恋仲上司のパワハラに「自分の苦しみに気づいてなかった」。バス停殺人がモチーフの映画での大西礼芳の体感
幡ヶ谷のバス停で寝泊まりするホームレスの女性が殺された事件をモチーフにした映画『夜明けまでバス停で』が公開された。監督は『TATTOO<刺青>あり』や『光の雨』など社会派作品で知られる高橋伴明。主人公が働いていた居酒屋の店長で、恋人でもある上司のパワハラ、セクハラに悩む役で大西礼芳が出演している。アネゴ肌なイメージが強いが、コロナ禍の重い空気が漂う今作では、等身大の女性の葛藤をリアルに演じた。
デビュー作で高橋伴明監督に主役をいただいて
――高橋伴明監督は大西さんが主演したデビュー作の監督だったんですよね。大学のプロジェクトだったそうですが。
大西 当時、私が通っていた京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)の映画学科の学科長が、伴明さんだったんです。
――自分を見つけてくれた人、みたいな感覚ですか?
大西 そうですね。私が1年生のとき、伴明さんの映画で大きな役をやらせてもらったことが、今も女優を続けている一番大きな理由です。
――大西さんは小さい頃から映画をたくさん観てきたそうですが、その13年前の段階で、高橋監督の作品も観ていたんですか?
大西 大学に入学する半年くらい前に、祖父が『禅ZEN』という映画を観に行こうと言い出したんですね。当時、祖父は寺のことを仕切っていたので、通じるものがあると思ったみたいで。その映画の監督が伴明さんでした。その後、造形芸術大学の映画学科のことを調べていたら、「この人いらっしゃるんや」と。偶然そういうことがありました。
今でも撮影現場でモニターは観ません
――最初の作品が高橋監督で、その後の演技の指針になったことも?
大西 細かいことで言うと、モニターを観ません。伴明さん自身も観ないんです。
――監督がモニターを観ずに撮っているんですか?
大西 はい。何がカメラに映っているかは観ないで、私たちの芝居をカメラの横でじっと見ていらっしゃいました。でも、私は自分がどう映っているか、確認したくて。そしたら「観るな!」と怒られたことがあったんです。だから、私はいまだにモニターは観ません。「観ないの?」と、よく言われますけど。
――その監督の意図を、どう理解したんですか?
大西 役者がモニターをチェックする理由は、角度や画角の確認ですよね。どこまで映っているか把握して、自分のイメージとの差を埋めるために微調整すると思うんですけど、たぶん伴明さんが大事にしているのは心というか。調整する意識は不要だし、そこで起きていることが映っているなら、それ以上もそれ以下もない。きっとそういうことなんでしょうね。
小さい頃から芸術的な作品を観たり悪役に惹かれたり
――大西さんが小さい頃から映画を観ていたのは、ご両親の影響だそうですが、早くから大人向けの作品にも触れていたんですか?
大西 両親もすごく映画に詳しかったわけではなくて、レンタルビデオ屋さんに行って、いろいろ借りてきました。3人で一緒に観たのは『ハムナプトラ』とかそういう感じ。母親はちょっと芸術的な作品が好きで、フランス映画を観たり、「モニカ・ベルッチ、きれいやな」と言ってました。私も影響されて、そういう映画も観ていました。
――好きな俳優に、アラン・リックマンやレスリー・チャンを挙げていたことがありました。それも子どもの頃から?
大西 そうですね。アラン・リックマンは小学生の頃、『ハリー・ポッター』のスネイプで知りました。「悪役なのに何で魅力的なんだろう?」と、すごく惹かれて。それで、『ダイ・ハード』がテレビで流れたときに観たら、同じ悪役でもまったくの別人ぶりで、「こんなことある?」とビックリしたんです。
――小学生の頃から、悪役に惹かれる感性はあったんですね。
大西 レスリー・チャンはテスト勉強をしていたとき、BSで『さらば、わが愛』が流れていたのをたまたま観て、勉強がまったく手に付かなくなりました。美しすぎて、「こんな男の人がいるんだ!」と。それから『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』とか、いろいろ観ました。
人を呼べるくらい有名な役者になりたいと
――自分が女優になりたいとも、早くから思っていたんですか?
大西 いえ、大学に入るときも、志をしっかり持ってはいなかったです。映画学科の俳優コースも、何となく入りやすいかなと(笑)。映画作りには興味があったので、その一部を担えれば幸せかと思っていました。そしたら、1年生のとき、伴明さんの映画に未経験で出演させてもらって。
――経験することによって、意欲が目覚めたと。
大西 撮影した時点では、まだそこまで気持ちが固まっていませんでしたけど、配給・宣伝もして、人に観てもらうところまで、ひと通り経験させてもらって。お客さんを呼ぶって、難しいじゃないですか。だからこそ「人を呼べるくらい有名な役者になりたい」と思ったのが、今も続けている理由かもしれません。
――映画は今でもよく観るんですか?
