御園座花組『ドン・ジュアン』 恋に溺れ愛に死す役を新トップスター・永久輝せあが熱演
力強く響き渡るフラメンコの足音に圧倒される。まるでセビリアの熱風の中、土埃が舞ってきそうな舞台に、観ている側も血がたぎる。ミュージカル『ドン・ジュアン』はそんな舞台だった。
2004年にカナダで初演後、パリをはじめ各地で上演された作品だ。日本では2016年に宝塚歌劇が初演し、大きな話題を呼んだ(ドン・ジュアン役は望海風斗)。その後、2019年、2021年には梅田芸術劇場でも上演されている(ドン・ジュアン役は藤ヶ谷太輔)。
日本上演で潤色・演出を手がけているのは生田大和だ。今回の花組版では、初演にあったいくつかの場面を削除、改変し、スッキリとわかりやすくなった印象。華やかさを増しつつドン・ジュアンとマリアの愛にフォーカスして丁寧に描いていて、花組新トップコンビ、永久輝せあ・星空美咲のプレお披露目公演に相応しい舞台となっていた。
物語の主人公は刹那的な快楽だけを追い求める男、ドン・ジュアン。家柄も良く容貌にも恵まれ剣の腕も立ち、女たちは彼を放っておくことはない。今宵もいつも通り、騎士団長の娘との一夜を楽しむが、それを知った騎士団長はドン・ジュアンに決闘を挑む。ドン・ジュアンに殺害された騎士団長は亡霊となって度々彼の前に現れるようになり「お前は愛のために死ぬ」という不気味な言葉を残していく。やがて、亡霊に導かれるようにして、ドン・ジュアンは彫刻家のマリアと出会い、真実の愛を知ることになる…。
主演の永久輝せあは、恋に溺れ愛に死すドン・ジュアンを熱演。とりわけマリアに出会ってから頑なだった心がみるみる解けて表情も柔らかくなってゆく様が何とも魅力的で、それだけに最期が切ないドン・ジュアンであった。
星空美咲演じるマリアは凛とした強さと芸術家としての誇り、スペインの女性らしい情熱もたぎらせ、ドン・ジュアンにとっての特別な女性たる存在感がある。
今回のバージョンでは綺城ひか理演じる騎士団長の亡霊がドン・ジュアンを真実の愛に導くという役割が明確になっている。実は彼こそが物語を操っている感覚が初演より強まっており、演じる綺城もこの役回りを楽しんでいる余裕さえ感じさせる。
美羽愛のエルヴィラのピュアで真っ直ぐな心は、他の女性たちと一線を画していた。神様と共に生きてきた女性が悪魔のようなドン・ジュアンに心を奪われ、それでもなお、その顛末を自分で引き受けていく強さもあった。
マリアを愛するラファエル(天城れいん)は男のエゴの中にもなお元来の人の良さをにじませ、それが彼女とのすれ違いの必然を余計に強く感じさせた。
希波らいと演じるドン・カルロはドン・ジュアンをひたすら見守り続ける場面も多くて辛抱役だが、華やかな立ち姿に目を惹き付けられる。誠実で自制心が強く、ドン・ジュアンとの表裏一体感のあるドン・カルロだった。
初演から引き続き出演の二人が作品に深みを与えている。ドン・ジュアンの父ドン・ルイ(英真なおき)が息子への複雑な思いの中にもなお父の情愛を垣間見せ、ドン・ジュアンを愛する女イザベル(美穂圭子)は酸いも甘いも噛み分けた女の業の深さを感じさせた。
紫門ゆりや演じるアンダルシアの美女が大胆にドン・ジュアンを誘惑する。その紫門がスペイン兵を率いて戦いに赴くフェルナンドを演じている姿を見ると、とても同じ演者とは思えずこちらが眩惑しそうだ。
2016年の雪組初演から変わった点として目につくのは、まずドン・ジュアンの母親が登場しなくなり、母と息子のエピソードの暗示がカットされた。これによって何故ドン・ジュアンが放蕩を重ねるようになったのかという心の闇の部分は見えづらくなったが、その分シンプルでわかりやすい愛の物語になったともいえそうだ。ドン・ジュアンとマリアの愛の場面も寝室からマリアの仕事場に変更され、精神的な絆の深まりが強調されるようになった。また、1幕ラストは全キャストが登場しての総踊りとなり、大いに盛り上がって幕となる形に変更された。
結末にドン・ジュアンが何故自ら死を選んだのか? これについては様々な解釈があるだろう。ラファエルを殺しマリアを苦しめ続けるのではなく、自分が死ぬことでマリアの心の中で生き続けることを選んだのだろうとも思えるが、それだけではない、もっと深い考えもあるかもしれない。
最期のドン・ジュアンの表情からは苦しみの中にも救われた感覚伝わってくるようだ。それが何を意味するのか、あれこれ考えてみるのもこの作品を味わう楽しみのひとつだろう。