能登地震から半年。災害現場の課題を不動産鑑定士が解説
■はじめに
2024年1月1日の能登半島地震の影響で、いまだに現地では復興の作業が思うように進んでいないようです。
その一つに、住家被害認定調査が進んでいない点が挙げられます。
住家被害認定調査とは、地震などの自然災害により被害のあった住宅に、内閣府が定める 「災害の被害認定基準」等に基づき、全壊、半壊等の「被害の程度」を認定するための調査です。即ち、被害の程度に応じて発行される罹災証明書を発行するための被害認定の程度を判定するための調査です。
つまり、「ちょっと壊れた」程度で建て替えられるほどの支援は過剰ですし、かといって「どう考えても建て替えざるを得ない」ものまで雀の涙ほどの支援では不十分です。
ですので、罹災証明書の発行に際しては、「建物がどの程度壊れたか」という罹災の程度を判定する必要があります。
その判定が住家被害認定調査ですが、筆者の所属する不動産鑑定士協会からの情報によると、調査すべき建物たくさん残っているらしいです。
そして、実は建物の固定資産税も、例えば七尾市では既に今回の地震の罹災の程度に応じて減免されるそうで、いちいち納税者が手続をせずとも職権で減免するとのことです。
また、他の自治体も「検討中であるが、概ね同様の方向で検討中」とのことです。
七尾市の減免の模様(建物の固定資産税は全壊、大規模半壊、中規模半壊、半壊に応じて減免となる)
■能登の衰退した鉄道網
3連休明けの令和6年7月16日朝6時16分東京駅発の北陸新幹線「かがやき」号で筆者は8時43分に金沢駅に降り立ちました。
2015年の北陸新幹線の開業で、東京~金沢間は約2時間半と本当に便利になりました。
ところが、能登半島へはここからが長いです。
例えば、輪島への直行バスも一日4往復しかなく、しかも3時間10分前後かかります。
実は、昔は金沢駅から七尾市の和倉温泉駅・穴水町の穴水駅を経由して輪島市の輪島駅に達する国鉄七尾線が通じており、筆者の手元にある昭和57年11月時点の時刻表を見ると、急行「能登路」号が一日数本あって、2時間半程度で結んでいました。
ところが平成3年の和倉温泉駅まで電化(電車が走れるように架線を張る)して大阪や名古屋からの直通の特急電車が走れるようにするのと引き換えに和倉温泉駅以北がJR西日本から第三セクターの「のと鉄道」に切り離され、しかもその後、穴水駅以北が廃止され、その先はバスという状況です。
その結果、輪島までは実に不便になったのですが、今回はこれを逆手にとって輪島に直行はせずに、金沢から七尾線の特急「能登かがり火」号で七尾駅に行き七尾市役所や七尾市の状況を把握した後、のと鉄道・バスで輪島へ。更にその戻りの過程で穴水駅のある穴水町の役場に寄る行程にしました。
ただ、全国に行き慣れている筆者の場合はそれでよくとも、一般の方の場合は、とにかく能登へのアクセスの難しさの解消が課題とも感じました。
同時に、このような有事がある点を鑑みるに、赤字の鉄道を単に「赤字だから」と言って廃止してよいのかという社会への問題提起の必要性もあるようにも思いました。
■まず、七尾市へ
特急「能登かがり火」号で七尾駅に向かいますが、羽咋市あたりから屋根にブルーシートが目に付き始めました。
七尾駅に着いて、現地に降り立つと、駅前の舗装もあちこちに地震の被害が見られます。
罹災証明書の担当は七尾市の場合、税務課なのですが、訪れてみて思ったのは、地震から6ヵ月以上が経過しても、まだ罹災証明書を求める方が多いという点です。
また、「石川県」「小松市」等の他の自治体のタスキをした職員の方も多く見受けました。但し、石川県外の自治体のタスキは、筆者の視界に入った限りは見かけませんでした。
本来はその年の固定資産税・都市計画税の税額の通知は春~初夏にかけて納税者に送付されるのですが、聞けば、七尾市やこの後で訪れた輪島市、穴水町をはじめ能登の各自治体はとてもそのようなことはできず、秋頃に送付とのことです。
ただ、未だに罹災証明書を求める方が多い実態を見るに、無理もないとは感じました。
■穴水町を歩く
次に、のと鉄道線で穴水町に向かいます。
金沢から北上するにつれ、傷んだ建物が多くなっている気がします。
