ウクライナ義勇軍に参加した場合、私戦予備・陰謀罪となるのか
ロシアの突然の侵攻により戦闘が続いているウクライナですが、27日にウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシア軍侵攻からの防衛戦に参加し、世界の安全を守りたいという意思のある外国籍者で構成される領土防衛部隊内の「多国籍軍団」を編成すると発表しました。
今や世界中がウクライナの側にたってロシアに批難を加え、多くの国が経済制裁を行っている状況ですから、これに応募する人たちが相当数いるのではないかと思われます。
これをうけて在日ウクライナ大使館でも下記のようなツイートがなされました。
これを見た人の中では、この募集に応じた場合、刑法上の私戦予備・陰謀罪にあたるのではないだろうかという疑問が呈されていました。
私戦予備・陰謀罪とは
刑法93条は国交に関する罪の一類型として、私戦予備及び陰謀罪を規定しています。
(私戦予備及び陰謀)
第九十三条 外国に対して私的に戦闘行為をする目的で、その予備又は陰謀をした者は、三月以上五年以下の禁錮に処する。ただし、自首した者は、その刑を免除する。
ここでいう私戦の対象となる「外国」とは、国家権力の担い手としての外国を意味し、当然ながら現在の交戦国であるロシアやウクライナは対象となります。これが実際に国家といえるかどうかが曖昧なテロ組織となると少し複雑となります。
また、「私的な戦闘行為」とは、国家意思によらない武力行使(組織的な武力による攻撃・防御)を行うことを言います。日本政府の意思によらず個人が勝手に戦闘行為に参加することは日本の国際的な立場を危うくし、国際社会の平和を害するため、これを処罰するという規定なのです。
そして、「予備」とは「私的な戦闘行為を実行する目的で、その準備をすること」をいい、「陰謀」とは「2人以上の者が私的戦闘行為の実行を具体的に計画し合意に達すること」をいいます。
この予備・陰謀については、「いずれも、自ら私的戦闘行為を実行する意思である」必要があります。
この犯罪が少し変わっているのは、既遂犯や未遂犯は規定されておらず、予備行為だけが犯罪として規定されていることです。
犯罪には、実際に犯罪を実行し結果が生じた既遂犯、実行に着手したものの結果が生じなかった未遂犯、そして実行には至っていないもののその準備段階である予備というように整理されています。実際に結果が生じなかった場合は犯罪としての違法性が低いため、殺人や放火のような重大犯罪については未遂なども処罰対象となっていますが、そうでない犯罪(器物損壊や業務妨害など)については、未遂や予備は処罰対象となっていません。
私戦行為については予備・陰謀のみが規定されており実際の戦闘行為が犯罪となっていないのは、実際に個人が外国と戦闘行為に入ることは想定し難いからであるといわれています。実際に戦闘行為に加担した場合は、殺人罪等で裁かれることになります。
実際に処罰されるのだろうか
それでは、実際にウクライナの国際義勇軍に応募した場合、私戦予備・陰謀罪として処罰されるのでしょうか。
条文を読むとその可能性がないとは言い切れません。実際にウクライナにおいてロシアに対する戦闘行為に参加するための準備をしているといえなくもないためです。
その一方で、「国家意思によらない」というのは、日本の国家意思である必要はなく、ウクライナの国家意思に基づくものであれば「私的な戦闘行為」とはいえず、処罰の対象ではないという理屈も考えられそうです。
そもそも、この私戦予備・陰謀罪については、2019年に一度だけ、イスラム国の戦闘に加わろうとした北海道大学の学生らがシリアに「渡航を企てた」ということで書類送検されたケースがあるのみで、そのときですら不起訴で終わっているため判例などもありません。いわば、条文はあっても実例がほとんどないという幻の犯罪なのです。
この犯罪の原型は、明治13年制定旧刑法の「外患ニ関スル罪」として、交戦権が認められた国家以外による外国との私的戦闘を禁止したことにさかのぼります。
首都大学東京の星周一郎教授(刑事法学)によれば、江戸時代末期に薩摩藩や長州藩が外国に戦争を仕掛けたようなケースを前提にしていたというものだというので(「日本人戦闘員」どう防ぐ 私戦予備・陰謀罪適用に賛否 規制、法整備が急務)、その意味では、特定の個人や集団が国家に戦闘を挑むことは現代においては考えづらく、およそ登場する場面のない犯罪といえるでしょう。
その意味で、ウクライナ大使館の募集に応じた場合に摘発等されるかどうかは不明ですが、シリアへの渡航準備で書類送検されていることを考えれば、摘発される可能性は捨てきれず、おすすめできる行為とは決していえません。
なお、私戦予備・陰謀罪は、私戦を未然に防ぐ趣旨から自首した場合には罪が免除されることとなっています。
自分たちにできることは何なのか
自らの危険を顧みることなく、ウクライナの一般市民たちが自らの国を守るため義勇兵として銃をとり、ロシア軍に立ち向かう姿には胸を打たれます。
筆者も予備自衛官として階級を頂いている以上、もし仮に日本が他国の侵略にさらされた場合は応召の義務があります。とはいえ、本当に危険にさらされている状況で家族をおいて戦場に向かうことができるのか。テレビやインターネットを見ながら、深く考えさせられます。ウクライナで今起きていることは明日日本で起きることかもしれないのです。
戦争反対の声を上げることは無意味であり、ウクライナを支持するのであればウクライナの義勇兵に参加するべきだというようなことをいっている人もいましたが、そもそも刑法に触れるおそれのある行為でありますし、仮にそうでなくても他人に指示されて行うようなものではありません。
戦争反対の声を上げることには大きな意味があります。ひとりひとりの声が集まることで大きな力となります。我々に今できることが何なのかよく考え、一国も早く戦闘が集結し平和が戻ってくるよう、それぞれの立場でできることに取り組みたいと思います。
(追記)
参考文献
山口厚『刑法各論』[第2版](2010年・有斐閣)
松原芳博『刑法各論』[第2版](2021年・日本評論社)