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集客のコンテンツとなりつつあるNPBファーム〜ミスタープロ野球のふるさとから

阿佐智ベースボールジャーナリスト
22日にイースタンリーグ公式戦が行われた佐倉市長嶋茂雄記念岩名球場

 いよいよセ・パ両リーグの優勝チームも決まろうかというプロ野球・NPB。一部で叫ばれている「野球衰退論」などどこ吹く風、各スタジアムは「大入り」を続けている。今やプロ野球は空前の「生観戦ブーム」だ。その波は、ファームにまで押し寄せ、多くの熱心なファンが二軍の試合会場に足を運ぶようになっている。その流れを受け、チームの地域密着度を高めるため、二軍戦を戦略的に一軍のフランチャイズ都道府県内で開催する球団も多い。

 千葉ロッテマリーンズは、地域密着にもっとも成功した球団のひとつだろう。1991年までは「ロッテ・オリオンズ」を名乗り、神奈川県を保護地域に、川崎球場を本拠地球場としていたが、この球場は1977年まで大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)が使用していた、いわば「お古」で、その老朽化した設備は選手からもファンからも不評だった。「昭和パ・リーグ」を象徴するような閑古鳥が鳴き、殺伐した川崎球場のイメージは、そのままロッテ・オリオンズのイメージとなってしまい、ロッテ球団はそんな負のイメージを払拭すべく、1991年シーズンを最後に川崎から撤退することを決定する。移転先となったのは、1990年に完成した千葉マリンスタジアム。ロッテは、球団名も千葉ロッテマリーンズと改め、千葉の球団として新たなスタートを切った。

二軍も「ジプシー」だったロッテ

 ロッテ球団には、本拠地を失った苦い経験がある。前身球団のオーナーが建てた東京球場を使用していたものの、その球場が経営難から閉鎖。1973年から1977年の5シーズンは宮城県を暫定的な保護地域とし、仙台宮城球場(現楽天モバイルパーク宮城)を仮の本拠として、シーズンの半分ほどの主催ゲームを開催し、残りのホームゲームは首都圏の他球団のホーム球場を間借りしていた。この状況をメディアは「ジプシー・ロッテ」と揶揄したが、この頃のロッテは観客動員においてはパ・リーグトップクラスだった。

 一軍のこのような状況は、二軍にも反映されていたようで、1980年代初めまで、ロッテの二軍は首都圏の球場を転々としていた。1982年にようやく東京都青梅市の球場に落ち着いたが、いかんせん交通の便が悪かった。この年代の後半になると、NPB各球団は二軍の本拠地球場の整備に乗り出すようになり、ロッテ球団も1989年に、埼玉県にある親会社の工場の敷地内に合宿所と新球場、「ロッテ浦和球場」を建設。以来、ロッテ二軍はここを本拠としている。

首都圏の球団に起こった「ねじれ現象」

 しかし、ロッテ二軍の本拠地のあるさいたま市は、西武のフランチャイズ。前述のようにロッテは、1992年に一軍本拠を千葉に移転したのだが、この千葉県内の鎌ヶ谷市に1997年、日本ハムファイターズの二軍が本拠を構えるようになった。そして日本ハム一軍は2004年に東京から北海道にフランチャイズを移し、「北海道日本ハムファイターズ」となる。そして、西武の保護地域にロッテの二軍が、ロッテの保護地域に日本ハムの二軍が本拠を置くという「ねじれ現象」は、そのまま温存されることになった。

一軍保護地域内での積極的な二軍戦開催の流れ

 2004年に起こった「球界再編騒動」は、日本のプロ野球の地域密着化を加速化させた。これ以降、とくにパ・リーグ球団は、自らのフランチャイズ域内でのファン獲得に本腰を入れるようになるのだが、そのコンテンツとして利用されたのが二軍だった。昭和の昔は、「コスト」としかみなされず、スタンドもないような単なる「グラウンド」で公式戦を行っていた二軍戦を、客を呼ぶとまではいかなくとも、球団のアピールのため、保護地域内の各自治体の球場で開催するようになった。

 ロッテはそのような球団のひとつで、今シーズンはイースタンリーグ戦のうち5試合を千葉県内の袖ヶ浦市、成田市、柏市、浦安市、そして佐倉市で開催している。今ではこれら「地方開催」の二軍戦は多くの観客を集めている。

