観光列車「伊予灘ものがたり」が人気を呼ぶ理由 ~2022年の鉄道を振り返る~
○代替わりを果たした「伊予灘ものがたり」
西九州新幹線の開業に鉄道業界が湧いた2022年、各地の観光列車にも動きが見られた。同新幹線の開業に合わせ、JR九州では「ふたつ星4047」が運行を開始。他にもJR西日本の「SAKU美SAKU楽」や近畿日本鉄道(近鉄)の「あをによし」がデビューしている。
一方、4月には7年以上にわたって人気を集めていた観光列車が、新たなステージへと突入した。その列車とは、JR四国の「伊予灘ものがたり」。その名の通り、予讃線松山~伊予大洲・八幡浜間を、伊予灘に沿って走る列車である。
「伊予灘ものがたり」は2014年7月に運行を開始して以来、指定席の取りづらい状況が続いていた。この列車は2両編成で、座席数は合計50席と極端に少ないわけではない。運行区間も、羽田空港や伊丹空港から松山空港への空路があるとはいえ、決して首都圏や関西圏からのアクセスが良い地ではない。にもかかわらず、高い人気を維持し続けてきたことは、特筆に値する。
ただ、「伊予灘ものがたり」は国鉄時代の1978年に製造されたキハ47形をベースに改造したため老朽化が課題となっていた。列車の最大のセールスポイントである「伊予灘の絶景を眺めながら走る」という点も、鋼鉄製の車体には酷な状況である。さらに、キハ47形は窓が開く普通列車用の車両であり、視界や座席配置などの点でハンデを背負っていたことも否めない。
そこでJR四国は、2021年末をもって従前車両での運行を終了。代わって2022年春からは2代目「伊予灘ものがたり」編成が運行を開始した。2代目はステンレス車体を持つキハ185系を改造したもので、窓の横幅も広く、車内からの展望性も向上しているほか、2両編成から3両編成となり、うち1両はほぼ全室を使った個室とされた。個室の中央窓際には鏡面仕上げの大きなテーブルが設置され、伊予灘に沈む夕日をはじめ沿線の景色が映り込むようになっている。初代車両の雰囲気を受け継いだ1・2号車も、ゆったりとした座席配置で、山側の座席は一段高くするなど景色を楽しめるよう配慮されているのが嬉しい。
○好評の秘訣は「沿線の人々との触れ合い」
「伊予灘ものがたり」の魅力は、車内での食事にもある。例えば8時30分ごろに出発する「大洲編」ではモーニング、13時30分ごろに出発する「八幡浜編」ではランチ、そして夕方に松山へ向かう「道後編」ではアフタヌーンティーセットなど、1日上下合わせて4本が運行される列車のそれぞれで時間に合わせた食事が楽しめる(別途予約が必要)。料理にはもちろん、愛媛県産の真鯛や鰤、松山どりや愛媛甘とろ豚といった沿線の食材が季節に応じて使われており、景色だけでなく味でも地域を感じることができる。
だが、こうした食事は他の観光列車でも見られるコンテンツであり、特に新鮮味があるわけではない。伊予灘の絶景も確かに美しいが、観光客というものは新しい魅力を追い求める人が多く、リピーターになってもらうのはなかなか難しい。
では、「伊予灘ものがたり」がここまで人気となった理由は何か。それは、ここでしか体験できない“人とのふれあい”であると筆者は考える。この列車に乗っていると、沿線で実に多くの人々がこちらに向かって手を振っているのが見える。手だけではない。手製のうちわや大漁旗、時にはタテヨコの大きさが数メートルにも及ぶ幕を掲げた沿線住民が、列車を見送ってくれる。
なかでも有名なのが、五郎駅でのお出迎えだ。同駅は今でもタヌキが顔を見せる駅として知られており、「伊予灘ものがたり」の通過時には着ぐるみ姿の「たぬき駅長」をはじめ近くの住民が集合。うちわやボードを掲げ、乗客を迎える。運行開始当初から欠かさず行っているそうで、列車は人が歩くよりも遅いスピードでゆっくりと同駅を通過。窓のこちらと向こうでお互いの顔を覚えられるくらいの“濃い”出迎えで、他の列車では味わえない体験だ。
一方、出迎える側にとっても「伊予灘ものがたり」は大きな役割を果たしている。集まった人々は、列車の合間に各自が持ち込んだコーヒーやお菓子で“お茶会”を開催。いわば、住民の交流の場となっているのだ。さらには、出迎えを受けた人がここを訪れ、今度は手を振る側として参加することも少なくないという。「最初は列車に手を振るために集まっていたんですが、今はこうやってみんなでお茶をする時間も楽しいんです」と笑いながら同駅を訪れた筆者にも、住民の一人がコーヒーを出してくれた。こうした形で乗客と地域の人々が触れ合うことも、そうそうないだろう。これも「伊予灘ものがたり」の魅力の一つだ。
別の日には、線路沿いのガソリンスタンドに、同乗した友人の名前と「お誕生日おめでとう」の文字が書かれた看板を見つけた。この店も日常的に列車の見送りをしているが、それを見て店を訪れるようになった乗客から、時折こうした依頼を受けることがあるという。「遠方から来てくださった方に楽しんでほしいですし、鉄道ファンや観光客がお店に来てくださるのも嬉しいです。地域振興にもつながっていると思います」とお店の人は話してくれた。それだけ、地域の人々も「伊予灘ものがたり」を楽しみにしているということである。そして、この乗客と地域の人々との距離感こそが、この列車の大きな魅力なのだ。もちろん、車両や食事の素晴らしさ、そしてJR四国のスタッフが沿線住民と築いてきた信頼関係が、これらのバックボーンとなっていることも忘れてはならない。
○社内デザイナーが生んだ“四国ならではの列車”
日本全国には数多くの観光列車が走っており、そのほとんどがオリジナリティあふれる車両やサービスで人気を集めている。一方で、これだけ多くの観光列車が走っていれば、「次は別の観光列車に乗ってみたい」と思うのも自然だろう。そんななか、「伊予灘ものがたり」が多くのリピーターを獲得しているという事実は、この列車の素晴らしさを物語っている。
前述の通り、「伊予灘ものがたり」は2022年に車両を一新したが、列車のコンセプトや車内外のデザインは初代車両のそれをほぼ踏襲した。手掛けたのは、JR四国の社員である松岡哲也氏。著名デザイナーではなく社内スタッフに任せたことで、“四国ならではの列車”が生まれたとも言える。
JR四国は「伊予灘ものがたり」をきっかけとして、2017年に「四国まんなか千年ものがたり」を、2020年に「志国土佐 時代の夜明けのものがたり」の運行を開始。これらも好評を博している。新たな歴史を刻み始めた「伊予灘ものがたり」と共に、この“ものがたり列車3兄弟”が2023年の鉄道旅行を牽引してくれることだろう。