「誤審」をコミッショナーが謝る必要なし
熊崎勝彦コミッショナーが誤審を詫びた。「あってはならないこと」として再発防止に努めると言う。
これは、9月12日の甲子園球場での阪神対広島戦の10回表に、田中広輔の放った飛球をビデオ判定を実施しながら誤って三塁打としたことに対してのものだ。これに関しては、考えさせられることが2つある。
まずは、どうしてコミッショナーが謝罪しなければならないのか?ということだ。本件は基本的に審判員の能力(映像の確認能力も含め)の問題だ。これが、許容しがたい怠慢や不正に関することなら、NPBの最高責任者であるコミッショナーがファンや関係者に陳謝すべきだろう。しかし、技能不足や過失を謝罪するなら、凡プレーや失策、押し出しの四球にもコミッショナーは会見を開き謝罪せねばならなくなる。
では、だれが謝るべきか。だれも誤る必要はないだろう。誤審を下した審判員も、それが能力不足や思い込みに起因するものであっても、全力を尽くした結果なら誤る必要はない。能力不足の報いは、罰金や降格(というものはあれば)が適切だ。
もう一つ気になったのは、難しい判定に対し映像での確認を行うのが当事者である審判員で良いのか?ということだ。現場の当事者は、自らが一度は下した判定が間違っていないことを無意識のうちに求めるものだろう。彼らに「先入観を持つな」というのは不条理で、むしろ制度としてバイアスのかからない立場の人物が映像確認による判断を下すよう変更すべきだろう。
また、そもそもビデオ判定は何を求めて行うのかということも、しっかり議論した方が良い。もちろん、審判員はその技能向上に努めるべきだ。しかし、人間である以上ミスはなくならないし、肉眼では判断不可能な際どいプレーもある。そんな、「神の領域」を映像に求めているのではないか。あくまで、審判員の技能自体はリスペクトされねばならない。審判員のジャッジをコンピューターや別室の映像確認人という第三者が裁くならそれも致し方ないだろう。しかし、現行の運用では、審判員は「君の技能が足らない部分をビデオで補いなさい」と言われているようで気の毒でならない。