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『R-1』吉住の“デモ活動ネタ”賛否両論への納得と、物議すら想定して笑いに落とし込んだ吉住のすごさ

田辺ユウキ芸能ライター
(提供:アフロ)

「ポップなネタができたみたいで」「フジテレビらしいお笑いができた」

3月9日におこなわれたピン芸人のナンバーワンを決めるお笑い賞レース『R-1グランプリ2024』決勝戦(カンテレ・フジテレビ系)のファーストステージで、ネタを終えたばかりの吉住はこのような感想を口にした。

吉住が同ステージで披露したのは、政治家の汚職問題への抗議デモを終えたばかりの女性・ミズシマメグミが、その足で交際相手の実家へ結婚の挨拶へ行くという一人コント。

「絶対に許さない」と書かれたプラカードや拡声器をそのまま持参し、服には返り血が。せっかく持ってきた土産もひしゃげてしまったが、メグミは「戦った勲章」だと誇る。交際相手の両親はそんな彼女との結婚に“反対”。ミズシマメグミは「大丈夫ですか? 私、自分の意見を押し通すプロなんで」と不穏に言い放ち、デモ仲間から「ケッコンヲミトメロ」とのメッセージ付き火炎瓶も投げ込まれ、座り込みまで示唆。「もうあの頃の日常が戻ってくるとは思わないでください」の一言が決め手となり、結婚を認めさせる内容だった。

吉住はファーストステージで合計470点を記録。3位でファイナルステージへ進出し、最終決戦で2位となった。ただ視聴者の間では同ネタへの賛否がはっきり分かれる結果となった。

吉住のコントでは、デモは「強さ」の象徴として過激に表現されていた

否定派からあがったのは、「デモ活動はヤバいこと」「デモをしている人はみんな過激派だ」との誤解を生みかねないという意見。

筆者もデモやその参加者への取材経験があるが、単なるにぎやかしの人もいれば、真剣に現在の社会や政治のあり方を案じる人だったり、ダメージを食らって苦しむ人がいたりする。過激派であっても、土台にはそういう経験や気持ちがあるはず(だと信じたい)。その上でデモなどの政治活動が成り立っている背景を考えると、吉住のネタに対して「とてもじゃないけど笑えない」と表情を失う人が続出するのも理解できる。

ましてや権力を皮肉るのではなく、市民側をネタにするのは「冷笑」と言われても仕方がないだろう。これは「吉住だから」ではなく、売れっ子のお笑い芸人がデモを題材に市民側をターゲットにすれば反感を買うのも無理はないからだ。

デモは、コントで表現された武力に象徴されるような「強さ」ではなく、「弱さ」から生まれるものでもある。そういった立場を笑いの対象にすることで、見る人によっては怒りや悲しみを覚えるかもしれない。特に、お笑いファン以外も多数鑑賞する「テレビでおこなわれるお笑いの賞レース」という側面で見ると、吉住の今回のネタは、なにがあっても超えてはいけないラインのネタの一つだったのかもしれない。

非難がくることをあらかじめ想定した上で作られたネタではないか

ただこれはネタ肯定派の意見にも通じるだろうが、そもそもあくまで「お笑い」であること。なにより吉住のネタは「あるある話」ではなく、「こんな人はいない」という明らかなフィクションの上でできあがっている。

交際相手の実家へ挨拶に行く大切な日に「朝、ニュースを見ていてもたってもいられずデモをする」という行動、そして「絶対に許さない」と書かれたプラカードをそのまま持って交際相手の実家に行くオープニングは、「この話を真に受けるのはそもそもバカらしいことですよ」という意思表示でもあるのだ。

吉住がネタ後に口にした「ポップなネタができたみたいで」「フジテレビらしいお笑いができた」という感想からも、このネタをやれば非難がくることはあらかじめ想定できていたと推察できる。吉住ほどレベルが高い芸人となれば、無頓着にネタを作って披露することはないはず。

賞レースで結果を出すお笑い芸人は、私たちが考えそうなことを先取りし、何周もした上でネタをおろしている。このネタも「もしも過激派が結婚の挨拶へ行ったら」というだけの安易な内容ではまったくない。たとえば、交際相手の両親がミズシマメグミに押し負けて結婚を認めてしまうところは、今の世の中のモノが言えない風潮をうかがわせたりする(そういったことまで深読みして見なければならないのか、という疑問もある。吉住自体は、結果的には「お笑い」としてシンプルにおもしろがってほしいと願っているのではないか)。

なにより、自分の考えを認めてもらえないなら過激な言葉や行動で押し通すミズシマメグミの“冗談の通じなさ”と、この話を不快とする層による“冗談すら通じない雰囲気”をあらかじめワンセットにしてネタを作っていたようにも感じられる。このネタに対して真剣に怒ってしまうこと自体、おもしろおかしいことでもあるのだ。

「お笑い」を「お笑い」として受け止められない状況が“現在的”

もしこういったことでネタに“制限”がかかるようなことがあれば、お笑いの自由は間違いなく消滅するだろう。

それであれば、たとえば今回の『R-1』で優勝した街裏ぴんくの大ウソ漫談も「ウソに聞こえなかった、人を騙すな」と目くじらを立てられ、3位のルシファー吉岡がファーストステージで披露した婚活パーティーの一人コントも「人によって誤解を生みかねない」「偏見だ」とされるべきだろう。

肯定派、否定派の意見は両方とも納得できるものである。しかし「お笑い」を「お笑い」として軽く受け止められない状況がいかにも“現在的”ではないか。またなにより、こういったお笑いの賞レースである程度の自由度をもってネタが披露できなくなると、それこそ“交際相手の両親”のようになる気がする。

芸能ライター

大阪を拠点に芸能ライターとして活動。お笑い、テレビ、映像、音楽、アイドル、書籍などについて独自視点で取材&考察の記事を書いています。主な執筆メディアは、Yahoo!ニュース、Lmaga.jp、Real Sound、Surfvote、SPICE、ぴあ関西版、サイゾー、gooランキング、文春オンライン、週刊新潮、週刊女性PRIME、ほか。ご依頼は yuuking_3@yahoo.co.jp

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