吉田正尚がリーチをかける「3年連続の首位打者」は、7年連続のイチロー以外に誰が達成し、誰が逃したのか
吉田正尚(オリックス・バファローズ)は、過去2シーズンとも首位打者を獲得している。今シーズンも首位打者を獲得すれば、史上3番目に長いストリークとなる。1959~61年の長嶋茂雄、1968~70年の王貞治、1981~83年の落合博満、1994~96年のアロンゾ・パウエルに並ぶ。
この4人よりも長く、首位打者を獲得し続けた選手は、1994~2000年に7シーズン連続のイチローと、1967~70年に4シーズン連続の張本勲しかいない。イチローの場合、2001年のメジャーリーグを含めると、8シーズン連続だ。シアトル・マリナーズで打率.350を記録し、ア・リーグの首位打者を獲得した。
一方、ストリークが2シーズンで途切れた選手は13人を数え、3年連続の王と落合は、こちらにも名を連ねる。続けて首位打者を獲得したスパンが、2度あったということだ。
13人のうち、1942~43年に首位打者の呉昌征以外は、その翌シーズンも規定打席をクリアしている。ちなみに、1944年の呉は、前年まで在籍していた東京巨人から阪神へ移り、規定打席未満ながら19盗塁を記録し、呉新亨と盗塁王のタイトルを分け合った。
また、ストリークの途切れたシーズンが1966年以降の7人中6人は、そのシーズンに打率.320以上を記録した。なかでも、2004年の小笠原道大は、打率.345だ。けれども、この年のパ・リーグには、三冠王の松中信彦がいた。その打率は.358だった。
打率の順位ではなく、数値が首位打者と最も近かったのは、1987年の落合だ。1985~86年にロッテ・オリオンズで三冠王となった落合は、中日ドラゴンズへ移り、打率.331を記録した。それに対し、首位打者を獲得した2人、正田耕三と篠塚利夫の打率は.333。彼らと落合の差は、ほとんどなかった。
なお、2年続けて首位打者を獲得し、その直後の「3年目」にリーグ3位の打率を記録した選手は、1987年の落合の他にも3人いるが、首位打者との差はそれほど小さくなかった。1958年の与那嶺要は打率.293、首位打者の田宮謙次郎は打率.320なので、差は2分7厘だ。1989年の正田と1999年の鈴木尚典は、さらに引き離された。それぞれのシーズンの首位打者は、打率.378のウォーレン・クロマティと打率.369のロバート・ローズが獲得した。この2人の打率は、歴代6位(当時4位)と13位(当時11位)に位置する。
岡本和真(読売ジャイアンツ)がリーチをかける「3年連続の二冠王」については、こちらで書いた。