Yahoo!ニュース

「中澤佑二さんのような存在になりたい」東京五輪世代のDF渡辺剛が語る理想像

元川悦子スポーツジャーナリスト
U-24アルゼンチン戦で勝負に出る渡辺剛(写真:松尾/アフロスポーツ)

東京五輪への最後のサバイバルに挑むFC東京の看板DF

 4カ月後に迫った東京五輪に向け、3月26・29日に行われるUー24アルゼンチンとの2連戦は、本大会メンバー絞り込みへの最終テスト。非常に重要な戦いになるのは間違いない。

 欧州組の堂安律(ビーレフェルト)、久保建英(ヘタフェ)、昨年のJリーグベストイレブンの三笘薫(川崎)ら豪華タレントがひしめく中、最大の激戦区となっているのがセンターバック(CB)だ。

 欧州組の板倉滉(フローニンゲン)を筆頭に、ボランチなどをマルチにこなせる中山雄太(ズウォレ)、2020年Jリーグベストヤングプレーヤー賞の瀬古歩夢(セレッソ大阪)、常勝軍団・鹿島アントラーズで定位置を確保した町田浩樹など才能ある面々が並ぶ。すでにA代表の絶対的主力と位置付けられる冨安健洋(ボローニャ)もいるだけに、本当に狭き門と言っていい。

 こうした中、FC東京で2020YBCルヴァンカップ制覇(2021年1月4日開催)の原動力になった渡辺剛もUー24日本代表メンバーに招集された。

「五輪に向けての重要なタイミングで呼ばれたのは嬉しいこと。(自分の強みである)対人やカバーリング、ヘディング、競り合いの部分で強豪・アルゼンチンをゼロで抑えたい」と意気込む24歳のDFに率直な想いを聞いた。

プロ1年目にA代表に手をかけたCB

 渡辺剛のプロキャリアの幕開けは劇的だった。正式にプロとなってからの公式戦デビューとなった2019年3月6日のルヴァン杯・柏レイソル戦でいきなりゴールをゲット。4月28日の松本山雅戦でJ1リーグ戦デビューを果たし、韓国代表のチャン・ヒョンス(アル・ヒラル)の移籍もあって瞬く間にレギュラーを確保。同年末にはEAFF・E-1選手権(釜山)の日本代表入りするまでになったのだ。

 そして2年目は予期せぬコロナ禍に見舞われながら、東慶悟の長期離脱もあってキャプテンマークを巻き、FC東京の中心選手に。その重圧に苦しみながらも、最後にルヴァン制覇という大輪の花を咲かせたのである。

――ここまで2年3カ月のプロ生活を振り返ると?

「ターニングポイントは公式戦初出場のルヴァン・柏戦のゴールとJ1リーグ初出場の松本山雅戦ですね。『何が起きてもいいや』という捨て身で挑んで自分の特徴を目いっぱい出せた。そこで自信がつき、試合に出場できるようになりました。『自分のストロングが通用するな』と思ったし、『やってきたことが間違いない』とも感じたんです。

 その後、ヒョンスの移籍の影響もありましたけど、1年目で代表にも入れて、ホントにラッキーなルーキーイヤーでした。

 最後の最後で横浜F・マリノスにJ1リーグタイトルを持っていかれたのも僕にとってはいい経験。悔しかったですけれど、満足できないのが自分のサッカー人生。さらにレベルアップさせるチャンスが来たと前向きに捉えました」

キャプテンの重圧に苦しみながらタイトルを取った2年目

――2年目は?

「キャプテンマークを巻いてプレーすることが多くて、周りからの目を気にして、力を出せない場面が結構ありました。僕はアカデミー育ちなので、東京のキャプテンというのは簡単じゃないと分かっていた。慶悟さんもキャプテンになってから大きく変わったと話していたけれど、『もっともっと成長しないとその大役は務まらない』と痛感する日々でした。プレーで引っ張っていけるようになりたいと自分の中でもがきましたね」

――さまざまな葛藤を経て、ルヴァン優勝という形に結実させたんですね。

「柏レイソルとの決勝は結果だけを求められる試合だったので、『どうにかしてオルンガ(アルドゥハイル)選手を止めよう』とだけ考えていました。彼が思い通りにプレーできないと焦ってくると分かっていた。それで最初からタイトなマークで対応した。競り合いでも負けたら相手のペースになっちゃうので、そこで絶対に負けないようにして、相手に『うまくいってない』と思わせる形に持ち込んだんです。

 案の定、最後は嫌がっていたのでうまくいった。Jリーグで無双していた選手を止められたのはうれしかったし、ああいう選手を抑えることが一番の醍醐味。自分のやってきたことがサッカー人生で初めて実ったかなと思いました」

オルンガ完封で強まった世界への思い

 昨季リーグ得点王とMVPのケニア代表FWを完封したことで、世界への渇望はより高まった。となれば、プロ3年目の今年は1年延期になった東京五輪代表に滑り込み、2022年カタールワールドカップ最終予選メンバーにも手をかけたいところだろう。

――東京五輪世代のCBは大激戦です。

「すごい激戦区ですけど、負けられない。自分より若くてうまい選手がどんどん海外に出てますし、Jリーグでも活躍してる選手が多い。いい競争が生まれて、刺激し合えたらいいとも思ってます」

――筆頭の冨安選手は2学年下ですね。

「あの若さで日本代表の中心だし、それだけのものを残したのは衝撃です。あれだけの身長があって、俊敏性や体力もある。海外で生き残るためには強さは必須だと思います。それに加えてユーティリティさもある。若い時から海外で戦っていることで、自分よりいい経験をしているとも思います。

 彼と比べることはないですけど、周りが比べてくると思う。追いつき追い越すためには、僕が今いる場所でもっともっと戦わないといけないですね」

秋田豊、中澤佑二の系譜を継ぐ男に

――渡辺選手は歴代の日本代表の中では誰のようなCBになりたいですか?

「自分がよく代表を見ていた時は中澤佑二(解説者)さんがCBでした。プレースタイルが似てるっていうか、ああいう気持ちの入った選手がものすごく好きですね。今は森重(真人)選手みたいなうまいCBが主流ですけど、僕は秋田(豊=盛岡監督)さんや中澤さんみたいな闘志あふれる選手を見るのが好きでした。自分もそういう存在になれたらいいなと感じてます」

――「ボンバーヘッド」に負けない競り合いの強さを示すしかないですね。

「ヘディングでは絶対に負けないようにしていますし、それにプラスアルファしていろいろできるCBが理想のイメージですね。つなぎの部分もそうだし、全体的に守る能力だったりはもっともっとレベルアップしていかなきゃいけない。『強くて速いCB』を目指します」

――五輪や日本代表の大舞台に立った時に「ここを見てほしい」というのはありますか?

「競り合いもそうですし、カバーリング、守備全体が僕の強み。チームとしてしっかり守れるところを見てほしいです。もう1つは熱く戦う姿勢。そこだけは前面に押し出したいと思っています」

 持ち前の雑草魂でFC東京の最終ラインの要へと飛躍した186センチの大型CBは、今回のU-24アルゼンチン代表2連戦で鬼気迫る闘志と泥臭い守備を強く押し出す覚悟だ。観る者の魂を揺さぶり、五輪本番への道を切り開く雄姿を楽しみに待ちたい。

スポーツジャーナリスト

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。

元川悦子の最近の記事