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高畑勲監督、黒柳徹子が愛する絵本画家「いわさきちひろ」の魅力

海南友子ドキュメンタリー映画監督
ちひろの絵の中でも人気の高い作品『赤い毛糸帽の女の子』

『窓ぎわのトットちゃん』をはじめ、数多くの子どもの姿を描いた絵本画家いわさきちひろ。生誕100年の今年、全国で記念の展覧会が開かれ人気を集めている。死後40年以上が経過しても、愛され続けるちひろ。その魅力を、故・高畑勲監督や黒柳徹子さんのインタビューとともに紹介する。まずは動画をご覧ください。

■故・高畑監督も愛した絵本画家

 今年4月に急逝したアニメーション映画監督の高畑勲さん(享年82)。高畑監督は生前、一人の絵本画家をこよなく愛していた。彼女の作品と出会った時の衝撃を50年たっても忘れずに、古くなった一冊の絵本を、大切に保管していたという。

 その絵本画家は、いわさきちひろ。愛らしい子どもの絵で知られるちひろは、赤ちゃんを月齢ごとに描きわけることができたと言われており、子どもの絵を描いたら右に出る者はいないと称される。

 黒柳徹子さんの自伝的小説で大ベストセラーの『窓ぎわのトットちゃん』の挿絵といえば、目にした人も多いだろう。肝臓がんを患い1974年に55歳で早世しているが、死後40年以上経っても熱烈なファンがいることで知られている。 

黒柳徹子さんの自伝的小説『窓ぎわのトットちゃん』1981年(講談社)
黒柳徹子さんの自伝的小説『窓ぎわのトットちゃん』1981年(講談社)

■生誕100年の特別展覧会

 今、ちひろの特別展覧会『生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。』が東京で行われ、反響を呼んでいる。2019年にかけて京都や福岡などを巡回予定だ。ちひろの子ども時代から、初期の作品、そして晩年までのおよそ200点の展示品を通じて、ちひろの技術や作品の背景を振り返る。

 展覧会の一角に、高畑勲監督が生前に選んだちひろの2枚の絵が、天井に届きそうな大きなサイズで飾られている。もともとこの展覧会は高畑勲監督が全体の監修を行う予定だった。長年ちひろの絵のファンであった高畑監督は、2つのちひろ美術館(ちひろ美術館・東京と、安曇野ちひろ美術館)の運営母体である公益財団いわさきちひろ記念事業団の評議員として活動しており、この展覧会の企画を率いていたのだが、急逝したため、それを継ぐ形で高畑監督セレクションのコーナー展示がなされている。

特別展覧会『生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。』
特別展覧会『生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。』

■ちひろの絵と出会った衝撃

 そもそも、高畑勲監督がいわさきちひろの絵と出会ったのはおよそ50年前。高畑監督は生前、ちひろの絵と出会った時の衝撃を鮮明に覚えていると語った。

 「あるときに保育園に行っていた自分の娘が持って帰ってきた絵本を見てびっくりしたんです。ちひろさんの『あめのひのおるすばん』という本。輪郭線を捨ててるんですね。全然線がないんです。子どもの不安な気持ちと想像力をかきたてるようなものを見事に捉えて、これを見た時にびっくりしたんです。“こういう絵本が成立するのか”と。」

 『あめのひのおるすばん』(1968/至光社)は、ちひろ晩年の傑作シリーズの一冊で、“にじみ”という水墨画の技法を発展させて描かれている。紙の上に水を流したり、ドライヤーで乾かしたりしながら、子どもの繊細な感情を豊かに表現した作品。“物語と挿絵”という絵本の常識を根底から覆した“感じる絵本”として国際的に高く評価され、各国語に訳されている。今回高畑監督が選んだ絵にも、にじみの技法を使った作品が入っている。

長年保存していたちひろの絵本を手にする高畑監督
長年保存していたちひろの絵本を手にする高畑監督

■黒柳さんが語る「ちひろ」

 長年のファンであり、現在、2つのちひろ美術館(東京・安曇野)の館長も務めている黒柳徹子さんは、ちひろの魅力をこう語る。

 「ちひろさんのようにうまく子どもを描くひとはそういない。神様からすごい力を与えられて子どもの絵を描きなさいと言われて、必死で55年の間に描いたんだって思います」

 ちひろが生涯に残した子どもの絵はおよそ1万点。東京都と長野県にある2つのちひろ美術館で展示されている。東京の美術館は世界で最初の絵本美術館として、ちひろの死から3年後の1977年、自宅の一角に開館された。97年には、ゆかりの地である長野県にも安曇野ちひろ美術館が開館。50000平方メートルの安曇野ちひろ公園には、黒柳館長の『窓ぎわのトットちゃん』の世界を再現したトットちゃん広場もある。

