ブッフォン、CL制覇ならずも栄光に変わりなし だが、主審批判には「撤回せよ」の声も
最後だから言ったのか、言ってしまったのかは分からない。ただ、ジャンルイジ・ブッフォンが試合後に審判をこれほど非難する姿に、驚いたファンは少なくないのではなかろうか。
4月11日のチャンピオンズリーグ(CL)準々決勝セカンドレグ、ユヴェントスはファーストレグでの3点ビハインドを跳ね返しながら、終了間際のPKに泣き、ベスト8敗退に終わった。判定に抗議し、退場を命じられたブッフォンは、試合後も怒りが収まらず、マイケル・オリヴァー主審を酷評した。
その口からは、ブッフォンのものとは思えない言葉が相次いだ。仲間と対戦相手への賛辞はいつもどおり。だが、オリヴァー主審に対してだけは、その感性を「人間ではなく動物」「ゴミ箱」と評し、果てには「スポーツマンへの犯罪」「殺し屋」という言葉まで用いるほどの荒れようだった。
◆最悪の結末は神の裁き?
そこまで怒りを爆発させた理由の一つは、微妙なジャッジだったからだろう。PKだったかどうか、世界中で議論を呼んでいる。そしてもう一つ、ユニフォームを抜く覚悟を固めていたことが、いつになく感情的に非難した背景にあるかもしれない。
ブッフォンは『スカイ・スポーツ』のインタビューでオリヴァー主審を批判した際に「(CL)ラストゲームと知らなかったかもしれないが…」と発言。クラブ公式チャンネルでも「辞めるうえで最も残念なのがこの仲間たちと離れること」と、今季限りでの引退を事実上明かしている。
残念な結末だったのは確かだ。多くのイタリアメディアが「こんな終わりはふさわしくない」と嘆いた。『スタンパ』は「伝説的キャリアの終わりとして、これほど苦々しいものはない」と記し、『スカイ』はこのように伝えている。
「ここまで最悪な結末は誰にも想像できなかった。史上最高のホラー映画の監督でも、最悪の人間でも、想像できなかった。ブッフォンに降りかかったのは呪い以上だ。まるで、おそらくは彼の運動能力をねたみ、彼に席を譲るにはあまりに自己中心的な神たちによる裁きのようだ」
大げさかもしれないが、今季のブッフォンはイタリア代表でワールドカップ(W杯)予選敗退という憂き目にも遭っている。サン・シーロでの号泣姿は記憶に新しいだろう。現役ラストシーズンの、わずか半年のうちに、これほど大きな落胆を2度も味わったのだから、悲劇としか言いようがない。
◆主審への暴言には批判
ただ、主審の「感性」を批判したブッフォンの主張は、理解しがたいものでもあった。ファーストレグで不利な判定があったこと、自身のラストゲーム、奇跡に迫った自軍の奮闘…それらを忖度しろというものだからだ。
サッカーにおいて、そういった暗黙の了解のような場面も見受けられることがあるのは否めない。だが、それを当然の権利のように求めることはできまい。何より、ブッフォンが用いた言葉はあまりに過激で、主審に対する侮辱と言える。
かつての盟友であるアレッサンドロ・デル・ピエーロも、「正直、理解するのに苦しんだ」と述べた。
「なぜファーストレグに言及しなければいけないか分からない。サッカーとはこういうものだ。良かろうが悪かろうが、その瞬間を分析する。数日後、審判については違うように言うのではないか」
人格者ブッフォンを常に称賛してきたイタリアメディアからも、今回の発言を疑問視する声が上がった。『calciomercato.com』のステーファノ・アグレスティ記者は「ユーヴェファンでなくとも、ブッフォンを好きにならないのは難しい」としつつ、「でも、今回はすべてを間違えた」と批判した。
『コッリエレ・デッラ・セーラ』のロベルト・デ・ポンティ記者も「スポーツマンが彼の主張を支持するのを想像するのは難しい」「力不足や見逃しという理由でなく、心がないから(主審が)間違えたと疑っては、スポーツの土台となるコンセプトが揺るがされる」と指摘している。
『ガゼッタ・デッロ・スポルト』では、ルイジ・ガルランド記者が発言の撤回と謝罪を進言。W杯予選敗退後、ブッフォンが泣きながら「本大会でイタリアを見られない子どもたちに申し訳ない」と口にしたことに触れ、今回も子どもたちへの影響を考えてほしいと呼びかけた。
◆「理解すべき」の声も
ただ、繰り返すが、ブッフォンにとっては、喉から手が出るほど欲しいはずのタイトルを、その栄光のキャリアに唯一足りないタイトルを手に入れる最後のチャンスだった。1週間前に潰えたかに思われた夢を、再び見ることができそうになった瞬間だった。
だからこそ、その心情に寄り添う声もある。『スカイ・スポーツ』のマッテオ・マラーニ記者は、ブッフォンが用いた言葉は「間違えていた」としつつ、感情的だった試合後のコメントを評価するのは難しいとコメント。一夜明けるまで発言させないようにすべきだったとの見解を示した。
元チームメートのアンドレア・ピルロは、「ジジの激白は理解できる」「言い過ぎたかもしれないが、これほどうまくやった試合の最後に結果を盗まれたときにはそういうこともある」と述べている。
ブッフォンの心情を慮ることができるかどうかもまた、「感性」ではないだろうか。
◆栄光のキャリア
逆に言えば、オリヴァー主審に対する「感性」も必要だ。例えば、少なくとも「殺し屋」といった表現は受け入れがたいだろう。デル・ピエーロやガルランド記者が言うように、ブッフォンは発言を修正すべきではなかろうか。人間くささと品格をあわせ持つ彼だからこそ、過ちを犯すこともあるが、それを正すこともできるのだと示してもらいたい。
いずれにしても、ジャンルイジ・ブッフォンという稀代のゴールキーパーの偉大さが、この一件で損なわれることはないはずだ。それは、ジネディーヌ・ジダンの今が示している。ジダンと違い、CLで優勝はできなかったかもしれない。だが、デル・ピエーロは「ジジの素晴らしさはこの大会を制したかどうか以上のものだ」と述べている。
最後のシーズンは、W杯を逃して泣き、悲願のCL制覇に至らず、退場となり、行き過ぎた審判批判に終わった。だが、20年以上にわたり、栄光のキャリアを築いてきた事実は変わらない。サン・シーロでの涙にも、ベルナベウでの怒りにも、その輝きはかすまない。