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ネット炎上はなぜ起こるのか

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
(写真:アフロ)

 以下にご紹介するのは、2004年に長崎の佐世保で起こった小6女児同級生殺傷事件という衝撃的な事件について、その直後に神戸新聞(2004年6月10日)に寄稿した小論です。最近もまたネット炎上による不幸な事件が起こっていますが、本稿ではネット炎上の本質的な原因と考えられる〈情報過多の時代における情報の貧困〉という、アンビバレントな現象について書いています。

 私がこのような考えを持つようになったきっかけは、実は25年前の阪神淡路大震災のときの経験です。

 大阪と神戸の中間にある兵庫県西宮市に私の親しい友人がいて、震災直後から何度も電話を掛け、やっとつながった受話器の向こうから聞こえてきたのは、「水がない」という悲痛な言葉でした。神戸行きの阪急電車は途中で途絶えていましたが、なんとか西宮北口駅までは行くことができました。女房と二人、大きなリュックに水と若干の食べ物を詰め込んでもっていきました。

 電車は救援物資を担いだ人でいっぱいでしたが、ドアが開いてホームに出たとたん、ものすごいカビの臭いがしてきたのです。湿った畳の臭い。カビとほこりと、物がくすぶっている臭い。街全体、いたるところがそんな臭いで蓋(ふた)をされているようでした。

園田寿「情報化社会で進む”貧しさ”」(神戸新聞 2004年6月10日)
園田寿「情報化社会で進む”貧しさ”」(神戸新聞 2004年6月10日)

 それまで、燃えさかる神戸の街の様子をテレビで見て、足が震えるような恐ろしさを感じていましたが、西宮北口の駅に降りたとたん、初めて震災の本当の凄さ、恐ろしさが分かったような気がしました。当たり前のことですが、テレビからは臭いは伝わってきません。テレビで見た情報、あれは薄っぺらな情報なんだと気づいたのです。現場に行かないとわからないもの、実物を見ないとわからないものが世の中には無数にあるということを心から実感したのでした。

 情報化社会で進む”貧しさ”

 小六児童が同級生を殺害したという、なんとも痛ましくてやるせない佐世保の事件。直後から無数の報道がなされてはいるが、闇は深まるばかりで、おびただしい情報の中での空虚感という逆説的な気持ちが収まらない。

 報道によると、仲の良かった二人が、自分のホームページ内の掲示板やチャットでの書き込みから仲たがいするようになり、それが結果的に極限の憎悪にまで発展したという。小六児童による学校内での殺人という事実以外に、インターネットの掲示板やチャットという、今や子どもたちを含め多くの人が日常的に利用しているメディアが殺人の一つの原因になったという事実に、社会は強い衝撃を受けた。事件そのものについては、さまざまな観点から分析されていくだろうが、一般論として、インターネットの掲示板やチャットがはらんでいる危うさについて、改めて考えてみたい。

■フレーミング現象

 インターネットがブレイクしてから、まだ10年ほどしか経っていない。歴史の浅さから、新しい形のトラブルも生じている。ネット上の名誉毀損や誹謗中傷もその一つで、警察への相談件数も年々増加する傾向にある。

 ネットでの発言は手軽だから、頭に浮かんだことがストレートに送信されやすい。しかも、基本的に文字だけのコミュニケーションだから、表現の稚拙さや、配慮を欠いた言葉使いから、容易に誤解が生じやすい。普通の会話なら、表情や身振り、声の抑揚などに言葉を絡めて気持ちを相手に送るのだが、例えば「死ね」という文字情報だけが送られると、強い信頼関係がない限り深刻な響きを持って受け取られる。

 些細な表現から誤解が生じ、勢いにまかせて反応し、結果、双方が冷静さを失い、応酬が感情的にエスカレートしてしまう。これが、「フレーミング」(炎上)と呼ばれているネットに特有な現象だ。文字だけの浅く乾いた会話が流れ、突然、枯れ草にタバコの吸い殻が投げ込まれたかのように、感情が一挙に燃え上がってしまう。フレーミングの過程では汚い言葉をぶつけ合い、人格攻撃を目的とした応酬を繰り返しやすい。それでも、互いに匿名の、ネットだけでの応酬ならば、いずれ憎悪の炎は鎮まるが、それが知り合い同士ならば、ネット空間での憎悪を現実空間にまで引きずることになってしまう。

 また、インターネットを利用していると、情報が情報を呼び、すべての情報が自分の回りに配置され、自分が世界の中心に位置しているかのような感覚にとらわれることもある。加害児童も自分でホームページを開設していた。悪口や批判的な言葉が被害児童によって掲示板に書き込まれたという。自分が管理する「私の世界」に、批判的な意見や非難が書き込まれると、それは自分の家の塀に隣人から落書きされたようなものだ。

■変形される現実

 インターネットは、人の意識を変革し、社会を強烈に揺さぶる革新的テクノロジーだ。人の意識や制度的な枠組みの構築が遅れがちだからといって、加速度のついた情報化の流れを収めることはできない。しかし、その勢いに流されないために、忘れてはならないことがある。

 実は、われわれが人間としての存在の根を張る現実空間は、匂いや味、肌触りなど、コンピュータによるデジタル化を頑固に拒み続けている無数の瑞々(みずみず)しい情報で満ち溢れている。情報のデジタル化とは、デジタル化できない情報をすべてそぎ落としてしまい、その部分を巧妙にごまかす技術でもある。ネット空間に散りばめられた情報は、世界のごく一部の、しかもかなり偏った情報なのである。

 どんなに社会の情報化が進んでも、手で直接さわるもの、舌で味わうもの、肌で感じるものを大切にしたい。現実あるいは本物がネットの世界でどのように変形されていくのかを、つねに子どもたちにも教えていかなければならないと思う。

 かつて物質的貧しさが犯罪原因となった時代もあったが、今や人間関係の貧しさが重大な犯罪原因となっている。しかし、その根底には、情報化社会という情報過多の時代にあって、人間としての行動判断の基礎となる情報そのものの貧しさがあるように思われる。(了)

(神戸新聞2004年6月10日)

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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