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故郷を離れない移民たち(2)

高橋和夫国際政治学者/先端技術安全保障研究所会長

ゲーリック

もう一つの例をあげようホームラン王のベーブルースと共にヤンキースの黄金時代を担ったルー・ゲーリックという強打者がいる。1925年から1939年の14年間に渡り、当時の世界記録となる2130試合連続出場を果たした鉄の人である。人以上かも知れない。ゲーリックのニックネームは、鉄の馬であった。このゲーリックは、ドイツ系であり両親は家庭ではドイツ語を話していた。もちろんゲーリック自身は、英語を使うようになっていた。一世代から二世代のうちに移民が同化した例である。

実はドイツ系移民は驚くほど多い。最近の報道によれば5千万人に近い。これは後に触れるヒスパニックに次ぐ存在である。しかしドイツ系移民は、白人であり、多くがキリスト教のプロテスタントである。伝統的にアメリカの主流とされるWASP(White、Anglo Saxon、Protestant 白人でイギリス系でプロテスタント)が「主流」の社会に自らのドイツ性を埋没させることが可能であった。肌の色ではイギリス系だろうかドイツ系だろうか区別がつかないからである。第二次世界大戦中に収用所に送り込まれた日系人との違いである。またドイツ系の人々は余りに多く、全員を収容所に送り込むなど不可能であった。

ドイツへの敵意というのは、たとえば食べ物の名前に現れた。一説によれば、アメリカ人が大好きなパンにソーセージをはさむサンドイッチは、ドイツから持ち込まれ、当初はフランクフルトとかフランクフルターと呼ばれていた。しかし第一次世界大戦でドイツがアメリカの敵国となると、名前をホット・ドッグへと変えられた。フランクフルトがドイツの地名であるからだ。これは2003年のイラク戦争中にフランスが開戦に反対したというので、一部のレストランでフレンチ・フライをフリーダム(自由)フライと改名したのを思い起こさせる。アメリカ人はポテト・フライをフレンチ・フライと呼ぶ。

ドイツ系の移民が多かったのは19世紀であり、ニューヨーク州やペンシルバニア州そしてテキサス州などに20世紀の初めまではドイツ語を使う地域が散在していた。ドイツは第一次と第二次世界大戦でアメリカの敵国だった。またユダヤ人虐殺の責任を問われた。こうした理由からドイツ系の人々は、自らのルーツを強く主張することは控えてきた。ドイツ系には同化を急ぐ背景があったわけだ。

>>つづく

国際政治学者/先端技術安全保障研究所会長

国際情勢をわかる言葉で、まず自分自身に語りたいと思っています。北九州で生まれ育ち、大阪とニューヨークで勉強し、クウェートでの滞在経験もあります。アメリカで中東を研究した日本人という三つの視点を大切にしています。映像メディアに深い不信感を抱きながらも、放送大学ではテレビで講義をするという矛盾した存在です。及ばないながらも努力を続け、その過程を読者の皆様と共有できればと希求しています。

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