穴水駅に着いたところ、駅前からして倒壊した建物が見られました。
また、駅のすぐ近くに都道府県地価調査基準地「穴水5-1」という商業地の地点があったのですが、店舗兼住宅とあるのですけれど、店舗は営業しておらず、修繕中のようでした。
輪島に行った後、穴水町役場にも行ってみました。
市ではなく町だからか、それとも夕方だからか、こちらの税務課では罹災証明書を待つ方はおられなかったので、しばらく話を伺うことができました。
こちらでも、建物の固定資産税の減免の件はまだ細部を詰めている段階ではあるが、少なくとも令和6年以降に納期が来るものについては減免の予定であるとのことでした。
■そして、輪島市へ
穴水駅からバスで40分ほど揺られて、ようやく輪島市につきました。
まず、「市」なのに市役所以外で人をあまり見かけません。
なお、輪島市役所にも訪れましたが、七尾市役所以上に罹災証明書を待つ方が多い状況でした。
市役所以外でたまに見かけるのは、被災地の解体等に従事される方で、その他、「被災地を見学する十数人の方」がおられた程度でした。
輪島の大火事の現場も見に行きます。
大火事の状況については、写真をご覧いただいた方が早いでしょう。
ただ、街を歩いていて思ったのですが、筆者が目にした限り、堅固建物でも「危険で立入禁止」となった建物はあれど、倒壊した建物はこの記事のトップに掲げた写真の建物が目立つ程度でした。
ただ、古くからの木造の建物は大量に壊れていました。
と、いうことは、火災がなければ、地震の時点で鉄筋コンクリート造等の堅固建物にいれば「その後、その建物に立入禁止」になる余地はあっても、木造等の非堅固建物よりも「地震の瞬間に建物が跡形もなく崩れる」危険性は遥かに低いので、命を守れる可能性は高いとも感じました。
そして、これだけの崩壊した建物が放置されている状況のため、十分に罹災証明もできない等の背景も手伝って、復興の足かせになっているのでは…とも感じました。
崩壊した建物たちがあり、罹災証明書の発行も道半ばで、建物が自由に使えないがために通常の経済活動ができない現況を見るに、「能登が悲鳴を上げている」ような感覚を筆者は覚えたのも事実です。
そして、土地や建物を通常と同様に使える状況にすることが復興の大前提とも言えるでしょう。
また、土地を自由に使えない状態で縛ることは、国土の有効利用の阻害であり、減免があることで固定資産税の税収の低下も招いています。縛りを早期に解消し減免も不要な不動産に戻すことが、地域の活性化の礎ともいえると感じました。
■住家被害認定調査の仕組み
筆者が今回の取材で役所の担当者に聞いた話ですが、住家被害認定調査は、第一次、第二次…となっています。
七尾市や輪島市の場合は、第一次は外観調査、第二次は第一次の調査結果で不服な場合に、申請者立会の下で内覧をする調査で、それでも不満な場合はさらに…という形態とお聞きしています。
その調査は、誰かが罹災の程度を判定するわけですが、役所で聞くと、まずは近隣自治体からの応援を含む役所の担当者が多いとのこと。
ただ、例えば珠洲市等では、特に難しい判断が必要な場合等は不動産鑑定士が応援に入っているようです。
確かに、不動産鑑定士であれば不動産の価値を日頃から判定していますから、普段、そのような業務をしていない役所の担当者では対応できない案件を対応することで、円滑化がなされます。
ただ、一部の自治体では、たまたま担当者が知らなかっただけかもしれませんが、「役所の担当者がしている」以上の回答が得られない場合もありました。
一方で、「何故、半年も経過した今ごろ、罹災証明書の申請に来る方がおられるのか」と質問したところ、役所のご担当者は、「単に知らないケースもあれば、来たくても来られなかったケースもある」との回答でした。
このあたり、情報の周知が課題なのかもと思いました。
■筆者なりに考える提案
今回の能登紀行は、色々と考えるところはありました。
ざっと、以下の点が主な気づきでしょうか。
(1)能登は東京からも関西・中部から向かうのに時間がかかるハンディはある。ただ、筆者の周囲でも能登へ田植のボランティアをしに行ったり等の話は聞く。そのような方たちの話を伺うに、地方でしかできない体験に都会の人はある種の憧れを持っている部分はあると思われる。ボランティアだけだと限界はあるので、より長期に地域に潤いをもたらすべく、ある種の体験型の復興支援策を打ち出してはどうか。