「ミスタープロ野球」生誕の地、佐倉

佐倉市長嶋茂雄記念岩名球場
佐倉市長嶋茂雄記念岩名球場

 佐倉市は、東京の空の玄関口、成田空港近くにある人口16万人の旧城下町だ。首都圏以外の人にはあまり知られてはいないだろうこの町だが、日本野球史に永遠にその名を残す「ミスタープロ野球」・長嶋茂雄氏を生んだ土地だ。この町の市街地の北に位置する岩名運動公園にある野球場には、2013年、長嶋氏に佐倉市民栄誉賞が贈られたことをきっかけに、氏の名が冠せられることになった。プエルトリコ、ドミニカ共和国、キューバ、パナマ、ニカラグアなど、ラテンアメリカカリブ地域では、町ゆかりの野球人の名をスタジアムに冠することが習慣のようになっているが、日本ではこのような例は少なく、この球場の名前そのものが、長嶋氏の功績の大きさを物語っていると言える。

運動公園入口にある案内板。球場内には展示室もあるのだが、二軍公式戦のような「ビッグイベント」時には閉鎖。こういう時こそ、訪れるファンに公開すべきだと思うのだが。
運動公園入口にある案内板。球場内には展示室もあるのだが、二軍公式戦のような「ビッグイベント」時には閉鎖。こういう時こそ、訪れるファンに公開すべきだと思うのだが。

「地域密着」の効果

試合当日は京成佐倉駅から無料のシャトルバスが出ていた。
試合当日は京成佐倉駅から無料のシャトルバスが出ていた。

 連休最終日の9月23日に行われたこの日のイースタンリーグ。ロッテの相手は、当然のごとく長嶋氏が今も終身名誉監督として籍を置く巨人だった。この名門球団だけは二軍でも別格で、イースタンリーグにおいても、独立リーグとの交流戦においても圧倒の観客動員力を誇る。

 残暑の厳しいこの日だったが、収容7000人の球場は、内野スタンド席からその先に伸びる芝生席を含めほぼ満員となった。さぞかしビジターチームの巨人ファンが多数派かと思ったが、実際にはロッテのユニフォームを着たファンの方が多く、長年続けてきた地域密着活動が実っていることを実感させた。

「大入り」となったイースタンリーグ公式戦
「大入り」となったイースタンリーグ公式戦

 球場内外はチケットを見せれば出入り自由となっており、場外には様々なキッチンカーが並び、さながら秋祭りの様相を呈していた。

スタンド横の広場には様々な出店が並んでいた。
スタンド横の広場には様々な出店が並んでいた。

 観客は家族連れが目立つ。佐倉市から千葉市、東京までの距離を考えると、なかなか子供をつれてナイター観戦とはいかないだろう。ファームとは言え、プロ野球が我が町にやってくるというのは、子供を連れての観戦にはもってこいと言える。しかし、子供にとって、野球の試合をはじめからおわりまでじっとみるのは至難の業だ。子供連れの多くは、観戦に飽きたら、スタンドを出、球場内のざわめきを聞きながら、キャッチボールに興じていた。アメリカのマイナーリーグの球場には敷地内に子供が遊ぶスペースがあることが多いが、ここでは球場周辺の空き地がその役割を果たしているのだろう。

「球音」を聞きながらキャッチボールに興じる子供たち
「球音」を聞きながらキャッチボールに興じる子供たち

 1点を争う緊迫した試合は、3対2でロッテが逃げ切ったが、それこそ勝負は二の次。どちらのファンも秋晴れの中の「プロ野球」を堪能していた。

 NPBファームリーグに今シーズンから2チームが加入する中、NPB人気ナンバーワンの阪神が老朽化した二軍本拠地から来シーズン、新球場へ移転することが決まっている。また、ロッテの「お膝元」、千葉にホーム球場を構えていた日本ハム二軍が将来的な北海道移転の方向性を示している。ヤクルト二軍も河川敷のグラウンドからの移転計画を発表している。

 今、NPBは一軍だけでなく、二軍も集客のコンテンツとしての存在感を示し始めている。

(写真は筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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