでテレビのバラエティ番組であり、出演者には軽妙で即応できる人が求められる。

落語の腕とあまり関係はない。

言ってしまえば「話のおもしろい人」が求められているわけであり、それは「話がうまい人」とはまた別のカテゴリーなのだ。

メンバーが22年間固定されていた『笑点』

『笑点』のレギュラーメンバーはあまり入れ替わらなかった。

とくに1983年から2004年まで、22年間、固定されていた。

そのときのメンバーが以下の7人である。

五代目三遊亭円楽(称して“馬づらの円楽”)

桂歌丸

林家木久蔵(2007年秋より林家木久扇)

三遊亭小遊三

三遊亭好楽

林家こん平

三遊亭楽太郎(のちの六代目円楽/称して“楽太郎の円楽”ないしは“腹黒の円楽”)

22年間変わっていなかった。

落語がヘタではないが「制圧力」は持たない7人

この7人のなかで落語がヘタな人はいない。

でも一之輔が持っているような、聞いている人を黙らせる「圧倒的な制圧力」を持った落語家もいない。

落語好きの客を唸らせるような名人タイプの落語家は、残念ながらここにはいないのだ。

そう。落語がうまい人とおもわせるには「場の制圧力」が必要なのである。

この昭和からの7人は、あまり持ち合わせていなかった。

ライブで実際に何回も7人を見て、申し訳ないけど、正直なところ、そうおもう。

好楽はこの時代のメンバーを指して「落語がダメだからみんな『笑点』に来る」と言っているのだ。

五代円楽の落語はうまくなかったのか

落語家の良い悪いは、つまるところ好き嫌いに影響されるもので、そこから逃れるには、ただ数を聞くしかない。

そもそも「テレビでよく知られた」この7人の評価はいろいろとむずかしい。

この7人で、落語がうまいのではないか、と推量されるなら“馬づらの円楽”、つまり五代目の円楽だろう。(まあ、昭和時代から落語を聞いていた人に限るけど)

『笑点』で永らく司会をやっていた、とときどき書いてしまうが、それも2006年までのことでもう17年前の話である。彼の存在じたい、若い人は知らない。

この人は「昭和後期から平成にかけての名人」とも言うべき「立川談志・古今亭志ん朝」と並び称された実力ある若手落語家であった。(いちおう談志と志ん朝はめちゃ落語がうまかった、ということを前提とさせていただきます。異論は却下します)

村里におりてきた巨人が演じる落語

私がこの円楽を見たのはほぼ晩年といっていいころの高座だが、つぎつぎと大ネタを掛けて、その存在感を存分に示していた。

ただ、何というか、なんかサイズが違ってるなあ、という感じがあった。

彼について「山の上に住んでいる巨人が里におりてきて、無意識にいろんなものを薙ぎ倒していく」ような高座に見える、と当時、私はそういう感想を持っていた。

演者本人が泣き出す奇妙な落語家・五代円楽

たとえば、人情噺を演じて、感極まって、演者本人が泣くのである。

私は何十年も落語を見ているが、落語家が泣きながら演じる高座は五代円楽でしか見たことがない。しかも一度ではなく三度見た。

たとえば人情噺『浜野矩随』で主人公の浜野矩随が感極まって泣くところで実際に涙を流すのはまだいいんだけれど、でもすぐそのあと「ねえ、矩随さん……」と声をかけてくる後見人もべとべとに涙を流しているわけで、それは落語として、ものすごく変である。

みんな変だとおもいつつも、まあ、円楽さんの高座だから、と黙って見続けていた。そういう高座である。

人の心を動かす落語家ではあった。

でも、師匠の六代目三遊亭円生と比べてみても、器用さに欠けていて、唸らされる高座にはめぐりあえなかった。

軽妙な落語は抜群だった桂歌丸

桂歌丸はどうだったのか、というと、この人の軽妙な落語は抜群であった。

「鍋草履」「尻餅」などの高座は、いまも耳に鮮やかに残る。

でも、大ネタは、あまり歌丸の芸風に合っていなかったようにおもう。

「大円朝のネタ」をいくつも掛けていたし、円朝噺を聞くのにはとても手ごろだったので私はかなり通ったが、でも聞いている人を胴震いさせるような迫力はあまり感じられなかった。

古い大ネタを多くの人に聞かせようという意識が強かったようだが、でもそれはケレンとなりきらず、大向こうを唸らせるタイプではなかった。

まあ、しかたがない。

落語は、ネタのほうが演者を選ぶというところがあるからだ。

ひとつの理想のタイプである林家木久扇

「22年間レギュラーだった7人」のなかで、もっとも間違いのない高座を見せるのは林家木久扇だろう。

この人の高座はまず、はずさない。

ネタはいつも同じだ。

2つ、多く見積もって3つで、いつも同じ噺を聞くことになる。

でも、同じネタながら20回聞いても、30回聞いても私は大笑いしてしまう。

ちょっとすごい。

落語家のひとつの理想のタイプである。

名人になるか、こうなるかだ。

ただ古典を無理して演っているのを見たことがあるが(先に演目が出される会で、そこで古典を演じるのを数回だけ見たことがある)、まあ、古典はあまり得意ではなさそうだ。ご愛敬という芸になっている。