(2)関西からは北陸新幹線開業で能登へは乗り換えが2度必要になったが、北陸新幹線開業以前のように大阪や名古屋から復興支援になるような直通特急を和倉温泉まで走らせられないか。JR西日本としては、能登の手前の金沢方面に行く人は北陸新幹線に乗せたいのはわかるので、敦賀~金沢は降車不可とすればよい。鉄道に疎い人は乗り換えに不安を感じるので、これを解消すればある程度は人の流入に繋がるのではないか。
(3)筆者も当初、能登での宿泊も考えたのだが直前に手配したため宿泊施設の確保が難しかった実態がある。能登に観光客を呼び込むのも復興に一助になる筈だが、宿泊施設を作りすぎて復興がひと段落した時点で空室だらけでも困る。大変難しい問題であるが、例えば金沢の宿泊施設からの直行バスを充実させる等、何かしらの善処は欲しいと感じた。
(4)遠方から訪問者の一つの楽しみは『土地の食の名物』である。能登にも食の名物は作れないか。復興途上で仕方がない面もあるが、輪島市で目につく食堂は典型的なラーメン屋を別にすれば輪島駅前(鉄道廃止後もバス停は輪島駅前を名乗っている)のチェーン系の個人的には好みの金沢カレーの店がある程度で、しかも時短営業であった。能登と言ったらコレというものがあれば嬉しいと思う。
(5)固定資産税の減免等については、明らかに解体や罹災証明関連の人員が足りていないし、スピード感の停滞を招いているためこれが復興の支障になっているのではと感じた。一方で、被災者側も「何をしてよいかよくわからない」部分もあると思われる。今回の経験を踏まえて、広く一般に「罹災証明書」というものがあって、支援や税の減免に繋がる旨を周知すべき。
(6)自治体によって、例えば七尾市では令和5年第三期から減免する一方で他では方向性を検討中等、罹災に伴う対応にややずれがあると感じた。このあたり、今回の反省を踏まえて、万が一、将来、どこかで同様の被害が生じても、もう少し統一的かつ公平に、そして円滑に進める余地はないのかなぁとも思う。
それと、輪島市を歩いていて思ったのは、とにかく古い木造建物の被害が目立つ点です。
逆にいえば、他の都市でも古い建物は地震で被災する危険性が高いとも言えます。
ですので、全国の都市につき、地震の際に命を守る意味でも、古い木造建物の建て替え促進の制度を構築すべきではないでしょう。
特に古い建物は固定資産税評価額が安くなり、連動して税額が安くなるのですが、震災に弱い建物が多いのも事実です。
このあたり、むしろ古くて被災リスクが大きい建物は税額を大きくする等、建て替えを促進する税制の構築をすべきではとも思いました。
■最後に~不動産鑑定士として
実は、筆者の所属する不動産鑑定士協会も能登の支援には積極的で、定期的に住家被害認定調査の支援の人員を募集しています。実際、筆者が所属する公示価格の分科会でご一緒している数人の不動産鑑定士の先生も住家被害認定調査の支援に行かれたとお聞きしています。
個人的には、まずは不動産鑑定士協会や不動産鑑定士たちの取り組みを知っていただければ嬉しく思います。
そして、先ごろ、政府の「骨太の方針2024」の50頁にて「持続可能な土地及び水資源の利用・管理」として「公的土地評価を支える不動産鑑定業の担い手確保に取り組む」との指針が示されました。
ありがたいことに、政府としても、不動産鑑定士の意義を認めて、質の高い不動産鑑定士を求めているということが言えるのでしょう。
個人的には、不動産の公正価値の判定を通じて合理的な土地の利用促進を図る不動産鑑定士本来の使命の他、今までにはない住家被害認定調査等の、「直接的には不動産の価値とは関連しない不動産全般の支援」を通じた合理的な土地の利用促進を図る社会的使命についても、一定の期待が課されていると解釈しています。
幅広い方にこのような不動産鑑定士たちの取り組みと、その意義を知っていただきたい意味も込めて、今回は能登に赴いた旨もご理解いただければ嬉しく思います。
現場からは以上です。
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