産経新聞前ソウル支局長に無罪判決が下った韓国の名誉毀損罪って、どんなもの?
韓国で朴槿恵(パク・クネ)大統領らに対する名誉毀損罪に問われ、在宅起訴されていた産経新聞前ソウル支局長に対し、無罪判決が下った。ただ、ソウル中央地裁は、前支局長が産経新聞のウェブサイトで配信したコラムの内容を虚偽であると断じた。では、なぜ無罪という結論が導かれたのか。ここでは純粋に法律的な見地からその理由を示したい。
わが国の名誉毀損罪
理解の前提として、わが国の名誉毀損罪に少し触れておきたい。わが国の刑法は、「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する」「死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない」と規定している(230条)。これがわが国の名誉毀損罪だ。
ポイントは、死者に対するものでない限り、摘示した事実の真偽を問わないし、不特定または多数の者が認識し得る状態で事実を摘示すればよく、口頭や出版、ウェブサイトを通じた配信など、どのような方法でも構わないという点だ。
人の名誉を毀損することを認識しながら公然と事実を摘示すればアウトであり、それに加えて「人を誹謗(ひぼう)する目的」までは犯罪成立の要件とされていない。
また、最高刑は一律で懲役3年とされており、摘示した事実が虚偽であれば情状面で考慮するというスタンスだ。
ただ、「言論の自由」とのバランスを図る必要もあるので、起訴に至っていない犯罪に関する事実など「公共の利害」に関する事実であり、専ら「公益を図る目的」であって、「真実」であると証明されたときは、罰しないとしているし、同様に公務員や公選による公務員の候補者に関する事実についても、「真実」であると証明されたときは、罰しないとしている(230条の2)。
起訴によって事件が知れ渡り、名誉毀損の被害が拡大するおそれがあることから、被害者らの告訴がなければ起訴できない(232条)。
韓国の名誉毀損罪
韓国の刑法にも、名誉毀損罪がある。「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は…」などと規定されており、基本的にはわが国の名誉毀損罪と同様だ。
ただ、わが国と大きく異なるのは、(1)一般の名誉毀損と、(2)新聞、雑誌など出版物(ラジオやテレビ放送も含まれる)による名誉毀損とを区別して規定し、かつ、(a)単なる事実摘示と(b)虚偽の事実摘示とを区別して規定した上で、刑罰の軽重に差をつけている点だ(韓国刑法307条、309条)。
例えば最高刑を見ると、(1)(a)だと懲役2年、(2)(a)だと懲役3年、(1)(b)だと懲役5年、最も悪質な(2)(b)だと懲役7年とされている。わが国と比べると、虚偽の事実を摘示したケースや出版物を用いたケースに対する刑罰が格段に重くされていることが分かる。
他方で、(2)の新聞や雑誌など出版物を使った場合には、「言論の自由」とのバランスを図る観点から、(1)では必要とされていない「人を誹謗する目的」が付加され、(1)よりも犯罪の成立要件が厳しくなっている。
同様の趣旨から、摘示した事実が「真実」であり、専ら「公共の利益」に関するときは、処罰しないとされている(韓国刑法310条)。
また、わが国のように被害者らの告訴までは要求されていないが、その明示した意思に反して起訴することはできない(韓国刑法312条)。
情報通信網利用促進及び情報保護等に関する法律
ところで、産経新聞前支局長は、産経新聞のウェブサイトを通じてコラムを配信している。
この点、韓国は、ウェブサイトのように電気通信設備やコンピュータを活用して情報を収集・加工したり、保存・検索したり、送受信する情報通信システムを「情報通信網」と定義し、その利用促進や個人情報保護の観点から、「情報通信網利用促進及び情報保護等に関する法律」(以下「情報通信網法」)という特別な法律を制定している。そして、この法律の中に、「情報通信網」を通じた名誉毀損罪を定めている(情報通信網法70条)。
もっとも、その内容は、先ほど示した韓国刑法の名誉毀損罪における「出版物」の部分を「情報通信網」と読み替えるに等しいものだ。すなわち、単なる事実摘示と虚偽の事実摘示とで刑罰の軽重に差をつけるほか、「言論の自由」とのバランスを図る観点から、「人を誹謗する目的」が犯罪の成立要件とされている。
最高刑も、単なる事実摘示だと懲役3年、虚偽の事実摘示だと懲役7年であり、先ほどの(2)(a)や(2)(b)と全く同じだ。
前支局長は、産経新聞のウェブサイトを通じて配信したコラムの中で、『朝鮮日報』の記事を引用し、2014年4月のセウォル号沈没事故当日、パク大統領が元秘書の男性と一緒にいた可能性を示唆した。
客観的な証拠からこの記事の内容が虚偽であったことは争いがなく、韓国検察は情報通信網法の名誉毀損罪のうち、より重い「虚偽の事実摘示」で前支局長を在宅起訴し、論告で懲役1年6月の求刑を行った。
「人を誹謗する目的」とは
そこで問題となるのは、「人を誹謗する目的」とは何なのか、という点だ。韓国刑法の「出版物」を使った名誉毀損罪に関する事案ではあるが、既に大法院(韓国の最高裁)がその判断基準などを明確に示している(大法院2005年10月14日判決、2011年7月14日判決)。
・人を誹謗する目的には、加害の意思または目的を要する
・人を誹謗する目的があるかどうかは、摘示された事実の内容と性質、対象となった相手方の範囲、その公表の方法など、公表自体に関する諸般の事情を勘案すると同時に、公表によって毀損され、毀損されうる名誉の侵害の程度などを比較衡量することによって判断される
・摘示した事実が公共の利害に関する場合には、特別な事情がない限り、誹謗の目的が否定される
・行為者の主要な動機ないし目的が公共の利益を図るためのものであるならば、それに付随する他の私的な利益を追求する目的や動機が内包されていても、誹謗の目的を認めるのは困難
この判断基準を前提として今回の事案を冷静に見る限り、セウォル号沈没という大惨事当日の大統領の動静は国際的にも関心が高く、広く報道する価値も高い事項であることは明らかであって、朴大統領らを誹謗する目的は到底認められない。
現にソウル中央地裁も、事故当日の大統領の動静を「公的関心事」とし、前支局長の主たる目的は隣国である韓国の政治、経済、社会情勢を日本に伝えることにあり、朴大統領らを誹謗する目的を認めることは困難だとした上で、無罪とした。法律的に見ると、この無罪判決は至極当然のことと言える。
「言論の自由」が勝利したのか
ただ、気になるのは、判決言渡しに先立ち、裁判長が韓国外務省の文書を読み上げるという異例の措置に出ている点だ。
その内容は、「日本側から『今回の裁判が日韓の関係改善の障害となっているので大局的に善処してほしい』と強く求められている」という驚くべきものだった。もしわが国の裁判所が逆の措置に出れば、大騒ぎになるだろう。
立法、行政、司法という三権を別々の機関に分け、互いに抑制し合い、均衡を保つことで国家権力の暴走を防ぐというのが近代民主国家の大原則だし、明らかに司法の公正さを疑わせる重大な事態だからだ。
日韓関係の改善を優先させるという外交的配慮から有罪を無罪にしたかのようにも印象づけられるものであり、およそ「言論の自由」が勝利したとは言いがたい、後味の悪い判決であることは間違いない。(了)