スズキがMotoGPで久々の勝利 復活の兆しを歴史からひも解いてみた
4月14日に開催されたMotoGP第3戦アメリカズ・グランプリにおいて「GSX-RR」で参戦するチームスズキエクスターのアレックス・リンスが初優勝。
スズキのMotoGPでの優勝は2016年9月の第12戦イギリスGP以来2年7か月ぶりとなった。ホンダのマルケスやロレンソなどの強豪が相次いでリタイヤしたこともあるが、特に天候不順や多重クラッシュなどのアクシデントがあったわけではなく、実力で勝ち取った勝利である。リンス本人はもちろん、スズキにとっても大金星といっていい成果ではないだろうか。
新人に初優勝をもたらす験のいいメーカー
ふと気になったのがスズキのMotoGPでの前回の優勝について。調べてみると、2016年第12戦イギリスGP(シルバーストン)で現ヤマハのマーベリック・ビニャーレスが最高峰クラスで初優勝し、スズキを9年ぶりのMotoGP勝利に導いた。
で、その9年前というのは2007年で、MotoGPにレギュレーション変更があった年に800cc仕様のGSV-Rでクリス・バーミューレンがスズキにMotoGPクラスにおける初優勝をもたらした。つまり、MotoGP時代になってからスズキは今回を含め3勝を挙げていることになる。そして、偶然かもしれないが、スズキは新人に初優勝をもたらす験がいいチームとマシンと言えるかも。
それ以前はどうか。2002年に4スト990ccマシンによるMotoGPがスタートする前は2スト500ccマシンで競われたWGPの時代に遡る。1970年代から90年代にかけてはホンダ、ヤマハ、スズキなどの国産メーカーによる三つ巴の戦国時代であり、スズキも優勝はもちろん何度も年間タイトル争いに絡んでいる。
スズキで勝利したレジェンドに思いを馳せる
直近では2000年にスズキに年間タイトルをもたらしたケニー・ロバーツJRが思い出される。親父はかの有名なケニー・ロバーツで親子2代のWGP王者は1949年に世界グランプリが始まって以来唯一である。
そしてスズキといえばこの人。生涯スズキのマシンで戦い続け、ついに1993年にRGV-Γ500で王者を勝ち取ったケヴィン・シュワンツだ。無冠の帝王と呼ばれ、ローソン、レイニー、ガードナー、ドゥーハンなどの伝説的な強豪ライダーがひしめくGP史上最も熾烈だった時代に活躍。
当時優勢だったホンダやヤマハの最新マシンと果敢に渡り合い、優勝するかクラッシュという勇猛果敢なライディングスタイルで多くのファンを魅了した。つい数年前も鈴鹿8耐にヨシムラから参戦するなど現役時代に劣らぬ切れ味鋭いライディングを見せてくれたことは記憶に新しい。
余談だが、自分はシュワンツとは同じ歳ということもあり個人的にも特別の想いがあって、2008年にアトランタで彼が主催しているKSSS(ケヴィン・シュワンツ・スズキ・スクール)にも参加したことがある。
そのときも彼自らがGSX-R1000で先導してくれ、特徴的なリーンアウトフォームからコーナーの立ち上がりでフロントアップしたまま後ろを振り返り、お茶目にウインクしてくれたことを今も鮮明に覚えている。それ以来、毎年スクールの誘いが来るが未だに再チャレンジできていない。
壮絶だった500cc時代
1982年にRG500で5勝をマークし年間チャンピオンとなったフランコ・ウンチーニも記憶に残るライダーだ。彼は翌年のダッチTTで転倒したところを後に世界王者となるワイン・ガードナーのマシンと接触。前輪が頭を直撃しヘルメットが吹き飛ぶほどの衝撃を受けて意識不明となったが奇跡的に回復。
今でもFIMでMotoGPのセーフティ・ディレクターを務めるなどレース界に貢献している。
忘れられないのが70年代のスズキの黄金時代に活躍したバリー・シーンだ。映画スターばりの甘いマスクとドナルドダッグが描かれたヘルメットで人気を博した英国人ライダーで、幾度も瀕死の重傷を負いながらも不死鳥のように蘇り、スズキが初めて500ccクラスに投入したシリンダーを四角形に配置した通称「スクエア4」エンジンのRG500を駆り、1976年と77年に2年連続でWGP500チャンピオンに輝いた。
あれだけ強運だったのに、レース引退後は若くして病気で亡くなったのは残念だ。
なんだか、スズキのGPライダー偉人伝のようになってしまったが、今このコラムを書いていて、とても懐かしい気分になっている。あの頃、自分の青春時代とともにあったグランプリ。運気が上がってきたスズキにも期待が広がる。そして、是非再びチャンピオンに返り咲いてほしいと思うのだ。