高座は間違いはない。

でも、落語の名人とは、ちょっと言えないし、本人も望んでないだろう。

たぶんうまい三遊亭小遊三

三遊亭小遊三も、たぶん、うまい。

でも、あまり落語をやらない。

寄席では見かけるのだが、だいたい似たような短めの噺で、きっちり受けて、あっさり下がるという印象が強い。

さらっと沸かせる芸人である。

本気の長い噺をあまり聞かせない。

かなり追っかけても出合わなかったから、たぶん、本人が避けているのだとおもう。

三遊亭好楽はひたすら地味

三遊亭好楽は、この人もうまいのだけど、かなり本格的に地味である。

『ぽかぽか』で一之輔が好楽に「肝つぶし」を教えてもらったと言っていたが、やっぱ「肝つぶし」だよなあ、とテレビを見ていて苦笑しつつ強く納得した。

洒脱だけど陰気なネタだ。

好楽は陰気な落語を聞かせて、それで客を納得させる。

そのあたりは師匠の林家彦六を彷彿とさせるところだな、とあらためておもう。

かつて「ちきり伊勢屋」を聞いたときも感銘を受けた。

うまいのだ。

でも地味だ。徹底的に地味である。

彼の声を聞きたくて多くの人が集まってくる、というタイプの芸人ではない。

でも、ときどきすごく引き込まれる。

もともと、ちょっと変わった落語が好きな好事家に好かれるタイプなのだとおもう。

林家こん平の「がんばって明るいキャラ」

林家こん平は、寄席と何人かが出る落語会で見かけたが(寄席ではかなり見ていた)、『笑点』で演じている「がんばって明るいキャラ」をそのまま高座で見せてくれた。明るく、軽い。

『笑点』の雰囲気をお客様もお望みだろうから、というサービスに満ちた高座だった。晩年はずっと声が嗄れていたのをおもいだす。

うまい二ツ目だった楽太郎の円楽

楽太郎から六代円楽になった“腹黒の円楽”。

この人は、『笑点』レギュラーになったのはまだ二十代、二ツ目の時代である。

明るく、器用で、すべてそつなくこなすキャラは、バラエティ向けであった。

ときに「藪入り」など、ぐっと引き込む高座も見た。

文京区で開かれていた楽太郎独演会などにも何回も行ったけれど、正直なところ「うまい二ツ目の芸のまま止まってしまったんだねえ」という印象であった。申し訳ない。達者ではあるけど、見知らぬ人を引き込む剛腕さが感じられなかった。

『笑点』に出ることもなく、コツコツ落語だけをやっていればたぶんまったく違う落語家ができあがったろうに、とそういう気持ちを何度も抱いたことがあった。

2004年以降に『笑点』に入った「クラス」の違うメンバー

2004年まではこういうメンバーであった。

この7人のうち小遊三、好楽、木久扇が残っており、4人が入れ替わった。

紆余曲折はあったが、入れ替わったのは以下の4人。(加入順)

林家たい平

春風亭昇太

桂宮治

春風亭一之輔

この4人は、2004年までのメンバーとは、ちょっと落語家としてのクラスが違う。

4人とも抜擢真打というエリート中のエリート

あらためて気づいたが、この4人は4人とも「抜擢で真打」になった4人である。

気づかなかった。

いま並べて気づいて、めちゃ驚いている。

つまり若手(二ツ目)の時代からその落語の実力が抜きん出ており、協会の年寄り連中が、こいつらを抜擢して真打にしたほうが、落語界のためになる、と判断した逸材だったのだ。

現代では真打への昇進は入門した順に順序よく上がっていくのだが、たまに(何十年かに一人くらいの割合で)先輩を抜いて「抜擢される」若手がいるのだ。

4人が4人ともそれだった。

(落語芸術協会では、1992年の昇太の抜擢以来、落語家としては次の抜擢は2021年の桂宮治とされている/あいまに講談師の神田伯山がいる)

いわば、落語界のエリート中のエリートなのだ。

『笑点』はたい平が入って以来、「落語界のエリートが出る番組」へと変貌しつつある。

4人それぞれの凄まじい芸風

林家たい平は、器用さが目立つ。現代の感覚をきちんと入れた古典を聞かせて、飽きることがない。

春風亭昇太は、きわめて有能な戦略家である。どんな場所でも常に「大笑いを勝ち取ってやる」と意気込んで、かならずそれを成し遂げる超人的落語家でもある。

桂宮治は、圧倒的迫力では誰にも負けない。寄席に出てきて、立ったまま喋りつづけて客を巻き込むこともある。何をやっても客席を制圧してゆく稀有な落語家である。落ち着きはない。でも迫力はある。迫力しかない。

春風亭一之輔は、この人は前座の時代から圧倒的な存在感があった。彼に向かって「『笑点』に出てくるんじゃないよ」と好楽が言いたくなるのもわかる。若いときから飛び抜けた存在だったのだ。それはとにかく見てもらえばわかるとおもう。

落語家エリート集団の舞台へ

どうやら『笑点』は「エリート落語家」の舞台へと移りつつある。

好楽の言った「落語がダメだから『笑点』に来た」というのは2004年までの昔の話なのだ。

77歳にとって19年前は最近だから、昭和のころから固定されていたメンバーのことを好楽はおもいうかべて言ったのだろう。

気持ちはわかるが、まあ、昔の話である。

「21人を抜いた」一之輔と「抜かれた36人の1人だった」好楽

ちなみに「ぽかぽか」で「春風亭一之輔は21人抜きで真打に抜擢された」と紹介されたあと、好楽は「おれは36人抜きで、抜かれたほうだ」と自分で語っていた。

1980年、春風亭小朝に抜かれた1人だったのだ。

好楽と一之輔の落語家キャリアには、ずいぶんと差がある。

『笑点』は、かつては「落語は飛び抜けてはいないけれど、おもしろい人たち」がレギュラーで出る番組であり、好楽はその時代のメンバーであった。

21世紀になって『笑点』に加入したメンバーは、いわば「落語家エリート集団」であり、もっとも新しいメンバー春風亭一之輔がその最たるものであろう。

いつの間にか、『笑点』メンバーは名人候補の集まる場所になっているのだ。

なかなかおもしろい風景である。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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