映画『ふたつの名前をもつ少年』:情報通信技術が発達した現代だったら3年間も逃亡できただろうか
映画「ふたつの名前を持つ少年」が日本でも2015年8月から公開された。原作本は日本語訳『走って、走って、逃げろ』(ウーリー オルレブ著、母袋夏生訳・岩波書店、2003年)である。
ナチスドイツに支配されたポーランドで迫害されるユダヤ人の8歳の少年がナチスドイツの魔の手を逃れるために1942年から終戦まで3年間に渡った、本名をポーランド名に変えて、キリスト教徒になりすまして、ポーランド人の農場などを転々としながら逃げ続けるという話だ。
■森や農村を3年間も逃亡していたユダヤ人の少年
この少年を主人公にした本と映画は決して「想像の恐怖のサバイバルストーリー」ではなく、70年前のリアルな実話に基づいている。戦争が終わってまだ70年である。平和な日本で、日本人という理由だけで突然家を追われて、名前と身分を隠して生きていくことになることは想像もできない。当時ポーランドにいたユダヤ人らもそう思っていただろうが、人生が急転直下したのだ。
逃亡中には何回も死にそうになりながらも、ポーランド人に助けられたり、裏切られたりして、時には一人で暗い森の中で生活しながら3年間を生き抜いていく。その生き様と明日はどうなるかわからない運命の日々は8歳の少年にはあまりにも壮絶すぎる。そして、この本も映画もフィクションではなく実話に基づいている。周囲の支援と自分の直感で生き抜いてきた奇跡のような物語である。そして森の中でサバイバルをしていく間に、いろいろと生きる知恵を習得していく。例えば、鶏を盗んでも料理をするのは夜。なぜならたき火は昼間に森の外から煙が見つかってしまい、危険だから。そのようなことは平時においては学ぶことはできない。さらに逃亡中に片腕を失ってしまうが、それでも生き延びていく術と危険を察知して、何回も死の恐怖に直面しながらも生き伸びていく。
■現在では3年間も逃亡生活ができるか
1942年から3年間、8歳の少年は森の中や農村を転々と逃亡していた。そしてその少年をずっとナチスドイツは追いかけていた。少年は逃亡中にナチスに捕まりそうになったり、実際に捕まってからも脱出して再び逃亡する。怒り狂ったナチスが追いかけるが、見つけることも捕まえることもできなかった。走って逃げ出す少年を追うナチスも、逃げた方向に闇雲に追いかける。
情報通信技術と機器が発達し、周辺には監視カメラやセンサーに囲まれた現代社会では、3年間も森や農村を転々と逃亡することは不可能だろう。70年前のポーランドの農村部や森にはセンサーや監視カメラなどがないから、見失ってしまってはナチスドイツでも簡単に捕獲することができなかった。
追いかける方も非常に古典的である。銃を持って逃げて行った方に追いかける。草の茂みに隠れていても気が付かないで、走っていく。ポーランド人の農家の地下に匿われていても、ナチスはその家を散々荒らしたが、発見することができなかった。また犬を使って森の中を追いかけるが、犬は沼地(水)の中にまで入ってこないから、少年は水の中に潜って隠れていた(これは少年が父親から教えられた生きる知恵)。そして見つからずに、諦めて退散していく。現在ではあっという間に探知機やセンサーなどで感知されて捕獲されてしまうだろう。
ゲットーから少年が脱出する時もポーランド人の幌馬車に隠れての脱走で、ゲットー出口でナチスの兵士が幌馬車の荷物に短剣を刺して人がいないか確認していた。現在ならセンサーで人間が隠れていることを瞬時に感知されてゲットーからの脱出はできなかっただろう。
情報伝達と収集の手段も、携帯電話もインターネットなど当然なかったので口コミなどに限られていた。但しポーランド人の口コミによる密告で裏切られて逃亡を繰り返す羽目にもなった。
ナチスの難を逃れて、逃亡や隠れ家で生活をして生き延びたユダヤ人は少なからず存在している。歴史に「if(もし)」は禁物であろうが、もし当時、現在のように情報通信技術が発達していたら、彼らの多くは捕まってしまって、戦後も生き延びれなかったかもしれない。
「自分の名前を捨てて生き延びるんだ。絶対に生きるんだ。」と別れ際に父は告げた、そして「ユダヤ人であることを絶対に忘れてはならない」の言葉が生きる支えになったのだろう。
キリスト教徒になりすまし、ポーランド名を使って戦争を生き延びた少年は、戦争が終わってから文字の読み書きを覚え、大学も卒業してイスラエルに移り住んで数学の教師を務めたそうだ。原作本の方が逃亡生活や戦後の主人公(ヨラム・フリードマン氏)の辿った人生についても詳しく記されており、読んでいてハラハラする。機会があれば原作本も読んでみるとよい。