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ノルマと目標の違い:幸せに働くことを目指すマネジメント

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(ペイレスイメージズ/アフロ)

ノルマと目標は、混同されがちである。とくに営業をやっている人は、そういった傾向が強い。

人事評価においては、ノルマを「目標」という言葉に置き換えることがある。そしてやっていることは、数字による労働の管理だ。

しかし、この二つを分けて考えないと、社員はやる気を失っていく。徐々に成果を上げることができなくなり、会社を辞める人が多くなっていく。筆者はそういった組織をいくつも知っている。これを改善しなければ、企業は生産性を高めることなど、到底できない。

ノルマと目標の意味するところを正確に理解しなければならない。それは企業が、自社の人間をどのように見ているのかに関わることである。一方は、近代の概念である。そしてもう一方は、現代が目指すべき概念である。

ノルマとは何か

ノルマとは、労働において個々に割り当てられた基準量である。ゆえにそれは、他者から割り当てられる。経営の場合、そこでは企業の都合が優先される。

「ノルマ」はラテン語の norma から派生した言葉であるが、もともとの意味においては、たんに基準とか、規範といったものを指していた。これがソ連などの社会主義国において、労働における、達成度合いが明確化された割当てという意味で用いられるようになった。その意味するところは、国家たる全体が、個々の仕事を端的に数値としてみること、すなわち全体による個々の仕事の労働化、である。

ノルマは、わが国におけるビジネス用語でもそう捉えられているように、半ば強制的に与えられる。そしてほとんどの場合、労働時間の強制を含む。そのとき労働は、端的に賃金を得るための手段となる。ここでは、ノルマを果たすことそれ自体が目的化される。目的は、働く人ではなく、組織が与えるものとなるのである。ノルマ、つまり量を達成すればよいのだから、労働の「質」は問われなくなる。仕事から「よさ」の観念が取り払われることになる、というわけである。

そうすると労働者は、組織全体のために貢献しようとは思わなくなる。「よき」働き方は、そこでは問われない。自分のノルマを達成することが重要であって、他者は関係ないのだ。いかなる手段を用いようとも、数値を達成して、自身の賃金を確保することが重要となる。たとえ同僚や、顧客を裏切ったとしても。

そしていうまでもなく、内部で協力しなければ生産性は向上しない。その原因はノルマにあるのにもかかわらず、より多くの生産のために、足りない分の生産ノルマが労働者に課されることになる。そうすると、労働者はさらに利己的に振る舞うようになる。かくして、組織は崩壊するのである。

こういった結果を生み出すのが、ノルマである。これは「機械」的な生産を志向する、近代の傾向を継承したものである。それは人間を、何らかの目的をもつ生命のある存在とはみていない。管理、あるいはコントロールによって、人間を全体のうちに画定せんとする思想に由来するのである。

目標とは何か

対して目標とは、ねらい、目当てのことである。ある人が、何らかの目的を達成したといえる地点のことである。よって目標は、個に目的がなければ、設定することができない。

目標は、やらなければいけないもの、他者から強制されるものではない。そうではなく、自己のうちにある、何らかの達成したいことを実現するための目当てである。したがって、場合によって数字で定められることはあっても、その数字自体が個をあらわすことはない。個をあらわすのは、目的のほうである。それはまた、人の行為の原動力である。あるいはそれ自体、人の望みである。

人間が働くには、意欲が必要だ。この意欲を喚起するのが、目的である。人は、何らかの「よさ」を求めて活動する。とくに人は、自身の強みや能力を用いて、そこに至らんとする。自己の可能性を現実のなかで実現すること、自己実現のためである。すなわち人は、たんに賃金のためでなく、自らの幸せに到達するためにこそ、働くのである。終わりを思い描くことと、そこに向かって活動することで、人は生きがいをもつようになる。

ところで人間は、社会のなかで生きている。社会において、自己の目的を実現するのが人間である。あるいは、社会は個々の幸せに寄与し、それゆえ人は社会のために行為することで、幸せに至る。よって個は、全体に従属しない。全体のうちにあって、ともにあるのだ。どうして社会に貢献するのかという目的を見出し、その手段を選択することで、人は主体的に働くことができるようになる。ゆえに、成果を上げることができるのである。

よき成果を生み出すのが、目標なのである。これは人を、目的をもった存在として扱い、かれの成長を促そうという思想によるものである。事実、人は感情をもっている。動機があって、ゆえに成果をつかもうとする。だからこそ人は、コントロールしてはならない。そうではなく、促したほうがよいのだ。人を人として尊重し、マネジメントしたほうがよいのである。

幸せに働くためのマネジメント

「成果を上げる責任あるマネジメントこそ全体主義に代わるものであり、われわれを全体主義から守る唯一の手立てである。」ドラッカーの言葉である。

ドラッカーは、ノルマを否定している。実際、彼の説いた、わが国で「目標管理」と訳されるところの MBO は、成果主義のことではない。上述のような、目的に目を向けたマネジメントなのである。個の自主性に任せることで大きな成果が得られるとする、人間を主体性のある存在とみる人間観にもとづくものである。

働きがいを考えるには、生きがいに目を向けなければならない。働きやすさではなく、人としての生きやすさである。人が生きるということ、そのものに向き合うことから、マネジメントは始まる。

綺麗事をいうな、と言われるかもしれない。だが、高いノルマはやる気をなくすだけだ。それは働く人に、達成できなければ足を引っ張ってしまうという意識を植えつける。そうすると、組織に帰属しているという感覚を失わせてしまう。営業という仕事が嫌われるゆえんである。

対して、個々が定める高い目標はよい。一人ひとりに、自らの成長に向けてそれを達成しようという意識を生み出すからである。それらは達成のために、組織の様々な資源を用いようという姿勢を生み出す。かくして会社は、自身に貢献してくれる存在となり、自身もまた、ともに歩む会社に貢献できるようになる。

だとすれば、もしノルマを課すならば、それは最低限でなければいけない。そしてマネジメントは、口を出すばかりでなく、達成に向けて支援しなければならない。利益は最大化するものではなく、最適化するものである。利益は、明日においても存在するための条件に過ぎない。

一方、目標を達成し、高い成果を上げた人には、その人の成長を促す新たなチャンスを与えなければならない。もちろんこれは、役職ではなく、役割である。ようするに、その人がより高い成果を上げるための機会であり、より自己実現に近づくための機会である。

ドラッカーは、その生涯において脱近代を目指していた。それは、近代の思想的傾向が、人間を不幸にすることに気づいていたからである。すなわち、ドラッカーのマネジメントとは、現実に存する人間を、所与の社会に適合させ、成果をもって自己の実現へと至らしめようとする思想なのである。

人として尊重されるような企業を選べば、幸せに働くことができる。そのような会社が日本に増えていくことを願う。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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