 ちひろの絵に想いを寄せる著名人は多い。いわさきちひろ記念事業団の理事長を務めている山田洋次監督をはじめ、安野光雅、葉祥明、さくらももこ、俵万智、田島征三、イルカ、くらもちふさこ、長新太、さだまさしなど、さまざまな人に愛されている。

■戦火に生きる子どもの姿も

 たくさんの絵の中で、高畑勲監督が最も好きだと語っていたのは、ちひろの生前最後の出版となった『戦火のなかのこどもたち』だ。ベトナム戦争下で、戦火に生きる子どもの姿を、オリジナルの絵と、ちひろ自身が紡いだ詩のようなメッセージで構成されている。ベトナム戦争の終結後も長く読み継がれ、社会的なテーマを扱った絵本として驚異的なロングセラーを続けている。

 高畑監督は『火垂るの墓』を制作するときに、この絵本を若いスタッフに見せて想像力を高めたという。子どもの心をどのように描くかに全身全霊を傾け、誰も取り組んだことのない表現方法を模索したちひろ。その姿勢に高畑監督は、同じ表現者として「尊敬している」との言葉を残している。

ちひろ生前最後の絵本『戦火のなかのこどもたち』1973年(岩崎書店)
ちひろ生前最後の絵本『戦火のなかのこどもたち』1973年(岩崎書店)

 豊かな表現力で、高畑監督や黒柳徹子さんはじめ多くの人々を惹きつける、いわさきちひろ。いま、ちひろが生きていたら、この時代、何を思い、何を描くのか?

 子どもを取り巻く環境は様々な問題を抱えている。“子どもの幸せ”を描き続けた稀有な絵本画家いわさきちひろの背中が、私たちに強く語りかけてくる。「いま、子どもたちは幸せですか?」と。

■いわさきちひろプロフィール

1918年福井県生まれ、東京で育つ。14歳で洋画家の岡田三郎助に師事。45年疎開先の長野で終戦。戦後は中谷泰、丸木俊に師事。50年松本善明と再婚。同年、紙芝居『お母さんの話』が文部大臣賞受賞。51年長男を出産。56年小学館絵画賞、73年『ことりのくるひ』(至光社)でボローニャ国際児童図書展グラフィック賞受賞。74年肝臓ガンで死去。享年55歳。代表作『おふろでちゃぷちゃぷ』(童心社)『戦火のなかの子どもたち』(岩崎書店)ほか。

■ 特別展覧会『生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。』

2018年7月14日から9月9日まで

会場:東京ステーションギャラリー

公式サイト:http://www.nikkei-events.jp/art/chihiro/

■ちひろ美術館

ちひろの自宅跡地に建つちひろ美術館・東京(1977年開館)と、安曇野ちひろ美術館(1997年開館)の2つがある。ちひろの絵以外にも、世界各地の絵本の原画のコレクションと蔵書があり、国内外の作家の企画展を季節ごとに行っている。

公式サイト:https://chihiro.jp/

■ドキュメンタリー映画『いわさきちひろ 〜27歳の旅立ち〜』

2012年公開。いわさきちひろの知られざる人生を、生前のちひろを知る人々ら50名の貴重な証言で綴った作品。監督は筆者。

公式サイト:http://chihiro-eiga.jp/

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の動画企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

ドキュメンタリー映画監督

71年東京生まれ。19歳で是枝裕和のドキュメンタリーに出演し映像の世界へ。NHKを経て独立。07年『川べりのふたり』がサンダンス映画祭で受賞。世界を3周しながら気候変動に揺れる島々を描いた『ビューティフルアイランズ』(EP:是枝裕和)が釜山国際映画祭アジア映画基金賞受賞、日米公開。12年『いわさきちひろ〜27歳の旅立ち』(EP:山田洋次)。3.11後の出産をめぐるセルフドキュメンタリー『抱く{HUG}』(15) 。2022年フルブライト財団のジャーナリスト助成で米国コロンビア大学に専門研究員留学。10代でアジアを放浪。ライフワークは環境問題。趣味はダイビングと歌舞伎。一児の母。京都在住。

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