大西 好きですね。最近では『サバカン』が面白かったです。日本映画を久しぶりに映画館で観て、感動しました。王道でしたけど、それって一番難しいこと。監督さんは初めての映画だったそうで、しっかり形にされて大事なことが描かれていて、素敵だなと思いました。子どもたちのお芝居もどんどん良くなっていて。
実はキツい役が得意なわけでなくて(笑)
――女優さんで「いいな」とか「こういうふうになりたい」と思った人はいますか?
大西 昔から好きなのは田中裕子さんです。外国だとルーニー・マーラやイザベル・ユペール。カッコいいなと思います。
――大西さん自身は、幅広く演じている中でも、自分で得意な役柄はありますか?
大西 顔のせいかキツい役が多いんですけど、これが実は得意でもないというか(笑)。どうしても一回セーブがかかってしまう。ビシッと言ったり、意地悪なことをするのが、自分の中から出すのが難しくて苦労します。しゃべり方も普段はフワフワしていますから(笑)。
――確かに、今お話をうかがっていても、イメージと違いました(笑)。いまだに『ごめん、愛してる』のサックスプレイヤー役のインパクトも残っていて。
大西 ああいう役は相当エネルギーを使わないとできません。本当は素のままで演じるのが楽しいと思ったりします。それだけではダメなんですけど。
フワッとつかみどころがないのは素のままです
『夜明けまでバス停で』で大西が演じたのは、ホームレスに転落する主人公の北林三知子(板谷由夏)が働いていた居酒屋の店長・寺島千晴。コロナ禍で現実と従業員の板挟みになり、恋人でもあるマネージャーの大河原聡(三浦貴大)のパワハラ、セクハラにも悩まされていた。
――『夜明けまでバス停で』での寺島千晴役は、自然体で演じられました?
大西 素のままですね。言うことは言うけど、普段はフワッとしていて、つかみどころがないような人で、自分と近かったかもしれません。あまり「芝居しよう」という意識はなかったです。
――高橋伴明監督の作品は、こうした社会性のあるテーマが多いですが、大西さんもそういう部分にリアリティは感じますか?
大西 実際に私も含め、多くの人が直面している問題が描かれていると思います。前作の(在宅医療をテーマにした)『痛くない死に方』の撮影では、私自身が一緒に暮らしていた祖父母が他界して、死についていろいろ考えていました。今回の『夜明けまでバス停で』でも、コロナ禍やセクハラ、パワハラは今、本当に社会全体の渦中にある悩みだと思います。
――大西さん自身も悩んでいて?
大西 コロナ禍については、そうですね。いろいろなことが変わりました。渦中で作品として提示するのは、すごいことだと思います。過ぎ去った記憶や経験は作品にしやすいでしょうけど、現在進行形で起きていることは簡単に整理できませんから。
あとになって「普通ではなかった」とわかるのかも
――千晴が受けているセクハラやパワハラに関しても、思うことはありました?
大西 千晴自身は、セクハラやパワハラという認識はなかったのではないかなと思います。「そういうものだ」と考えていたので。
――マネージャーたちが風俗店の話をしていたあとに、三知子たちに「気づかないふりをするのがいいと思う」と話していました。
大西 自分が苦しんでいることさえ、わかっていなかったかもしれません。あとになって、そこから抜け出してみたら、「あれは普通でなかった」と気づく。実際のセクハラやパワハラはそういうものなのかもと思いました。
――あんなマネージャーでも、つき合っていたわけですからね。
大西 たぶん千晴も漠然とした好意は持っていて。男性に言い寄られること自体、もしかしたら自分には珍しい経験で、喜びもあったかもしれない。でも、彼のしていることはひどい(笑)。
――そうですね(笑)。
大西 そんな人とつき合っていた恥ずかしさや悲しさ、後悔みたいなものがありつつ、問題を見つけて「見過ごせません!」とバーンと提示していました。
――その場面では、演じるのにだいぶエネルギーを使った感じですか?
大西 本当にいろいろな角度からエネルギーを使いました。たぶん今まで千晴は歯向かったことはなくて、自分を奮い立たせないといけない。その興奮した状態で、相手を説得するために、話の筋道を立てて申し立てる冷静さも要る。従業員たちの顔も浮かんできたし、このろくでもない上司に少し好意を抱く自分もいる。かなりグチャグチャでしたね。
――三知子にアトリエでアクセサリー作りを習っていたとき、「ここでは店長と呼ぶのをやめてもらえますか」と言って、苦渋が滲む感じも印象的でした。
大西 居酒屋では本当の自分を抑えつつ、店長を演じて仕切っていますけど、アトリエでは心をちょっと開いていて。鎧を置いた彼女でいられたらと思いながら、あの場面は演じていました。
全部が止まっていた頃より穏やかでないです
――劇中では緊急事態宣言の頃の重苦しい空気も漂っています。その頃に大西さんが感じたことも、何かしら反映されていますか?
大西 (陽性者が出た)クルーズ船に乗っていた人たちを「降ろしちゃっていいの?」と話している場面がありましたけど、ウイルスが入ってきた当時のことは結構忘れているなと、撮影しながら思っていました。いつもマスクをしていることも、コロナが広がり始めた頃は普通でなかったのに、今は普通になってしまって。当たり前でなかったことに順応しなくてはいけないのが、少し悲しくなりました。
――あの当時、大西さん自身はどう過ごしていたんですか?
大西 2ヵ月間、三重の実家にいました。ちょうど祖母が体調を崩した時期と重なって、4月に帰ったら緊急事態宣言が出てしまって。東京に戻らず、家に籠って絵を描いていました。
――悶々としつつ、趣味に打ち込んで?
大西 でも、あのときは全体がストップしていたので。まだ心が穏やかでしたけど、今は歪みというか、止まっているところと動いているところの差が出てきて。どんどん穏やかでなくなってきています。
誰にでも起こりえることだと感じました
――この映画は高橋監督から直に出演オファーを受けたんですか?
大西 いえ、撮影が始まる1年くらい前に、伴明さんが映画を撮るらしいと聞きました。板谷さんが主演で、私も出させてもらえるということでしたけど、話の内容は全然知りませんでした。
――千晴が直接関わった部分ではありませんが、作品のモチーフになったバス停でホームレスが殺された事件のことは、知っていました?
大西 はい。あの被害者の方も劇団で役者をやられていたと聞いて、誰にでもそういうことは起こりえるんだと感じました。
――そういう現代社会の肌感覚は、イチ社会人として持っていると?
大西 そうですね。必要だと思います。
――居酒屋のシーンで、大西さんが配膳やレジ打ちをする姿も様になっていました。
大西 上京した頃、寿司屋でバイトをしていたので、そのときの経験を引っ張り出しました。あと、簿記検定とかいろいろやっていたので、レジを打つのもめっちゃ速いです(笑)。
――大西さんは趣味、特技が本当に多彩で、公式プロフィールに日本舞踊、英会話、映像編集、サックス、ピアノ、水泳、剣道、読書、絵を描くこと……とズラッと並んでいます(笑)。今でも全部続けているんですか?
大西 常にしているわけではないですけど、一回始めたことは続けたくて。サックスもたまにカラオケボックスに行って吹いています(笑)。
――歌うためでなく、吹くためにカラオケボックスに(笑)。
大西 本当は市民バンドに入りたいんです。でも、この仕事をしていると、週1回の練習や年1回の発表会に参加できなかったり、迷惑をかけてしまうかもしれないので。
感動したものは自分がやりたくなるんです
――さらに新たな趣味ができたりはしていませんか?
大西 最近、マンガを描き始めました。日常生活で、たとえば電車に乗っていて目の前で面白いことが起きたら、自分がどう感じたのか、マンガにできたらいいなと思ったんです。
――もう何本か仕上がっているんですか?
大西 短いものをいくつか描きました。
――本当に多才ですよね。
大西 そんなことはないです。ただ昔から、感動したものは自分がやりたくなるんです。
――マンガを普通に読んではいたんですか?
大西 少年マンガとかはあまり読まなくて、ガロ系です。
――そっちですか! 『ねじ式』とか?
大西 そうですね。そっち寄りです(笑)。私より若いマンガ家さんで、ガロ系に影響を受けて描いてらっしゃる方もいて。手に取ったら面白かったので、私も描いてみようと。
――やっぱり感性が独特な気がしますが、『夜明けまでバス停で』の演技でもそこは発揮されましたかね?
大西 観てくださった方が決めるもので、そう評価していただけたら嬉しいです。自分の芯でやれた役ではありました。
Profile
大西礼芳(おおにし・あやか)
1990年6月29日生まれ、三重県出身。
2009年に映画『MADE IN JAPAN ~こらッ!~』で女優デビュー。主な出演作は映画『菊とギロチン』、『嵐電』、『花と雨』、『痛くない死に方』、ドラマ『ごめん、愛してる』、『古見さんは、コミュ症です。』、『競争の番人』など。舞台『守銭奴 ザ・マネー・クレイジー』に出演。11月23日~12月11日/東京芸術劇場プレイハウスほか。
『夜明けまでバス停で』
監督/高橋伴明 脚本/梶原阿貴
出演/板谷由夏、大西礼芳、三浦貴大、根岸季衣、柄本明ほか。
新宿K´s Cinema、池袋シネマ・ロサほか全国順次公開